コンパイルといえば、『魔導物語』や『アレスタ』、『ぷよぷよ』など80~90年代のメジャーゲームを世に送り出したメーカーだ。過去にPC-98シリーズやMSXといったハードを使っていたユーザーであれば、なじみがある名前だろう。
1996年の幕張メッセで開かれた『第2回全日本ぷよマスターズ大会』では約1万8000人が参加するなど絶頂期を迎えたが、その後ソフト開発の遅延などから、手形が処理できずに和議を申請。再建を目指すものの2004年には解散となった。
根強いファンを残したまま数年の時を経て、2012年3月17日、新宿ネイキッドロフトにて、コンパイルの元社員が当時のエピソードを語る『魔導同窓会!コンパイルナイト!!』が開催された。元社長Moo仁井谷氏や北出マン氏ほか、『ぷよぷよ』の元CVアルル役の声優 小沢ミナコ氏らが出演した第1部と、そのままの流れで日付が変わり18日深夜の開発陣がメインの『裏コンパイルナイト~地下版~』の2部構成となった。会場には身動きがとれないほどの人がつめかけ、大好評のうちに終了。第1部の様子は以前レポート(下記リンク参照)したとおりだ。
その魔導同窓会コンパイルナイトが、かつてコンパイルの本社があった広島と東京 阿佐ヶ谷で再び行なわれる予定だ。第2回の概要と、前回イベントを知らずにいた人や、参加できずに涙を飲んだ人のために、『裏コンパイルナイト~地下版~』のイベントレポートを後編としてお送りする。広島開催に備え、前編と合わせて予習しよう。
【コンパイルナイト開催概要】
■広島開催
『“ばよえ~んツアー2012”『魔導同窓会!コンパイルナイト!!in広島』
日時:9月22日(土)18時~(17時開場)
場所:音楽喫茶 ヲルガン座
チケット:前売3000円、当日3500円(共に1オーダー制)予約は電話もしくはメール。詳細は『音楽喫茶 ヲルガン座』を参照。
出演:第1部 Moo仁井谷、北出マン、村長さわ、堕王健司、織田兄第。第2部:北出マン、村長さわ、堕王健司、織田兄第、影虎、恐竜単車、バニー上田、馬子、勝部弘之、Winner、どらみ。(※このほかサプライズゲストあり)
■東京 阿佐ヶ谷開催
『ミニミニコンパイルナイト!~阿佐ヶ谷ジャック~』
日時:9月30日(日)18時30分~(17時30分開場)
場所:阿佐ヶ谷ロフトA
チケット:前売2000円、当日2500円(共に飲食代別)予約は電話もしくはメール。詳細は『阿佐ヶ谷ロフトA』を参照。
出演:浅葱のあ、ほかコンパイルな人々
【ここから過去に行なわれたコンパイルナイトのレポートです】
開発陣が当時を語る『裏コンパイルナイト~地下版~』
↑裏コンパイルナイトの出演者。左から、プログラマーのジェミニ広野氏、同じくPAC藤島氏、ゲーム企画担当の猫庭王米光氏、同じくうゑみぞ氏。ほかにも写真には写っていないが、プログラマーの外山雄一氏やキャラクターデザイン担当のセニョール河北氏といった豪華メンバーとなった(肩書きはコンパイル在籍時のおもなもの)。 |
コンパイルナイト終了後、深夜に開催された『裏コンパイルナイト~地下版~』ではゲーム開発・企画・プログラマー陣が出演。なんと会場の約3分の1ほどが元社員で埋め尽くされた。一般参加者は50人前後。お客さんを交えた同窓会スタイルのイベントとなり、前列に座っていた元社員の方々も皆出演者ということでスタート。
ナイコン族がコンパイルを産んだ!
