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ソニーの輝かしいハンディカムの歴史の中で密かに散った製品をピックアップ

2023年05月19日 12時00分更新

スマホ全盛の今でもユーザーが多い
ハンディカムを振り返る

 ソニーの歴史を振り返ってみると、ハンディカムの富に富んだバリエーションが多いことに気づきました。 1980年に誕生した8ミリビデオカメラは、そのコンパクトさに加えて「パスポートサイズ」というキャッチーなフレーズをうたい文句に、日常を記録するアイテムとして長らく君臨し続けるわけですが、ソニーはあの手この手と様々なモデルでユーザーを惹きつけていたように思います。

 確かに、当時は出るたびにワクワクしてましたけど、今思えばよくもまぁ、これほどまでに変態的なモデルを生み出していたなと感心するばかりです。

 画期的だったのは、1992年に発売された板式のCCDを家庭用ではじめて搭載した「CCD-VX1」です。光の3原色(赤、緑、青)を専用のCCDで受光して、原色を忠実に再現するという、もはや業務用でしかありえなかった3つのCCDを使ったビデオカメラが手の届くところに来ました。コンパクト路線で民衆のハートを掴みながらも、こうした最高級モデルを出してくるのがソニーのニクイところです。

「CCD-VX1」(1992年)

 1995年には、8mm方式からさらに小さくデジタル化したDV方式のビデオカメラが登場しました。デジタル方式になったことで、画質や音質の劣化がほとんどなく、そのうえカメラ本体も小さくなるという良いことづくし。ここで民生用ビデオカメラは、アナログからデジタルの時代へ突入します。

 DV方式ビデオカメラの1号機は、またもや3CCDを採用した高級路線のモデル「DCR-VX1000」。ここで始めてDV端子というものを搭載して、この頃普及しつつあったパソコンとの連携を深めていきます。DV端子は、シリアルインターフェース規格のIEEE1394の通称でしたが、ソニーはより親しみやすくするために、「i.Link」という名前をつけました。

「DCR-VX1000」(1995年)

 IEEE1394は、当時のアップルコンピュータはFireWire、またi.LINKとも呼ばれていた規格で、こちらの名前で知っているひとがいるかもしれません。

 データ転送速度は初期は100Mbpsで始まり、PCやMacに搭載されていたものは400Mbpsや800Mbps、最終的には最大3200Mbpsまで達した規格で、大容量の映像データをやり取りできるということで、撮影した映像をデータの劣化なしにPCに取り込むことができました。何しろそれまで8mmハンディカムで撮影した映像を編集するには、黄色と白赤のコンポジット信号から出力したものをビデオ編集機に通していくしかなく、画質の劣化が避けられませんでした。

 お気に入りの作品を作ろうと編集を繰り返すごとに画質が汚くなるというジレンマが、デジタルに置き換わったことで解消されたのです。それどころか、映像や音声を好きなところに配置したり消したり、何度も試行錯誤できるノンリニア編集ができるなんてもう夢のようでした。

パスポートサイズやカールツァイスレンズなど
ますます勢いに乗るソニー

 その翌年(1996年)には、DVカメラで新たなパスポートサイズ版の「DCR-PC7」がまたまた世の中をあっと言わせます。液晶モニターを備えつつも、DVカメラとして業界最小最軽量。68万画素CCDで高画質の映像が撮れることに加えて、今までから考えられないようなコンパクトさになりました。

「DCR-PC7」(1997年)

 パスポート(一般旅券)が、1992年にB7サイズに小さく変更になったことをうけて、8mm時代の「パスポートサイズ」よりも小さくなった「新パスポートサイズ」というフレーズのCMが全国を駆け巡りました。しかも、従来は横型が主流だったものから、縦型のシューティングスタイルなり片手で撮れるという手軽さがウケて、飛ぶように売れまくったのです。

 この頃にはドイツの高級レンズの代名詞でもあるカールツァイスレンズを搭載した「CCD-TR555」が登場。 ビデオカメラにレンズまでこだわる事で、色描写にこだわる上級者層の心もガッチリを掴みます。これ以降、ソニーのカメラにはカールツァイスレンズが採用されているということがひとつのステータスのようになり、今なおサイバーショットやXperiaのカメラにも受け継がれています。

