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普通の銀行員が地元企業にDXを提案してみた

滋賀銀行の泣き虫行員が「地銀こそ中小企業のITの担い手」と言えるまで

 琵琶湖をぐるりと囲む滋賀県の地銀である滋賀銀行のデジタル推進室で、支店行員とともに企業のデジタル導入を支援する井上里奈氏。長らく個人顧客を相手に投信と保険などを売ってきた井上氏が、デジタル推進室に入って感じたギャップとやりがいとは? デジタル推進室のチームをリードする鈴木喜智氏とともに、「地銀こそ中小企業のITの担い手」と言えるようになるまでの3年間を振り返った。

滋賀銀行 営業統轄部 デジタル推進室 主任 井上里奈氏

配属当日から「取引先様の課題を聞いてこい」 往来で泣いたこともあった

 京都市出身の井上氏は新卒で滋賀銀行に就職している。もともとは短大で管理栄養士の資格をとって、好きな料理を仕事にしようと思っていたが、「好きを仕事にすると、かえって好きでなくなってしまうかも」(井上氏)と考えるきっかけがあり、たまたま受かった滋賀銀行に入った。とはいえ、「家から一番近いのも、初めて通帳作ったのも滋賀銀行でした」(井上氏)とのことで、滋賀銀行と縁は浅くなかった。

 入社後、資産運用という業務で、個人相手に投資信託と保険をひたすら販売していた井上氏だが、気がつくとキャリアパスが見えなくなっていたこともあり、2021年にデジタル推進室に移ってきた。「お客さまの声を聞くのは保険だろうが、デジタルだろうが、同じと聞いていたので、そんなものかなと思っていました」と井上氏は振り返る。

 滋賀銀行のデジタル推進室は、同行が掲げる「地域の持続的な発展」を実現するため、2020年10月に設立された部署だ。取引先の経営課題をデジタルで解決すべく、銀行として本腰を入れるために作られたという。もともと総合企画室でICT戦略の立案を行なっていた鈴木喜智氏がリーダーとなり、少人数からビジネスをスタート。業務フローとしては支店から上がってきた案件のうち、デジタルに関わる案件がデジタル推進室に渡され、支店の行員といっしょに対応するという流れになる。

 こうしてデジタル推進室に移ってきた井上氏。「なんか研修でもあるのかなと思っていたら、入った初日から、責任はオレがとるから取引先様の課題を聞いてこい、と言われました(笑)」とのこと。しかし、入行以来ずっと個人向けの資産運用を担当し、法人も、ITも初めて。実際に回ってみると、戸惑うことばかりで、営業やヒアリングどころの話ではなかったという。

 井上氏は、「取引先様には今から謝りたいくらいなのですが、この業界ってカタカナだらけじゃないですか。だから何を言うてはるのかわからない。しかも、支店の行員さんからは『ITのプロ連れてきました!』と言われるわけですよ。本当に辛くて、毎日泣いてました」と振り返る。白昼、道の往来でおいおい泣いたこともあったという。

同じ銀行員なのに、見ている目的は違っていた

 配属当日から混乱を極めた井上氏だったが、結局芯が強いのだろう。「お客さまの言っていることがわからない」という課題に対してまずやったのは、とりあえずボールを受け止めること。相手の言っていることをひたすらメモして、勉強して、わからなかったらまた取引先の元に足を運ぶ。そして取引先の課題や言っていることを理解できたら、解決方法を周りのメンバーに聞いて、取引先に提案する。この繰り返しだ。

 とてつもなく時間と労力がかかる方法だが、当時はこれしかなかったという。「今振り返ると最初の1年はお給料いただいた対価の分、働けてなかった気がします。恥ずかしくなるような仕事ぶりでした。胸を張って、きちんと働いていますと言えるようになったのは最近だと思います」と井上氏は振り返る。

 ただ、井上氏が感じた戸惑いは、実はデジタル推進室自体の戸惑いでもあった。デジタル推進室のリーダーである鈴木氏は、「お取引先様のデジタル化は銀行にとって完全に未踏の領域。われわれも、なにを、どう聞いて良いかわかりませんでした。だから室ができた当初は『勤怠管理どうですか』みたいな、とんちんかんな提案をしていました」と振り返る。

