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「アートでめぐる横浜18区」港北区編 現実の中の幻想的な一瞬、光と影を描く作家の代表作ー山本貞《地の光景》

2023年01月12日 10時00分更新

山本貞《地の光景》1996(平成8)年 高さ130.0×幅30.0×奥行き27.0 cm 横浜美術館蔵(作家寄贈) 2021年度新収蔵

 皆さん、こんにちは!

 大規模改修工事のため長期休館中の横浜美術館。休館中は、長い間、市民の皆さんに親しまれてきた、横浜美術館コレクション(所蔵作品)の魅力や休館中の活動、リニューアルに向けての取り組みなどをさまざまな切り口でご紹介します。

前回の記事はこちら
「アートでめぐる横浜18区」港北区編 アトリエに残された息遣い

※過去の連載記事はこちら
アートで暮らしに彩りを。ヨコハマ・アート・ダイアリー

横浜美術館コレクション×18区

 さて、横浜美術館のコレクションの中には横浜市内18区と関連する作品があるのをご存じですか? 横浜の風景が描かれた作品、横浜出身の作家や横浜を拠点に制作活動にはげんだ作家の作品などを所蔵しています。

 「横浜美術館コレクション×18区」では、これらの作品や作家についてご紹介します。今回は、港北区ゆかりの作家、山本貞(1934年〜)《地の光景》についてのご紹介です。

山本貞《地の光景》1996(平成8)年 油彩・カンヴァス 162.1×259.1cm 横浜美術館蔵(作家寄贈) 2021年度新収蔵

現実の中の幻想的な一瞬、光と影を描く作家の代表作ー山本貞《地の光景》

 強い日差しが地表につくり出す、樹木の大きな影。木漏(こも)れ日を背に浴びながら、土と草の手触りを感じ、少年は地面の何かに視線を集中させています。季節が夏であれば、あたりは蝉(せみ)の声に包まれ、その先に周囲の街の騒音も、かすかに響いていそうです。けれども、そういった世界の様相は、夢中に遊ぶ少年の感覚からは、はるか向こうに遠ざかって、むしろ静けささえ感じているでしょうか。時が止まってしまったかのような、音もなく、動きもない、現実の中の幻想的な一瞬。光と影を追求し続ける作者の、横浜市港北区・大倉山公園に取材した代表作です。

横浜美術館スタッフが18区津々浦々にアートをお届け!
「横浜[出前]美術館」―ミュージアム・コレクションの未来―

 横浜美術館は、休館中の間、学芸員やエデュケーター(教育普及担当)が美術館をとびだして、レクチャーや創作体験などを横浜市内18区にお届けします。その名も「横浜[出前]美術館」!

 第14弾は、港北区の慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎に、学芸員によるレクチャー「ミュージアム・コレクションの未来」をお届け!その様子をレポートします。

 また講座参加者の皆さんに「みんなに伝えたい!わたしの街のいいところ」をきいてみました。今まで知らなかった新たな魅力が見つかるかもしれません!

横浜美術館のコレクションから現代美術を紐解く
講座名:「ミュージアム・コレクションの未来」
開催日時:2022年10月29日(土) 14時~15時30分
開催場所:慶應義塾大学 日吉キャンパス 来往舎
講師:木村絵理子(横浜美術館主任学芸員)
対象:12歳以上
参加人数:65名

 今回は、慶應義塾大学教養研究センターの後援をいただき、港北区にある慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎にて開催されました。

 東急東横線・目黒線、横浜市営地下鉄グリーンライン日吉駅を出ると、すぐ目の前に見事な銀杏並木がのびているのが目に入ります。ここが慶應義塾大学日吉キャンパス。入口に門のない開放感あふれるキャンパスの一部は市民に開放されており、近隣の皆さんのお散歩コースなど、憩いの場としても親しまれています。「[出前]美術館」は、教養研究センターが入る来往舎1階のシンポジウムスペースで開催しました。

面白い?わかりにくい?クリスチャン・ヤンコフスキーの作品と背景

 現代美術はしばしば「わかりにくい」といわれます。今回は、横浜美術館が所蔵する2つの作品を通して、社会の状況と深くつながっている現代美術について考えてみました。

 1つ目は、クリスチャン・ヤンコフスキーのシリーズ作品「マッサージ・マスターズ」より、2017年の写真作品《彫刻足ツボ・マッサージ》を取り上げます。作品の中央に写るブロンズ像は、近代彫刻の父と呼ばれるオーギュスト・ロダンの《瞑想》という作品で、これを男性が支えているようにも見えます。

 この作品は、2017年に開催されたヨコハマトリエンナーレ2017に際して制作された映像作品と対になるものです。横浜トリエンナーレは、3年に一度開催される現代美術の国際展で、2017年展のタイトルは『島と星座とガラパゴス』。当時は、中東や北アフリカから多くの難民が流出するなど、世界中で異文化の衝突が問題となっており、「他者との共存はいかにして可能か」という問いが展覧会企画の根幹にありました。

