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〈後編〉アニメの門DUO 数土直志さん(新潟国際アニメーション映画祭プログラムディレクター)に聞く

ガンダムの富野監督が海外だと功労賞ばかり獲る理由

富野監督が海外だと功労賞ばかり獲る理由

まつもと このへんで最後のコーナーにいきましょうか。ここまででいくつか話題は出ましたが、あらためて「海外の映画祭における“日本のアニメ”の位置付け」を。先ほどナラティブという言葉も出てきましたが、果たして海外では日本のアニメがどう評価されているのか?

数土 ああ。難しいですよね。たとえばアヌシーに行くと日本のアニメはここ10年間でよく取り上げられるようになったと思いますが、それが世界の傾向かというと……むしろアヌシーは非常に特殊なアニメーション映画祭で。

 世界のアニメーション映画祭で日本のアニメをきちんと取り上げていることは、ほぼありません。もちろん長編アニメーションのコンペには入ってきたりはするんですけれど、片渕須直さんが昔インタビューを受けたらちょっと誤解された文脈で記事が構成されて話題になった……。

まつもと 朝日グローバルの記事ですね。

数土 あの記事でも「また日本のアニメ?」って見られちゃうと。細田守監督も、映画祭に行くと日本のアニメというのはアニメーションのなかでは非常に特殊な位置付けにあるという旨の発言をしているし、それは今でもそうだと思うんですよね。選ばれた作品だけが評価されている、みたいな。

まつもと これは日本のアニメファンと映画祭で出てくる評価とのギャップの、すごく象徴的なことかなと思うんですけれども。

 事前の打ち合わせでも話題に出ましたが、海外の映画祭においては庵野秀明監督や富野由悠季監督の存在感が極めて薄い。海外のアニメファンのなかでは日本と同じように語られるわけなんですけれど、なぜ映画祭という場で存在感がそこまでないのか。このへんがちょっと切り口になりそうな気もするんです。

数土 アニメのコンベンションではとても大きく取り上げられてファンもたくさんいますが、映画の世界にはまた違う軸がある。たとえば細田守監督、宮崎駿監督、今だったら湯浅政明監督。いろんな映画祭でノミネートされて賞を獲っています。

 一方、富野監督の作品はエントリーの有無すらわからないけれども、いわゆるメジャーな映画祭でコンペインしたことは一度もないと思うんです。庵野監督も同様では。

まつもと 湯浅監督や細田監督は長編映画のなかに芸術的な描写が――これも表現が難しいんだけれど――わかりやすく入っているので、アートの軸でも評価されやすい。富野監督の作品は極めて映画的ではあるのだけれれども、映画祭で求められるアート的な何かがあるのかというと……。そんなところも影響しているんですかね。

数土 たぶんTVと映画の違いだと思うんですよね。ヨーロッパもアメリカも、映画が偉い国なんですよ。まず映画があって、そこからTVなどに展開していく。TV作品の映画化に対していまいち偏見がある。

 良い作品であっても、それはTVを基軸にした作品なので映画祭で評価するのはどうよ? みたいな感じで。たぶん、日本の映画ファンはそういうことはまったく気にしないと思うんですけれども。

まつもと そうですね。むしろうれしい、認められた感がある、みたいなところが。

数土 うん。作品としても『エヴァ』がTVシリーズだったとか全然、気にしないじゃないですか。それが良い作品であれば問題ないので。

まつもと 劇場版『Gのレコンギスタ』の1本目がイタリアの映画祭で世界初公開となったことにファンが不思議がっていたり。

数土 富野監督は僕の知っている限りでは2回、功労賞を獲っています。世界4大映画祭の次くらいに位置しているスイスのロカルノ映画祭、そしてシカゴ映画祭。

 たぶん、ヨーロッパやアメリカの映画祭は富野監督を評価したいんだけれども、どう評価していいのかわからない。じゃあ功労賞だったらいいじゃん、作品ではなくて富野由悠季だから、と。

まつもと とはいえ、海外の映画祭で日本アニメが存在感を出していくためには、やはりノミネートされること、そして受賞していかないといけない、という。

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数土 エントリーしたほうがいいと思いますよ。

まつもと まずはエントリーですよね。

数土 意外としていない気が。

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