 さらにデジタル推進室のビジネスは、商材がITという話だけでなく、ビジネススタイルも従来の銀行業務とは大きな隔たりがあった。「行員はすでにある商品を勧めるのは強いのですが、課題に対して解決策を提案するような営業は、決して得意というわけではないんです」というのが、鈴木氏の分析。その点、デジタル推進室のビジネスは、顧客の課題ありきのソリューション型のビジネス。銀行が得意なプロダクトアウト型の営業スタイルと真反対だった。

 井上氏も、「今となっては、資産運用も、低金利時代にどのように資産を守るかという課題に対してのご提案だと思えます。でも、個人外交をやっていた当時は、やはり投信や保険という商品を売らなければという意識がありました。この意識でデジタルを提案するのは、ちょっと違うなということに、だんだん気づいてきました」と語る。プロダクトを売る銀行員と、顧客の課題に応える銀行員。同じ銀行員なのに見ている目標が違っていたわけだ。

 顧客の課題を聞き続けると同時に井上氏が取り組んだのは、デジタル推進室が考えるビジネスモデルに共感してもらい、プロダクトアウト型の行員の意識を変えることだ。といっても、集合型研修ではなかなか難しい。そのため、井上氏は案件で行員と同行する中で、少しずつ自分たちの想いを伝えていった。同行する行員の想いが伝わった行員は、営業の仕方が顧客の課題を前提とした提案に少しずつ変わっていったという。

課題はさまざま だからデジタルはゴールじゃない

 こうしてデジタル推進室が積み上げてきたのは、3年間で約800件という案件実績だ。「人の課題、バックオフィスの課題、資金繰りの課題など全方位で上がってきます。会社によって全然違うので『型化』ができない。だから、1社ごと課題を聞いてきて、チームで解決策に取り組んでいます」とのことで取引先の課題は多種多様だ。

 デジタル化だけがゴールでないだけに、解決策も千差万別というのが滋賀銀行のデジタル推進室の大きな課題だった。取引先の声に応えるべく、滋賀銀行のデジタル推進室は、3つのソリューションを用意した。具体的にピンポイントで決まっている場合は、100社以上の提携先とのビジネスマッチングを行なう。また、課題を深掘りすると人材の問題に行き着く場合は、採用や定着、教育などの活動につながるという。

 デジタル推進室でありながら、デジタルツールを活用したコンサルティングが出てくるのは、実は最後の最後。結果としてデジタルで解決できないことも多いという。「顧客の課題を聞いた結果、業務改善が必要になったら、デジタルツールの出番があります。でも、この商品を売らなきゃあかんというのはないので、お取引先様に合ったツールを探してきます」(井上氏)。

 今回の取材のきっかけとなったサイボウズのkintoneも、実はこうしたツールの1つに過ぎない(関連記事:地銀が地方の中小企業をデジタル化 滋賀銀行と伊予銀行が振り返る)。ただし、コンサルティング案件のうち約半分はkintoneを紹介している。「滋賀県は製造業のお客さまが多い。こうした製造業は多品種・小ロットの商材を扱い、大手がやらない手作業が多いので、パッケージソフトがうまくはまらない。こうしたときにkintoneで自社の業務にあわせてシステムを作った方が安い・早い・うまいのメリットが出やすいです」と井上氏は語る。多様な案件があるが、具体的には 基幹システムから出力したデータを扱う大量のExcelファイルをkintoneで巻き取るような案件が多いという。

中小企業は課題を言語化できない だから地銀こそ最強の存在になれる

 そもそもなぜ地銀がITコンサルか? 滋賀銀行から見た課題意識としては、取引先である中小企業にきちんとITの情報や提案が行き届いていないからだという。「今まで滋賀県の中小企業は、IT企業に行きつけませんでした。でも、3年間で800件以上という案件の数字がITへのニーズを物語る、なによりの証左だと思います」と井上氏は指摘する。

 では、なぜ中小企業がIT企業に行き着かないのか? これは自社の課題を正しく言語化できないからだという。「課題を言語化できないと、正しい解決策も思いつかない。正しい解決策が思いつかないと、相談先も思い当たらないんです」と井上氏は指摘する。

 たとえば、自社の課題について調べて「工程管理」という解決策が見つかった場合、工程管理で調べてみて、一番目立つところに連絡をとってしまう。こうして業者の声に従って、高価な工程管理システムを入れてみるものの、課題ややりたいことがあっていないため、当然うまく使えないという不幸が起こる。「私たちの活動は、こういった不幸をなくすためにあると思っています」(井上氏)。