 作者のヤンコフスキーは、この作品において、日本で活動するプロのマッサージ師を横浜に招き、街中にある公共彫刻(パブリック・アート)をマッサージすることを依頼、その様子を作品化しました。参加したのは、リンパ、足ツボ、頭皮など各分野の専門家です。人体を知り尽くした人が、人の手が生み出した彫刻を触りながら鑑賞したときに何が見えるのか、ということを考えさせる作品で、シリーズの中核をなす映像作品の中ではマッサージ師が彫刻を「診断」する声も聞かれます。日本では、街のいたる所で公共彫刻を見かけますが、私たちが普段生活する中で、その存在に気を止める機会はほとんどないのではないでしょうか。ヤンコフスキーはそんな公共彫刻に注目し、彫刻と私たちの間にある「カチカチになってしまった彫刻との関係をもみほぐそう」としたのです。

 

 クリスチャン・ヤンコフスキーは、東西ドイツが分断されていた1968年生まれ。彼が生まれた旧西ドイツのゲッティンゲンは東ドイツとの境に近い地域にあります。彼が生まれた頃は、ちょうど学生運動が世界中で最盛期を迎えていた頃で、ゲッティンゲンは西ドイツの中でもとりわけ学生運動が盛んだった町の一つでした。進学してハンブルグに移り住んだ頃に、1989年のベルリンの壁崩壊と、東西ドイツ再統一を経験します。こうした時代背景は彼のアーティストとしての活動に大きな影響を与えているのではないかと講師は考えています。1992年、実質的なデビュー作のような位置づけにある《The Hunt》を発表。これは、弓と矢を持ってスーパー・マーケットへ行き、欲しいものを狙って矢を放ち、射ったジャガイモなどをカートに入れて買い物をする、というパフォーマンスを収めた映像作品です。

 1990年代、冷戦終結後の世界では各地で紛争が頻発。中東では湾岸戦争が起こるなど政治的に難しい状況が続き、ヨーロッパは不況による通貨危機に陥っていました。こうした時代背景を考えると、ヤンコフスキーのちょっとバカバカしくも見えるパフォーマンスには、経済不況や消費主義社会の行末といったテーマが内包されていることがイメージされます。

 また、2013年にはこれも「マッサージ・マスターズ」と同様にヨコハマトリエンナーレ2017に出品された《重量級の歴史》を発表。これは、ポーランドを代表する重量挙げの選手たちが公共彫刻を持ち上げる様子をスポーツ・アナウンサーが実況中継する、というパフォーマンスにもとづく映像作品です。作品の背景には、90年代から2000年代初頭にかけて、主に旧東側諸国の広場などに設置されていた彫像(とくにレーニン像やスターリン像)が相次いで撤去されていた、という出来事があります。作品の中で彼らが持ち上げようとしているのは、そうした古い社会主義体制を象徴する像が含まれています。

 歴史上起こった難しい問題を考え直すのは辛く重いことです。彼は、その重さを彫像の重さになぞらえ、「重い歴史も、みんなの力で持ち上げることができるのではないか」というメッセージを、ユーモラスな手法で発信したのです。

 改めて「マッサージ・マスターズ」について考えてみると、本作が制作された2017年、日本には2020年の東京オリンピックや2019年のラグビーW杯の開催に向かう、明るい空気が満ちていたと思います。ヨコハマトリエンナーレ2017に向けてヤンコフスキーと打ち合わせを行った際、「日本では今、みんなの興味はオリンピックに向いている」という話が出ました。そんな熱狂へと向かう中で「日本の公共空間におけるパブリックアートの役割とは?」という問いが、この作品の出発点になりました。

 ヨーロッパでは、広場の中央に彫像があり、それは国や民族などを象徴するものであるのが当たり前。彼らは「広場に彫像が建っていたら、そこには必ず意味がある」という文化で育っています。それに対して、日本には近代に入るまで宗教的な場を除いて、公共空間に彫像を建てる習慣がありませんでした。彫像が建てられるようになったのは明治以降になってからのことですが、それらの多くは、第二次世界大戦中に金属供出のために撤去されました。このため、現在まで残る日本の公共彫刻はほとんどが戦後に新たに設置されたものです。そのほとんどは、政治的メッセージとは無縁のもの。たとえば、横浜の大通公園にはロダンやヘンリー・ムーアなど美術史上有名な作家たちの作品が置かれていますが、日本や横浜の歴史とはあまり関係ありません。ヤンコフスキーは「日本の公共の場に設置された普段気に留められることの少ない公共彫刻に、市民との関係を通わせるために、マッサージをしよう」と考え、「マッサージ・マスターズ」を制作したのです。