 ややこしい事に、1999年にはHi8テープにDV方式とほぼ同等の高画質を記録できる、デジタル8方式というものまで登場しました。その最大のメリットは、Hi8テープをそのまま使えることで、今まで撮りためた8ミリテープも再生できて、かつデジタル化の波にも乗れり遅れないこと。DVテープを売りたいけど、8ミリテープを世に出して普及させた責務のようなものもあったのでしょう。

 さらにCCDが高画素化してくると、動画のみならず静止画の記録も可能になりました。記録媒体は、あの薄紫で細長いソニー独自規格のメモリースティック。初登場時は容量がたったの8MBしかなく、解像度の低い静止画を記録する程度でしたが、107万画素のCCDを搭載した「DCR-PC100」では、メモリースティックに静止画だけでなく音声つきの動画まで記録できるようになりました。

「DCR-PC100」(1999年)

 このあたりは日進月歩で、その後継機種「DCR-PC120」になるとCCDは155万画素にアップしたり、Bluetoothを内蔵して携帯電話からワイヤレスで映像を送るといった機能まで備わっていきました。

売れまくっている影で
ひっそり消えたモデルも……

 そんなイケイケ状態の中、まさに記録媒体へのチャレンジというか、8ミリやDVなどの定番規格の影に隠れて、花開くことなく密かに散っていったモデルもたくさんありました。ここからは、この時代のソニーのチャレンジの爪痕をいくつか紹介します。

 「ビデオなカメラ」をキャッピコピーに登場した、ポケットサイズのビデオカメラ“Ruvi(ルヴィ)”。 動画や音声付きの静止画を撮れるコンデジスタイルのお手軽さをウリにしていました。メカデッキとテープが一体化した小型のビデオカートリッジが丸ごと中に入っていて、ぱっと見た感じデジカメ風に使えそうでいて、中身はテープという便利なのか便利じゃないのかわからない仕様だったのです。

Ruvi(1998年)

 言うまでもなくコンデジの競争の波に飲まれて消えていきました。

 MPEG2動画を記録する新フォーマット「MICRO MV」に対応したネットワークハンディカム「DCR-IP7」は、ミニDVカセットと比べて容積比で約30%も小さくなったMICROMVカセットを採用したことで、重さはたったの310gという超小型軽量ボディーになり、携帯性はバツグンでした。またもや小さいカセットというムーブメントを起こせるかと思いきや、録画時間や画質、編集の取り回しの便利さなどはミニDVにかなわず。

「DCR-IP7」(2001年)

 他社からの参入もなく、完全にソニー独自規格となってしまい、後継機種も数モデル出たのみで、その後フェードアウトしてしまいました。

 次に直径8cmのDVDを本体内におさめて記録するDVDビデオカメラ「DCR-DVD201」です。片面に1.4GBの容量を持つ8cm DVD-RとDVD-RWにおよそ20~60分の撮影ができました。DVDだからこその、テープにはない快適な操作性と、撮ったらすぐにDVDプレーヤーで見られるというのはとても便利です。

「DCR-DVD201」(2004年)

 ですが、容量に対して画質が伴わないうえに長時間の撮影に向かず、DVDの最大のネックともいうべきDVD-RとDVD-RWの使い分けやファイナライズのメンドクサさもあって ビデオカメラというジャンルには向かなかったようでした。

 以上のように、8ミリビデオカメラよりもあとの10年の軌跡を思い返してみると、いかにたくさんの試行錯誤、成功と失敗があったのかがうかがえます。

 とはいえ、ここが終着点ではなく、この後に起きるブレイクスルーとなった、1080i方式ハイビジョン記録が可能なHDV規格対応デジタルビデオカメラレコーダーの登場によって、さらなる混沌へと突入していくのでした。

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筆者紹介───君国泰将

ソニー(とガンダム)をこよなく愛し、ソニーに生きる男・君国泰将氏

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