新型コロナウイルスへの対策として注目を集めているワクチンの輸送には、安定した低温環境が求められている。そこに、シャープの液晶技術をもとにした新たなテクノロジーが利用されることになりそうだ。
シャープによると、同社の社内ベンチャーである「TEKION LAB」(テキオンラボ)が開発した「適温蓄冷材」が、このほど、初めて医薬品輸送などに利用されることになるという。
医療分野向けの定温輸送容器販売などを行うスギヤマゲンが持つ温度設計技術を組み合わせた医薬品向けの「定温輸送容器セット」を共同で開発。2021年1月5日から、スギヤマゲンを通じて販売を開始した。
TEKION LABが開発した「適温蓄冷材」は、シャープが液晶材料の研究で培った技術をもとにしたもので、マイナス24℃~プラス28℃の温度領域において、特定の温度で蓄冷することができるのが特徴だ。
シャープは、今回、新たに「3℃適温蓄冷材」を開発。3℃で融け、固体から液体に変化することで、「2~8℃」と「2~6℃」の両方の定温管理に適用できるようにしている。
2~8℃の温度が最適とされる検体やワクチン、細胞などの輸送や、2~6℃の範囲内での定温管理が必要になる血液の輸送などに利用できるという。
新型コロナウイルスのワクチンのなかには、マイナス70度前後で保管が必要なものもあるが、2~8℃での輸送が可能なワクチンもあり、こうした輸送でも活用できるというわけだ。
シャープでは、「超低温が必要なワクチンでも、接種前のいわゆるラストワンマイルと呼ばれる各拠点への配送や、集団接種が実施される場所の無電源環境などでは、2〜8℃で管理されるケースもあると言われており、この温度範囲での管理は大変重要となる。また、2〜8℃という温度管理は、保冷が必要な多くの医薬品にとって、重要な温度範囲になる」と説明する。
定温輸送容器セットの外形寸法は、幅340×奥行260×高さ340mmで、内容積は10リットル。3℃適温蓄冷材を4枚使用し、4℃グレード蓄熱材を4枚使用。重量は約6.7kgとなっている。
定温輸送容器セットで使用されるシャープの3℃適温蓄冷材は、テレビなどで使用されている液晶の技術を活用したものだ。
液晶は、固体と液体の中間に現れる特別な相状態であり、低温になって固体になったり、⾼温になって液体になったりすると、ディスプレイの機能が失われてしまうため、液晶が固体になる凝固温度はできるだけ低く、液体になる融点はできるだけ⾼くする制御技術が必要になる。
シャープでは、「液晶が真冬のスキー場でも、真夏の海岸でも、きちんとディスプレイとして機能するように開発した技術である」と位置づける。
状態が変化する温度を「相転移温度」と呼ぶが、この技術を氷が⽔に変化する0℃の相転移温度に応⽤。様々な物質を配合することで所定の温度に制御できるようにしたという。液晶材料そのものを使⽤しているわけではないが、液晶の実現には不可欠な制御技術を活用したものだ。
最初は、インドネシア向け冷蔵庫にこの技術を採用。冷蔵庫⽤には融点10℃、冷凍庫にはマイナス11℃の融点をもつ適温蓄冷材を開発。2014年7⽉から販売していた。
インドネシアでは停電が多いのが特徴だが、停電時に冷蔵庫内温度が上昇し、⾷材が傷むことを防ぐために用いられたものだ。
実は、この製品を開発した背景には、インドネシアに赴任していたシャープの社員が、数日間の出張中に、停電して冷蔵庫が止まっていたことに気がつかず、中に入っていた食材を食べて、おなかを壊したことがきっかけになっているという。日本では停電によって冷蔵庫が停止するということがほとんどないため、油断してしまったことが原因だったといえるが、そうした社員自らの体験が製品化につながった。
シャープでは、この技術を事業化する社内ベンチャーとして、TEKION LABを発足。日本酒の蔵元やお茶の企業との協業によって、マイナス11℃の蓄冷材を使⽤して、⽇本酒、煎茶ジン、⽇本酒スパークリングなどを、最適なマイナス2度で楽しんでもらうための提案を行い、これをもとに保冷バッグのセットを「テキオンクーラー」として、シャープブランドで商品化。さくら製作所と共同開発した「ワインスーツ」では、⾚ワインの飲み頃である16℃、⽩ワインの12℃、スパークリングワインの8℃を、氷や冷水などが不要ながら、⾷卓で約2時間保持できるようにした。
