暗闇のなかで象をさわるとどうなる?――ビジネス寓話50選
2012年12月31日 13時30分更新
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短い寓話からたくさんのビジネスのヒントを学べると好評の『ビジネス寓話50選』(アスキー新書)から、寓話を抜粋。本日は第2章「売る」から。あなたはこの寓話をどう読みますか?
第13話 暗闇のなかの象
ある村に、1頭の象を連れたインド人の一行が訪れた。
象など見たこともない異国の人々の見世物にしようとしたのだ。村の片隅の暗い小屋に、象はおとなしくつながれていた。
やがて象の噂を聞きつけて、村の人々が小屋を訪れた。だが、小屋には明かりがなく、はっきり見えなかったので、人々はおそるおそる象に触れ、それを確かめた。
ある人は象の鼻に触れ、「象とは、まるで水道管みたいな生き物だ」と言った。
別の人は耳に触れて、「水道管? いやいや、扇のような生き物のはずだ」と言った。
また別のある人は脚に触れて、「いや、柱みたいな生き物だよ、象は」と言う。
さらに別の人は、背中に触れて「みんな違う。象は王座のような生き物だ」と言う。
小屋を出ても、人々は口々に言い合ったが、結論をみることはなかった。もしも小屋に蝋燭の明かりがあったなら、このような言葉の違いも生じなかっただろう。
(イスラム教の修行者スーフィーに伝わる話をもとに編者にて構成)
芯となるコンセプトを持つ
象に触れた人々は、誰ひとりとして間違ってはいません。たしかに象は水道管のような鼻を持ち、扇のような耳を持ち、柱のような脚を持ち、王座のような背中を持った生き物です。
しかし、全体を把握できないままに個別の部位だけに触れた人々は、自分が触れたものが鼻であり、耳であり、脚であり、背中であることすらもわからないわけですから、象が一体どんな生き物なのかを知ることはできません。
これは、企業のセクショナリズムの問題と重ねることができます。
企業を各役割ごとに特化したセクションに分けて専門性を高め、部分最適を進めていくことで、効率化が進み、成果が高まるという面はたしかにあります。しかし、セクション意識があまりに固定化すると、そこで働く一人ひとりが、自分自身がなんのために、なにを生み出しているのかがわからないまま、歯車として動いているとしか感じられないということになりかねません。さらには、自分の専門性のなかに閉じた、小さな発想しかできなくなるということも起こりえます。
あるいは、ブランドを形づくる際のものの考え方にあてはめることもできます。
象という生き物が鼻、耳、脚、背中といった部位の集合であるように、企業や商品も、機能、ロゴ、パッケージ、店舗、店員などのさまざまな要素の集合として形づくられています。それら一つひとつの要素がどんなに優れていたとしても、それぞれの要素が必然性なくバラバラだったとしたら、その企業や商品は決して魅力的なものになりません。
魅力的な企業や商品をつくるには、あらゆる要素の真ん中に、それらの芯となるコンセプトを持つことが重要なのです。
もうひとつ、プレゼンテーションの技術という文脈でもこの話は示唆的です。
人に自分の考えを伝えるとき、全貌が見えないままにいきなり細かなデータの話などをしても、相手は戸惑うばかりです。まず、これから自分がする話のテーマがなにで、大きな結論がなんなのかを先に伝えることで、プレゼンテーションはずっと伝わりやすくなるのです。
「One for all. All for one.」という言葉がありますが、「細部」と「全体」の有機的な連帯は、私たちの生活のあらゆる場面で大切なことなのです。
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