コンパイル元社長のMoo仁井谷氏は広島のとあるPCショップの店員をしていた時期があったという。そのときショップに入り浸っていたPAC藤島氏とジェミニ広野氏を、個人でやっていたゲーム制作に誘ったのがコンパイルという会社の始まりだという。1980年代当時のPCは非常に高価で普通に買えるものではなかった(20万円オーバーは当たり前、100万円オーバーするものもあった)。そのため、PCを持っていない人たちは一部で“ナイコン族”と呼ばれており、PCショップの店頭に展示されているPCを使ってプログラミングを打ち込んでいた。
また、今のようにインターネットはもちろん、パソコン通信ですらまともに普及していない時代だったため、PCショップが情報交換の場だったという。PCショップにはこのようなナイコン族の少年達がいつも集っていた。Moo仁井谷氏は彼らの才能を発掘してコンパイルという会社を作ったのだ。
歴史に残るメジャーゲームを数多く手がけてきたコンパイル
イベントでは、コンパイルが開発したゲームが逸話と共に次々と紹介された。コンパイルは、他メーカーブランドのゲームを受注開発していたこともあり、MSX版の『ゼビウス』や『ゴジラくん』など、“このゲームはコンパイルが作っていたのか!”という驚きが多かった。また、関係者や参加者の多くが当時のゲームを起動できる状態で保存しており、実際にゲームを起動させながら説明を進めていくというレトロゲームファンにはたまらない進行となった。以下紹介されたゲームの一部。
ハッスルチューミー(1984年 MSX/SG-1000) |
コンパイルの初期作品。Moo仁井谷氏がひとりでプログラミングしたという。ねずみのチューミーを操作し、マップ上にある食べ物を集めて制限時間内に巣に戻るアクションゲーム。邪魔する敵にはショットで対抗できる。武器については、パッケージの説明では空き缶とのことだが、元社員さんからこれはなんとペスト菌との声が。無敵である怪獣を攻撃すると敵の動作が遅くなり、256発あてるとものすごく早くなる。という裏技(?)も。
ゴジラくん(1985年 MSX) |
東宝からの依頼で作成したアクションパズルゲーム。敵を倒したり避けながら岩を動かし、岩を全部壊せば次の面に進む道を選べるようになる。
ゴジラ(1988年 ファミコン) |
ちなみにゴジラ関連だとリアル版も制作している。このゲームは、アクションパートでゴジラのキャラを大きくしてほしいという依頼があったとのこと。しかし、実際にパネラー方がプレーすると、キャラが大きすぎて障害物そのままではジャンプで避けきれず会場は大爆笑。通常パンチやキック、しっぽでの攻撃で障害物を壊してながら進む。
魔導物語シリーズ |
当時としては珍しい女の子を主人公にしたRPG。ディスクステーションSPECIALクリスマス号に収録された『魔導物語 EPISODE2 CARBUNCLE』(1989年 MSX2)では、猫庭王米光氏が原案・シナリオを担当。猫庭王米光氏が退社後のシリーズ作品では、うゑみぞ氏らが担当した。
落ちゲー『ぷよぷよ』のキャラクター設定はすべてこの魔導物語が元となっている。当時衝撃的だったのは、主人公アルルが『ファイヤー!』と呪文を唱えるなど、サンプリングボイス音が流れたこと。今ではゲームに音声が入るのは当たり前だが、当時は録音したWAVEファイルを再生するのは、ハードウェアの性能が追いつかず難しいことだった。
そのため、ゲームから音声が出るのに衝撃を覚えた記憶が筆者にもある。ジェミニ広野氏によると、これは人の声をサンプリングして、PSG音源で似た波形を作り出して作ったという。サンプリング用の声は、広島のラジオ局のアナウンサーに依頼したのだが、当時はPCゲームへのアフレコは稀なことだった。アナウンサーにゲームの呪文だと説明したのにもかかわらず「訳が分からないセリフを大量に言わされた」と文句を言われ、不機嫌にさせてしまったとのこと。
また、PAC藤島氏がPC-98版『魔導物語1-2-3』のボスキャラであるシェゾの声はジェミニ広野氏が声優役を務めたと伝えると、ジェミニ広野氏は記憶にないようだったが、意外な人物がCVをしていたことに驚きの声が上がった。
ディスクステーションシリーズ(MSX/PC-98) |
コンパイルは数多くの新しい試みを行なったメーカーでもある。その中でも『ディスクステーション』シリーズは、ゲームやインタラクティブコンテンツを収録したソフトを雑誌のように定期的に発売するという今までにない新しい販売形態を採った。イベントではその創刊1号が披露された。収録内容はゼビウスやアレスタの体験版、魔導師ラルバなど。ディスクステーションシリーズは当初MSX版で展開されたが、後にPCー98版などが発売された。創刊1号は価格を1980円と安く設定しすぎて、まったく儲からなかったという。