 その点、銀行員は中小企業の経営者と会話できる関係性を持っているため、経営者から直接課題について話を聞くことができる。さらに現場の担当者ともコミュニケーションできるため、単に会社の事情を理解するのみにとどまらず、経営と現場のギャップまで押さえられる。「『社長はシステム入れる言うてるけど、入力する時間なんてないわ、勘弁してくれ』という現場の声はホントに多いんです」と井上氏は語る。

 経営者の思いと現場の課題をきちんと橋渡しし、両者が納得する解決策を考えられる。この銀行員という立場のアドバンテージはとにかくでかい。「経営目線、現場目線、IT目線でご支援できるのは、銀行ならでは。お客さまの課題を解決したいという強い想いを持っている銀行員がちょっとだけデジタルの知識を備えれば、お客さまの課題解決ができる最強の存在になれると思っています」と井上氏は指摘する。

デジタル推進室で必要なのは「デジタルが嫌いじゃない行員」

 現在、デジタル推進室は9人まで増えた。今年度は新入社員が直接配属されるというラッキーもあった。しかし、案件数に対して、まだまだ人が足りないのが正直なところだ。「公募するんですけど、銀行員はデジタルに対する抵抗感やアレルギーがとても強い。だから、向いている、向いていないという適性以前に、デジタルが嫌いじゃないというのが大きなハードルです」と鈴木さんは語る。とにかく地銀に今までなかった仕事なので、新しいことに前向きな人でないとなかなか難しいとのこと。

 井上氏にデジタル推進室での適性について聞くと「お客さまに興味なければできない仕事です。『こんなことに困ってます』という声をそのまま受け取ってしまうと、その言葉通りの支援で終わってしまいます」という答えが返ってきた。「なぜそれが起こるのか? それであってますか?という会話のキャッチボールをしないと、根本的な課題の解決に至らないと思います。私はお客さまの言葉を真に受けてしまうので、『ホンマにそうか? 確かめたか?』と鈴木によくしかられています(笑)」と語る。

 その鈴木氏は、「お取引先様自身が課題をきちんと認識しているわけではないので、ひたすらヒアリングです。デジタルになるときも、業務内容とIT化は不可分なので、業務の流れはかなり深掘りして、整理した上で、デジタル化を支援しています」と語る。そのためには、顧客の言葉の裏にある意図や課題の本質を見抜く洞察力や根気に加え、そもそもの問題設定自体があっているのかを顧客と突き止めていくコミュニケーション能力も必要ということだ。

大型化する案件 高まる期待 だからプレッシャーに打ち勝つのは大変

 現在、滋賀銀行のデジタル推進室で起こっているのは、コンサルティング案件のリピートが増える一方、顧客課題がどんどんディープになっているという事態だ。「顕在化している課題を解決していくと、お取引先様すら見えてなかった潜在的な課題が浮かび上がってくるようになっています。こうなると案件の難易度も高い」と鈴木リーダーは指摘する。

 一方で、こうしたハイレベルなコンサルティングを都市圏ではなく、きちんと地元で提供できることで、地銀の存在価値を示せると考えている。「従来の銀行の枠組みを超えていかないと、お取引先様から必要とされる存在でい続けられないと思っています。一年後には違うことができるようになっていようとチームでも話しています」(鈴木氏)。

 中期経営計画を前提として地方企業でのDXを支援する。そんなデジタル推進室の方向性とは別に、井上氏の目線はつねに「目の前にいるお客さまに喜んでいただくこと」にある。お客さまの感謝こそがモチベーション。ここだけは個人相手のキャリアから変わっていないのかもしれない。

 最近手がけた案件では、最初は勤怠管理の相談だったが、結果的に全社システムを変えることになり、パッケージか、フルスクラッチか、アナログかを分類し、結果的に十近くの課題が解決に向かっているという。「お取引先様も会社として大きく変化でき、『期待以上の仕事をしてもらえた』ということで、また新しい相談に結びついています。お客さまの感謝の重みが全然違うんですよ」(井上氏)とうれしそうだ。

 会社の期待通り案件が大型化すると、当然ながら難易度は高くなる。勉強することも増え、期待度も圧倒的に高くなる。「最近は、『お客さまの言っていることがわからない』といって泣くことはなくなりましたが、上層部とお客さまの期待に応えなければというプレッシャーに打ち勝つのは大変です(笑) 」と井上氏。泣き虫行員は、今日も琵琶湖畔で泣いているのかもしれない。

井上氏とリーダーの鈴木喜智氏

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