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Honda「TEAM YAMATO」に密着

Honda「S660」を作った中の人はレーシングチームの監督兼ドライバーになっていた!

2023年07月23日 15時00分更新

TEAM YAMATOのピットを見る椋本さん(の背中)

 業務としてモータースポーツに参戦する自動車メーカーが多い中、特別自己啓発活動としてほぼ手弁当でスーパー耐久シリーズに参戦する「Honda R&D Challenge(以下HRDC)」を以前ご紹介しました。実はHondaの特別自己啓発活動として、もう1チーム参加しています。その名はTEAM YAMATO。Honda史上最年少で開発責任者(LPL)に就任し、S660をつくりあげた椋本 陵さんが代表兼ドライバーを務めるチームです。

Honda四輪事業が始まった頃から存在する「歴史ある自動車部」

椋本 陵さん(2015年撮影)

筆者のS660(カスタマイズしています)

 椋本さんは、2010年に本田技術研究所創立50周年を記念して行なわれた社内コンテスト「新商品提案企画」で、手軽に乗れる“軽オープンスポーツ”を提案。その後、2011年に22歳の若さで開発責任者(LPL)に就任し、軽スポーツカー「S660」を作り上げました。話題が話題を呼び、さまざまなメディアに露出したので、椋本さんのことをご存知の方も多いかと思います。筆者が出会ったのもその頃で、彼に興味を懐きS660を試乗したら、いつの間にかハンコをポン。マイカーとして迎え入れてしまいました。

椋本さんが関わったHonda CITY(日本未発売)

 筆者が納車を待つ約1年の間、椋本さんは2016年頃にLPLの任を解かれ、本来のデザイナー職に戻ったのだとか。人にクルマを買わせておいて逃げるとは何事かと思いましたが、会社の都合なのですから彼に非はありません。戻った椋本さんが担当したのは、車内の限られたスペースの中に、どのように人や物を配置するか、という分野だそう。

 Hondaが掲げるクルマづくりの基本思想「人のためのスペースは最大に、メカニズムは最小に(マン・マキシマム/メカ・ミニマム)」を考えるのがお仕事とのこと。どうりでS660のドライビングポジションは気持ちがいいわけですね。ちなみに最近担当したのはタイなどで販売しているCITYなのだとか。

N-ONEオーナーズカップに参戦した椋本さん(2016年撮影)

 スポーツカーを作ったことから、モータースポーツが好きなのは理解できるのですが、どうしてスーパー耐久の監督兼ドライバーになったのでしょう。ことの発端は、任が解かれた2016年頃にさかのぼります。ある日「N-ONEオーナーズカップのドライバーに空きがでたので、代わりにサーキットで走ってみないか?」という悪魔の誘いからです。

ホンダ・レーシング 参加型モータースポーツ プロジェクトリーダー 岡 義友さんは、元S660のテストドライバーだったとか!

 もともと彼の近くには、後にモータースポーツに関係する人が多いようで、現在スーパー耐久のST-Qクラスに参戦するHRC(ホンダ・レーシング)で陣頭指揮を採る岡さんは、なんとS660のテストドライバーで、さらにHRDCの代表を務める木立さん(現:Honda広報部)の教え子というから驚き!

HondaF1を率いた山本雅史さん

 さらに「新商品提案企画」で椋本さんを支えたデザイン室の上司は、2019年からHonda F1専任のマネージングディレクターを勤めた山本雅史さんというではありませんか。ちなみに山本さんは昨年「勝利の流れをつかむ思考法 F1の世界でいかに崖っぷちから頂点を極めたか」(KADOKAWA刊/1650円)を上梓されており、その中で具体的な車種のことは出していないものの、この「新商品提案企画」のことについて触れているので、興味のある方はご一読ください。

■この記事を読めばさらに楽しい

 

F1で頂点を極めた山本雅史氏から学ぶ成功体験の作り方

 スポーツカーを作りたいという人の近くには、モータースポーツに関する人が集まりやすいのかもしれませんが、とにかく世間は狭さには驚かされます。

 話を戻し、この悪魔の誘いが椋本さんとTEAM YAMATOの出会いの始まり。N-ONEでスポーツランドSUGOを走ったところ、モータースポーツの楽しさにハマってしまい、TEAM YAMATOで活動するようになったのだとか。ところが、このTEAM YAMATO。実は創設が1965年とHondaが四輪事業を始めた頃から続く、実に由緒正しき“部活動”だったというではありませんか。こうして活動しているうちに、いつの間にか代表に祀り上げられ、現在に至るというわけです。

