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新宿時代を思い出すカオスな懇親会に、おもひでぽろぽろ

5年ぶりにリアル開催したJAWS DAYS 出会いを取り戻した祝祭だった

2024年03月04日 09時00分更新

仮想REPにプレゼン勝負 クラウド営業の頭が見えた

 基調講演の後は5つのトラックに分かれて、セッションが行なわれた。セッションに限らず、パネルやワークショップ、コンテストなどを公募する「Call for X」という方式により、5倍以上の倍率を勝ち残ったセッションだったので、どれも面白そう。今回も全セッションを聞けるレシーバーを使っているが、きちんと選択しないと中途半端になるので、直感で見たいセッションを選ぶ。

 「チーム対抗提案コンペ ~仮想RFPに提案してみよう!~」は、発注者が提示した仮想のRFPに対して、提案を争うというチーム対抗戦になる。提案書は前日までに提出されており、当日に各チーム10分ごとの発表時間が用意されており、「面白さ」「技術」「コスト」「実用性」の観点から審査されるという営業向けの内容だ。以前からJAWS-UGで行なわれていた名物企画だが、見たことなかったので参加してみた。

やる気満点の発注者側のメンバーたち

 今回のRFPを提示したユーザー会社は倉庫業を営んでおり、多くの課題を抱えている。導入済みの顧客はわずか5社で、サービス認知も人材も不足。競争が激しく、料金設定に課題を抱えているほか、自動化も遅れ、大手EC業者と対抗するようなサービスも必要。また、倉庫業全体の課題として、在庫管理の難しさやスペースの有効活用、入出庫作業の効率化、商品の保管管理、労働安全や衛生、セキュリティなどがあり、ITシステムの活用も遅れているという。AWSを用いた倉庫管理も古くさく、カメラのデータをローカルサーバーに集めて、週に1回管理者がクラウドにアップロードしている状態だ。

 この課題に挑むのは3チーム。データセンターのモダナイゼーション、倉庫の管理の自動化、業界全体の革新まで複数フェーズで提案に載せた横文字多いチーム、発注者側のレガシーぶりをディスりつつ、今あるサービスをすべて捨て去り、リプレースとリブランディングを提案したなにわ女子チーム、課題を整理しつつ、既存システムを保存、処理、表示の機能に整理した新システムへの移行を促した正統派チームがそれぞれプレゼンを披露。発注側の企業のメンバーから質問や意見が飛んだ。

担当者が持ち回りでプレゼンを行なう

営業の提案としてはシュールすぎる面子

 さて、会場の通信環境があまりよくなかったため、なんと会場からの投票システムが利用できず、結局は拍手というアナログな方法になったが、これもリアル開催ならではと言えるかもしれない。クラウドの営業がどのように顧客の課題を解釈し、具体的なソリューションに落とし込むのかがわかり、とても興味深かった。

エンジニアにもわからんかったクラウド いかに遊ぶかが大事だった

 午前中のプログラムが終了すると、次はランチセッション。さすがに1000人規模なので、配布は大変そうだったが、ランチを食べながら、スポンサーのセッションを聴講。そのまま午後のプログラムに突入する。

美味しいお弁当を食べながらサイバーセキュリティクラウドさんのランチセッションを楽しむ

 午後イチに参加したのは、すでに古参となってしまった私のような参加者にとってうれしい「クラウド黎明期、いかにしてJAWSは始まったのか~熱い歴史をコミュニティ史として語り継ぐ」。長らくクラウドの普及に尽力してきた渥美 俊英さん、初代JAWS会長の竹下 康平さん、2代目会長の得上 竜一さんというまさにレジェンドが集まり、昔話に華を咲かせた。まずは自己紹介からスタートする。

 御年68歳の渥美 俊英さんはSIer在籍時の2010年頃からクラウドの価値に気づき、AWSパートナー国内第2号となる。2015年に定年退職後はAWSのエンタープライズエバンジェリストとして活躍し、いまも現役で数社の顧問や業界活動をこなしている。もちろんJAWSのコミュニティにも古くからコミットしており、JAWS DAYSや地方版のJAWS FESTAなど数多くの登壇歴を持つ。

 続いて初代JAWS会長の竹下 康平さんは、ITエンジニアの立場で黎明期のAWSのインパクトに気づいた一人。早い段階からIT×介護の世界を切り拓いており、介護業界でのエンジニア不足を訴えてきた。現在は一般社団法人日本ケアテック協会の事務局長を務めており、ITと介護と橋渡しを進めている。

 2代目会長の得上 竜一さんが最初にAWSを触ったのは東京リージョン上陸よりもはるか以前の2005年。最初に利用したのはECSだが、コンテナの方ではなく、ECサーバーだった。その後、2006年にはSQSと東芝のDynabookでクラスタを構築。会場では2007年のSimpleDBリリースメールも披露された。

さすがレジェンドたち。セッション中とは思えない緊張感のなさ(笑)

 JAWSの第0回は2010年の2月24日で、Publickeyの記事を見る限り、長髪だった竹下さんも参加していた。当時Amazon Data Services Japanのマーケティングマネージャーだった小島英揮さんは、デベロッパーコミュニティの拡充とAWS東京オフィスの人員拡充について説明。また、今回の基調講演で登壇したジェフ・バー氏が最初のLTを披露し、PHPからAmazonクラウドの操作を行なうライブラリを紹介したという。

 当時、クラウドはエンジニアにとっても未知数だったため、黎明期はJAWSでさまざまな企画が試行された。たとえば得上さんはAWS Management ConsoleでEC2とWordPressを5分で立ち上げるという「人間CloudFormation」という一発芸を長らく披露し、AWSの玉川さんが操るCloudFormationと勝負していた。また、ワークフローサービスのSWFを用いて、MIDIと連携したオーケーストラを奏でる取り組みも行なわれた。「当時はわかりにくいサービスをわかりやすくするため、いかに遊ぶかが大事だった」と得上さんは振り返る。

 当時は、複数のクラウド事業者が集まった「クラウドごった煮」のようなイベントもあり、JAWSのメンバーはAWSを代弁するようなポジションにもあった。「Azureの新サービスがたまたま夜中だったので、JAWSの後に3人で参加したら、砂金さんに『Amazonご一行様いらっしゃいました』と言われ、最前列のテーブルできまずい思いをしたこともあった」(渥美さん)。

さまざまなクラウド事業者が登壇した「クラウドごった煮」。AWSの代弁者として登壇することも多かった

 さらにAWSを用いてがんばって構築したシステムが、あとからAWSにサービス化されることは多かったという。竹下さんは「情シス時代、数百台のサーバーをローカルでつなぐシステムを構築したら、その日にVPCが発表された(笑)」、得上さんは「SpotFleetとか、Lambdaは同じようなもの作っていたので、買い取ってもらえばよかった(笑)」と振り返る。

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