変わらないのは「AWS楽しいぜ」 語り継ぐものは?
セッションの後半、渥美さんはエンジニアコミュニティの歴史を簡単に振り返る。1990年代、エンジニアの勉強会は「資格を取る」という目的で行なわれていたもので、勉強会自体もオラクルやマイクロソフトなどのライセンスをとった教育機関がビジネスで提供していたものだった。
しかし、インターネットの普及とOSSの開発がメジャーになったことで、エンジニアのコミュニティが醸成されるようになる。渥美さんが体験したのはJavaのフレームワークであるSeaser2を扱ったSeaserファウンデーションで、エンジニア同士が飽きることなく技術の話をし続けているのを見て、衝撃を受けたという。「朝から晩まで数百人のエンジニアがコードやアーキテクトの話をし続け、夜から朝まで吞んでいた。そこでもコードの話をしている。こういう集まりが、日本のエンジニアを育てるんだと思った」(渥美氏)。そしてこのSeaserのコアメンバーや支援者は、今でもクラウド業界を支えている重要なポジションに着いているという。
もう一つコミュニティについて語り継ぎたい出来事として挙げたのは、2011年3月の東日本大震災のとき、JAWS-UGを中心とする有志のタイガーチームが、震災募金を行なう日本赤十字のサイトを復旧させたという逸話だ。渥美氏はAWS玉川さんやcloudpackの後藤さん、クラスメソッドの横田さん、得上さんなどのツイートを元に当時を振り返った。
最後、渥美さんは「今回のセッションは単に年寄りが昔のことを懐かしむだけではない」とコメント。その上で、変わったものとして、「AWSのサービスの数が10から240にまで増えたこと」、変わらないものとして「AWS楽しいぜ」、そして、語り継ぐものとして「エンジニアが日本を救う」ということを挙げた。
得上さんは「こういう場に来たので、やはりAWS楽しいんだぜというのは感じてもらいたい。いまAWSを仕事の道具として使っている人は多いと思うけど、そうではなく、おもちゃとして遊んでみると、理解が変わると思う」と語る。久しぶりにJAWS-UGに参加した竹下氏は「昔はクラウドというだけで抵抗を受け、信用おけないと言われた時代もあった。これからみなさんはイノベーティブなことをやっていくはずだが、きっと一定以上の抵抗は受けると思う。でも、それを楽しんで突破してほしい」とエールを送った。渥美さんは、Amazon CTOのヴァーナー・ボーガス氏の「今こそクラウドエンジニアがビルダーとして世の中を変えるとき」を掲げて、セッションを締めた。
ベルサール新宿時代を思い出す、カオスが生み出す熱量と出会い
セッション終了後、家族の用事でいったん会場を後にし、17時過ぎに再度来場。最終セッションには間に合ったので、こちらも名物企画である「恒例!ソリューションアーキテクト怒涛のLT」を楽しむことにした。
文字通り、AWSのSAがそれぞれのテーマで4分のLTをこなすというものだったが、マルチアカウント、ネットワーク、コンテナ、AIなど特定のサービスや技術に深く踏み込んだこだわりがとても印象的だった。今や巨大な組織となったAWSジャパンだが、テクノロジーやサービスへの愛着を持ったプロフェッショナルが数多く在籍している強みを理解できた。
最後は懇親会。事務局からは900人以上の参加者があったことが報告され、高い参加率だったことが明らかに。また、恒例のAWS SAMURAIやJAWS DAYSの地方版にあたるJAWS FESTAが広島で開催されることも発表され、いよいよリアルイベントにシフトしていく方向性がアピールされた。
懇親会はカオス。2015年のベルサール新宿の時代を思い出すような会場では、多くの参加者が交流し、新たな出会いを生み出していた。5年ぶりということで、特にリアル開催は初参加という人がけっこう多く、新しい企画や登壇ににつながりそうな予感がある。長らく記事化をサボってきた記者に、JAWS-UGのメンバーはどこまでも寛容だったことも付記しておこう。
こうして5年ぶりとなったJAWS DAYS 2024は無事終了。コロナ渦で試行錯誤してきた結果として、参加者の交流を重んじるJAWS-UGというコミュニティには、やはりリアル開催は不可欠だったのだと痛感した。理屈はわからないが、とにかく直接会って話すことの解像度とパワーの強さ。そしてJAWS DAYS 2024は、コロナ禍で分断したコミュニティの危機を乗り越え、出会いの喜びを取り戻した祝祭として多くの参加者に記憶されるだろう。
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