 ヤンコフスキーというアーティストの背景には、東西ドイツの再統一などヨーロッパの政治状況があり、作品が人々に理解される上で様々な影響を与えています。そしてそれはこの時代のヨーロッパだけに特有のものではありません。社会や経済に自身の生活が影響を受ける世界中の多くの人に共感できる要素が詰まっています。現代の作家たちがつくる作品の多くは、その作品がおかれた文脈、この作品が生まれなければならなかった時代背景を理解すると、「なるほど」と思う瞬間がおとずれます。そんな最初のステップが踏み出せれば、現代美術は古い時代の作品を理解するよりずっと「わかりやすい」かもしれないのです。

横浜美術館のコレクションは、どのようにしてはじまったのか

 こうしたヤンコフスキー作品をはじめとする、横浜美術館のコレクション収集はどのようにはじまったのでしょう。

 1960年代、現代美術を紹介する美術館は、国内にはほとんどありませんでした。そんな中、1964年に横浜市民ギャラリーがオープンし、現在まで続く日本の現代美術作家のグループ展「今日の作家展」がスタート。その後横浜市にも本格的な美術館を設置しようという気運が高まり、1981年、横浜市美術館資料収集委員会が発足し、コレクション収集に関する検討がはじまりました。そして1982年には、最初の546点が収集されました。

近代から現代へ、フランシス・ベーコンの作品と背景

 ここで1981年に横浜市美術館資料収集委員会発足当初から収集候補に挙がっていて、1983年にようやく収集が叶った一群の作品の中の一点をご紹介します。

フランシス・ベーコン《座像》 1961年(横浜美術館コレクション)

 この作品は、元々新潟県の長岡市にあった長岡現代美術館が所蔵していた作品群の中にありました。長岡現代美術館は、元大光相互銀行頭取・駒形十吉のコレクションをベースとして1964年にオープン。日本で初めて館名に「現代」を冠し、前衛作家を表彰するアワードも実施していた美術館です。ベーコンによる《座像》の制作は1961年。翌年にサンフランシスコで英国の現代美術を紹介するグループ展が開催された際、現地の画商を通じて駒形十吉のコレクションに入ったようです。残念ながら大光銀行の破綻により、1979年に美術館は閉館。コレクションは日本各地の美術館に分散します。横浜美術館はこの旧大光コレクションから多数の作品を購入した館のひとつで、《座像》はその中の1点でした。

 フランシス・ベーコン(1909-1992)はしばしば特定の芸術運動などに分類しがたい作家と言われることがあります。ベーコンが活躍した60〜70年代は、コンセプチュアルな表現や、ハプニングのような体を使ったパフォーマンスなどが注目された時代でした。そうした中で、彼の作品はどちらかというと具象的にもみえる絵画であり、しかしながらフォルムは崩れるような同時代のフランスにおけるアンフォルメルにも似た表現ともいわれます。  でも、絵画の表現手法ではなく、彼が「何を描こうとしたのか?」という観点から読み解いてみると、別の見方ができるかもしれません。《座像》に描かれている男性は、ベーコンの当時の恋人であると言われます。またこの作品の構図は、ベーコンがディエゴ・ベラスケス《教皇インノケンティウス10世の肖像》(1650年、Doria Pamphilj Gallery、ローマ蔵)に着想を得て描いた彼の代表作《ベラスケスによるインノケンティウス10世の肖像画後の習作》(1953年、Des Moines Art Center、アイオワ蔵)と非常に似通っています。ベーコンは生前から同性愛者であることを認めており、恋人の姿を教皇と同じポーズで描いたことには何らかの意味を見出したくなるところです。一つの時代背景として、当時の英国で同性愛者が置かれた状況が考えられるかもしれません。イングランドの法律で同性愛が合法化されたのは1967年。それまでのベーコンは、自分の性的嗜好が違法となってしまう国に生きていたのであり、そうした社会の価値観を方向付けてきたキリスト教を象徴する存在と似た構図で、自分の恋人を描いていたということでもあるのです。

 美術史を考えるとき、宗教美術や歴史画など、常に社会と密接に結びついていた近代以前の美術に対して、近代美術は芸術が芸術のためにだけ存在しうるようになったといわれます。しかし必ずしも美術は社会と切り離された訳ではなく、現代美術を理解する上では、社会との関係を考え合わせることが重要な鍵になることも多いのです。

美術館の未来

 最近、ヨーロッパの美術館の展示作品が、環境活動家によって襲撃される事件が相次いでいます。これは、美術館の社会的意義、役割などが強く問い直される時期に差し掛かっている、ということかもしれません。