また、MSXのアダルト向けディスクマガジンといえば、『ピーチアップ』と『ピンクソックス』が有名だったが、実は『ピーチアップ』はコンパイルが“もものきはうす”というブランド名で発売していたもの。まさに裏ディスクステーション的存在な『ピーチアップ総集編』を持参してきたファンもいた。
アレスタシリーズ |
『アレスタ』のヒットにより、コンパイルといえばシューティングゲームであると認識しているファンも少なくはない。そのルーツは1986年にポニーキャニオンから発売された『ザナック』だ。プログラミング担当はジェミニ広野氏。会場には、激レアのNES版ザナックの開発基板が登場し、参加者を驚かせた。また、ザナックのファンという方も何人か参加しており、根強い人気をうかがわせた。ザナックの後継作で、コンパイルブランドで発売されたアレスタは、アレスタ2、武者アレスタ、GGアレスタ、スーパーアレスタなど、セガ・マーク3/マスターシステムに始まり、さまざまなゲーム機で展開された。
アレスタシリーズで苦労したのは敵の動きや難易度の調整だったという。難易度が低ければ上級者はヌルイと感じ、高ければ初心者はまともにプレーできない。このジレンマを解決するために、プレーヤーの動きに応じて敵の動きを変化させたり、敵の軌道を工夫したとのこと。また、スーパーアレスタは誰でも楽しめるように無敵モードの搭載を検討したようだが実現はされず。ちなみに、武者アレスタは当時武者ガンダムが流行っており、それにヒントを得て作ったとのこと。
テーラーメイド |
ゲーム以外の異色なものもある。ブリヂストンからの依頼で制作された、自転車のBTOソフト『テーラーメイド』。ブリヂストンが販売していた自転車『レイダック』のパーツやフレーム素材を選ぶと、セミオーダーのレイダックの価格が見積もりできる。
ほか以下のゲームを簡単にプレーしながら朝まで紹介
窓拭き会社のスイング君、メガロポリスSOS、ランダーの冒険2、ルーンマスター、幻世喜譚、ガーディック外伝、ルナーボール、タッチ ミステリー・オブ・トライアングル、魔導物語はなまる大幼稚園児から、す~ぱ~なぞぷよ通ルルーの鉄腕繁盛記などなど。
コンパイルクラブはどうやって生まれたか?
自社会報誌『コンパイルクラブ』発行の前に『コンパイルニュース』という月刊フリーペーパーをPCショップに置いたのが始まりだったとのこと。ユーザーとのフレンドリーな交流の取り組みはすでに80年代から始まっていた。当時鬼の編集長と言われていた猫庭王米光氏を中心に、ワープロで文字を打ち込んだものを丁寧に切り貼りし作っていたそうだ。なお、今回のイベントで限定発行された地下版コンパイルクラブも参加者に配られた。
広島では有名だった? “丁稚制度”
コンパイルは後期になると、“丁稚制度”という独自の新入社員の研修制度ができた。これは、1年前後の“人材として認められるまで”の期間で設定されており、研修中は特定の仕事を与えられず、雑用をこなしながら先輩達の仕事をひたすら見て覚えるというもの。また、丁稚期間中はコンパイルではお馴染みのピンクと白のツートンカラージャージを着用することが義務づけられており、勤務時間中は外出するときも着用するように指示されていたという。このジャージはとても目立つカラーデザインだったため、当時の広島では有名だったらしい。そのため、着用を嫌がる社員もいたそうだ。
幻の『魔導ランド』構想があった!?
コンパイルと言えば、広島のお土産として有名な“もみじ饅頭”からヒントを得て販売したお菓子“ぷよまん”やゲーム関連のグッズなど、ゲーム以外にも事業を広げていた。その最たるものが、幻の『魔導ランド』構想だった。
これは、ぷよぷよや魔導物語キャラクターを取り入れたテーマパークを作るプロジェクトで、テーマパークの準備と研究を行なう部署(M本部と呼ばれていた)が社内にあったという。コンパイルが和議申請する直前の衰退期に在籍していた社員はそのプロジェクトを知っていたようだ。実際の活動内容は「いろいろな遊園地に行っては遊んでいるだけの部署だった」とのこと。
また、参加者のファンのひとりがヤフーオークションで当時の内部資料を入手したらしく『魔導デュエルフィールド』というカードゲームの構想もあったことが発覚。企画書だけの幻の企画に、初期の開発陣であるメインパネラーやファン達は皆驚いていた。
壱氏の特別色紙プレゼント
ぷよぷよのキャラクターデザインを担当したイラストレーター 壱氏からは素敵な色紙のプレゼントも。初期のディスクステーション作品でも人気のあるゲーム『魔導師ラルバ』のキャラで、1枚目はサイバーキャットとハーゲンダックが描かれたもの、もう1枚は闇の魔導師ラルバが描かれたもの。1枚は参加者中で一番遠方の徳島県から参加したファンに贈られ、もう1枚はジャンケン大会を行ない、その勝者に贈られた。
ほかにもコンパイルにまつわる濃い話が朝まで続いて参加者たちは大満足。次回のイベントでも、今まで語られなかった貴重なコンパイルの裏話が聞けそうだ。
■関連サイト
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