また、デサントジャパンとの協業では、夏場にスポーツを行う際に、手のひらを冷やして体温上昇を抑えるグローブや、顔を覆って冷やすことができるフェイスガードを開発し、販売を開始。パルシステム生活協同組合連合会とは、配送時における産地直送青果の品質を保持するために「12℃適温蓄冷材」を開発し、新たな配送システムのなかで活用している。
シャープでは、適度な温度で楽しめる美食体験ができる「Cheer」、最適な温度管理による信頼される物流を行う「Confidence」、適切な温度で快適な気分を実現する「Comfort」の3つの「C」から、「適温蓄冷材」のビジネスを推進していく考えだ。
スギヤマゲンとの共同開発は、一定温度内での厳格な温度管理が求められる医薬品の輸送に適温蓄冷材を活用するもので、年間を通した同一運用の実現により、医薬品の定温輸送を効率化することができたり、輸送準備をするための待機時間をなくしたりといったメリットが生まれるという。
たとえば、蓄冷剤は、使⽤前に凝固させる必要があり、蓄冷剤の凝固温度がマイナス10℃程度であったとしても、凝固までの時間を短縮するために、凍結庫の設定温度をマイナス20℃以下にする必要がある。だが、凍結庫から取り出した蓄冷剤の温度は、凍結庫と同じマイナス20℃程度になるため、蓄冷剤は、凍結庫から取り出して、梱包場所である5℃程度の冷蔵倉庫内で温度が上昇するのを待たなくてはならないという課題があった。具体的には、凍結庫から取り出した蓄冷剤を約2時間待機後、保冷ボックスを梱包1時間前に倉庫に投⼊する必要があったという。また、ここでは、梱包前待機時間を⻑くとってしまうと、蓄冷剤の融解が始まるため、保冷時間が短くなったり、待機時間が不⼗分だと、温度が低くなり過ぎるリスクがあった。
今回の「3℃適温蓄冷材」を使用することでこうした課題を解決。蓄冷剤のマイナス冷気を、凝固温度が4〜5℃のパラフィン系蓄熱剤に吸収させて、速やかに蓄熱剤の凝固を開始させ、蓄熱剤が4~5℃で⼀定になるようにするという。
「熱量バランスを考慮した蓄熱剤の量を調節することで、待機時間がなくても、医薬品にマイナス冷気が伝わらないように設計。また、熱伝導資材の温度設計により、均⼀な温度の保冷空間を作り出せるように設計した」(シャープ)という。
ここでは、スギヤマゲンが持つノウハウを活用し、容器の断熱能力や、蓄冷剤と蓄熱剤の配置、容量などの熱量バランス、熱伝導資材の使用によって、蓄冷剤を凍結庫から取り出した状態のまま、保冷ボックス内への設置を可能とする温度設計技術を開発したという。
これによって、梱包前待機時間をゼロにすることができ、大幅な業務効率化も可能になった。
さらに、外気温が下がる冬季には、保冷ボックス内の温度が2℃を下回ってしまうリスクもあったという。これを冬季にあわせて仕組みを設計すると、今度は、外気温が⾼い夏季には、上限温度逸脱のリスクが⽣じることになる。
これまでは、パラフィン系蓄冷剤で医薬品の全⾯を覆うといった手間やコストをかけたり、夏季と冬季で、それぞれに別の仕組みを採用したりといったことが行われていた。
「3℃適温蓄冷材」では、管理温度の下限に近い温度で医薬品を保冷。体積当たりではトップクラスの⾼い潜熱量を有しているため、保冷時間を⻑くできる特徴も持つことから、同一構成でありながら、冬季の下限温度逸脱と、夏季の上限温度逸脱のリスクを回避することが可能になるという。
「外気温35℃や、外気温0℃の環境下で、24時間以上、定温管理が可能であることを実証している」(シャープ)という。
同社の調査によると、外気温を1⽇に20~35℃まで変化させても、2〜8℃の保冷を約9⽇間(216時間)維持。2〜6℃の保冷では約8⽇間(192時間)を実現したという。
「定温輸送容器セットは、シンプルな運用手順で業務効率向上を可能とすることで、待機時間がなく、年間を通して同一運用ができるものであり、業界初の製品になる」(シャープ)としている。
シャープでは、健康・医療・介護分野向け事業の創出に取り組んでおり、今回の取り組みを、医薬品の定温物流分野に新規参入と位置づけ、今後の事業拡大の足掛かりにする考えだ。
また、スギヤマゲンでは、定温輸送容器のラインアップの拡充に取り組む考えを示しており、高度な温度管理を容易に実現する医薬品の定温輸送ソリューションの展開を両社で進めていくことになるという。
コロナ禍において、ひっ迫する医療現場を支援する一助になる技術になることを期待したい。
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