決勝前に作業をするスタッフ

 Hondaに入ったからといって、誰もがHRCに行ってF1やMotoGP、SUPER GTやSUPER FORMULAに携われるわけではありません。社会や企業は、自分の希望どおりにはいかないものです。ですがHondaは、どうしてもモータースポーツをやりたいという思いの受け皿として、二輪や四輪問わず、業務時間外に行なう部活動、正しくは「特別自己啓発」と呼ぶそうですがですが、本人が希望すれば、部活動に参加できるのだそう。そして活動を通して、本来の業務である「次のクルマづくり」に役立てようというわけです。

 このような活動は、事業所ごとで行なわれているとのこと。ちなみにほかの自動車メーカーに似たようなものはあるのかというと、筆者の知る限り、Hondaほど活発ではないようです。

TEAM YAMATOのスタッフ、ドライバーたち。全員がHondaの関係者で有給を取得して参戦している

椋本さん。現在独身とのことです

 それゆえ社内には特別自己啓発活動に対して理解があり、有休申請が通りやすいのだそう。椋本さんも、スーパー耐久に参加する時は木曜日ぐらいから有給を取得されているとのことで「もう、有休を使いすぎてヤバいんですよ(笑)」だとか。ご家族から「休みの日はレースばかりして!」といった文句が来ないのかなと思いましたが、安心してください。現在35歳の椋本さんは独身です。

TEAM YAMATOの参戦車両

 TEAM YAMATOは、若い方を中心にスーパー耐久シリーズのほか、ダートトライアル、そしてN-ONEオーナーズカップなど、幅広いカテゴリーに参戦しています。部員は20名弱で、勤務先は様々。中には純正用品を手がける関連企業・ホンダアクセスの方もいらっしゃるのだそう。

 スーパー耐久シリーズに再挑戦し始めたのは2017年からで、以来、先代のFIT RSで参戦を続けています。昨年、新しくFIT RSが出たのにどうして先代? と尋ねると「MT仕様がないから」と、ちょっと残念そう。

暗闇の中を走るTEAM YAMATOのFIT(2023年の富士24時間レースより)

 椋本さんがチーム代表になったのは2020年から。そして一昨年、初めて富士24時間に挑戦したのだそうです。初年度は勝手がわからず「しっちゃかめっちゃか」だったそうですが、今年再挑戦すると「前回の経験が自信になりました」というわけで、成長を感じられたとのこと。この「成長」が、特別自己啓発という活動において重要であり、レースに参戦する最大の目的なのだとか。もちろん勝利は目指しますが、勝利以上のものを常に得ているというわけです。

車体には「R.MUKUMOTO」の名前がシッカリとある

椋本さん

 チーム代表兼ドライバーとして参戦する椋本さん。その活動が本職であるデザイン業務に結びつくのかというと、「直接的には結びつかない」といいます。ですが「レースウィークはもちろんですが、次のレースに向けての準備など、モータースポーツはやることがとても多いんです。その限られた時間の中で、やる/やらない、という判断を瞬時に決めなければなりません。これは自分はもちろん、ひとりひとりに求められます。これが普段の業務に役立つと思っています」と分析します。仕事に順位付けをして納期を守るのはビジネスマンとして必要なスキル。それに仕事を終わらせずにサーキットに行っては「あいつは仕事をせず、有休ばかりとって遊んでいる」と怒られてしまいますからね。

HRDCのシビック TYPE R

HRDCのスタッフとドライバーたち

 特別自己啓発活動という点でHRDCとTEAM YAMATOは同じです。ですが生い立ちは異なり、HRDCはシビック TYPE Rの開発責任者である柿沼さんと開発ドライバーの育成を担当されていた木立さんという、車両開発側の人が「シビック TYPE Rでニュルブルクリンク24時間レースに参戦しながら、人材育成をしたい」と「業務」として出発し、その後、特別自己啓発へと変わったという生い立ちがあります。

 一方、TEAM YAMATOは発足当初からHondaの自動車部(後に特別自己啓発活動)として、様々なカテゴリーに挑戦しています。ですのでHRDCは開発寄り、TEAM YAMATOは参加することに重きを置いているといえそう。

「サーキットのリトルエンジェル」(自称)で「サーキットのブラックダイアモンド」(筆者命名)である、HRDCを応援するレースクイーンの葵 成美さん(富士24時間で撮影)

TEAM YAMATOのピット内に飾られていた某レースクイーンユニットのウチワ

 あとHRDCには「サーキットのリトルエンジェル」であり「サーキットのブラックダイアモンド」とも言われるレースクイーンの葵 成美さんがいらっしゃるのですが、TEAM YAMATOにはいらっしゃいません。その代わりと言っては何ですが、ピットには他チームが配布していた人気レースクイーンユニットのウチワがさり気なく置かれていました。

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