 ヨーロッパは現在、深刻なエネルギー不足に陥っています。その一番の原因はロシアによるウクライナ侵攻にありますが、地球規模での気候変動も大きな影響を与えていることは間違いありません。そんな状況にあって、美術館をターゲットに抗議活動を展開する環境活動家の主張は、政府のエネルギー政策や経済効率を優先する社会への糾弾です。社会の豊かさと成熟を象徴する美術館は、格好の標的でもあるのです。こうした状況はすぐに解決できることではありません。美術館は、困難な状況の中でも多様な価値観や選択肢を見出そうとするアーティストの活動を通じて、普段の生活の中で凝り固まってしまいがちな考えを揉みほぐし、異なる考え方、生き方にチャレンジするきっかけとなる社会教育の場としても存在しています。文化芸術が持つ社会的役割をどうやって示していけるのか、再開館後の横浜美術館を楽しみに、ぜひご来館ください!

 最後に行われた質疑応答では、現役の慶大生から積極的な発言が相次ぐなど、予定時間を超過するほどの盛り上がりを見せました。ご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました!

※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、ガイドラインを遵守した対策を講じた上で実施しています。

▶︎「横浜[出前]美術館」開催予定の講座はこちら

18区の魅力発見! 講座参加者の皆さんにきいた「みんなに伝えたい!わたしの街のいいところ」

 横浜のことを知っているのは、よく訪れたり、住んでいる方々! 講座参加者の皆さんの声から港北区の魅力をご紹介します。

 都心や横浜中心地への交通の弁がよく、新しい施設が充実。 緑豊かに自然も残る、若々しさあふれる町。

●慶應義塾大学日吉キャンパス敷地内にある学生寮跡や地下壕遺跡が凄い(横浜市外在住、60代)
●便利で緑が多いところ(神奈川区在住、70代)
●新幹線の駅や、首都高速・第三京浜のインターに近く利便性が高い。大倉山記念館は建物部屋を安く利用できる。その先には梅林もあり、散策を楽しめる(港北区在住、50代)
●都心や横浜中心地へのアクセスが良い。人が多すぎず静かに暮らせる(港北区在住、60代)
●新しい施設が充実している(横浜市外在住、60代)
●若者向けのお洒落な街(港南区在住、70代)
●新横浜の横浜アリーナは、コンサートでの楽しみなスポット(戸塚区在住、70代)
●大倉山公園がある(旭区在住、50代)
●どこへ行くのも便利(港北区在住、70代)
●自然が残っている(鶴見区在住、70代)
●娯楽施設の多さ、活気がある(神奈川区在住、20代)
●慶應義塾大学がある(港北区在住、50代)
●若さが伝わる(港北区在住、20代)
●日吉の銀杏並木は、香りはともかくとても綺麗です(横浜市外在住、20代)
●大倉山や日吉など歴史的建築物がある(横浜市外在住、40代)

――みなさんもぜひ港北区を訪れてみてくださいね――

・神奈川区編「アトリエに残された息遣いと痕跡」はこちら

・保土ケ谷区編「今につたわる今井川のほとりの小さな社―亀井竹二郎が見た明治初期の保土ヶ谷宿」はこちら

・港南区編「夫婦そろって、は初の快挙! 共に高め合い、それぞれ築いた絵画世界。山中 雪人《釈迦三尊》、水谷 愛子《亮と兄ちゃん》」はこちら

・南区編「波間に浮かぶタコとカニ。確かな技術が可能にした三代井上良斎の自由な作陶。井上良斎(三代)《波文象嵌壺(はもんぞうがんつぼ) 銘「海」》」はこちら

・旭区編「絵からどんな歌がきこえる? 岡本彌壽子(やすこ)《幻(捧げるうた)》」はこちら

・都筑区編「波しぶきにこめられた、荒ぶる海のエネルギー。クールべ《海岸の竜巻(エトルタ)》」はこちら

・金沢区編「カラリストの真骨頂、色の魔法使い。高間惣七《カトレアと二羽のインコ》」はこちら

・戸塚区「幕末のイギリス人写真家・フェリーチェ・ベアトがみた戸塚。―カラー写真?絵画?どちらも違う「手彩色」写真とは―」はこちら

・青葉区編「中島清之が愛した青葉区・恩田町」はこちら

・栄区編「ステンレスと伝統的な漆芸の融合。新たな漆芸の可能性を追求する作家・赤堀郁彦」はこちら

・西区編「細やかな点描で、幻想的な世界を描く。田中惟之《港の博覧会》」はこちら

・磯子区編「消しゴムスタンプで「オリジナルのエコバッグをつくろう」。」はこちら

・鶴見区編「埋め立てが進む前の生麦の姿を捉えた、石渡江逸《生麦の夕》。黄昏時の下町風景にみる人々の暮らし」はこちら

この記事は下記を元に再編集されました

https://yokohama-art-museum.note.jp/n/n780899d871b4
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