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【スーパーボウルまで追いかけ隊】史上初の兄弟対決はコーチ歴の長い兄が勝利

2011年11月25日 23時53分更新

 今週は感謝祭ゲームで実現した、史上初の兄弟ヘッドコーチ対決に注目です。兄ジョン・ハーボー率いるレイヴンズ、そして弟のジム・ハーボー率いる 49ers は、お互いに堅いディフェンスが持ち味。その2チームの対決は予想どおりのロースコアマッチとなりました。

 NFL では毎年、感謝祭(サンクスギビングデー、11月の第4木曜日)に試合を開催しており、伝統的にライオンズとカウボーイズがホームチームとなります。これに加えて 2006 年からはナイトゲームも開催されるようになり、今回の兄弟対決もサーズデーナイトフットボールとして開催されました。

●NFL第12週トピックス●
史上初の兄弟対決は相手をゼロTDに封じたレイヴンズが勝利!

 今季9勝1敗と絶好調の 49ers は、7勝3敗で AFC 北地区の首位を走るレイヴンズと対戦。第2Qには QB アレックス・スミスから快速 WR テッド・ギン に 75 ヤードの TD パスが決まるものの、 RB フランク・ゴアがチョップブロックの反則を犯して TD は無効に。結局前半は、3-6 のロースコアに終わります。

 後半に入っても両チームは、相手の強力ディフェンスに阻まれて前進できないもどかしい展開。ファーストダウンは 49ナーズが 12 回、レイヴンズが 16 回と、合計で 30 回に満たない低調なオフェンスに終わっています。

 いっぽうで両軍ディフェンスは大活躍。とくにレイヴンズはこの日、合計9サックを QB スミスに浴びせてフィールドを支配します。なかでも通算 74.5 サック(現役選手でリーグ10位)を誇る LB テレル・サッグスが、この日は3サックを荒稼ぎ。QB スミスをパス 140 ヤードに抑え込みました。

 そして第4Qには、レイヴンズの QB ジョー・フラッコが、2年目 TE のデニス・ピッタに TD パスをヒット。ピッタにとってプロ初の TD キャッチが事実上の決勝点となり、レイヴンズが地区首位を堅持しました。

異なった道を歩んで対決に至ったハーボー兄弟

 この試合は前述のとおり、リーグ初の兄弟ヘッドコーチ対決として注目されました。兄のジョン・ハーボーはひと足早く、2008年からレイヴンズのヘッドコーチを務めています。いっぽうで弟のジム・ハーボーは、今年ヘッドコーチに就任したばかり。就任初年度でいきなり兄との対決となったわけです。

 この2チームはカンファレンスが異なりますが、今年はたまたま NFC 西地区と AFC 北地区が対戦するめぐり合わせ。その年に弟のジムが 49ナーズのヘッドコーチに就任したことで、シーズン前から兄弟対決に注目が集まっていたのです。

 しかも、昨季まで8年連続で勝ち越しのなかった 49ナーズが、ジム・ハーボー HC 就任でいきなり連勝街道をばく進。NFC 2位の9勝1敗でレイヴンズのホームに乗り込んできたことも、兄弟対決を盛り上げる一因となりました。

 この2人は当初、似たような道を歩んでいました。父のジャック・ハーボーは 40 年以上にわたってカレッジフットボールのコーチを務めてきた人物。ミシガン大学で DB コーチを務めていたころ、ハーボー兄弟はともにアンアーバーのパイオニア高校に進んでいます。

 その後、父ジャックは名門スタンフォード大学のディフェンスコーディネーターに転身。兄ジョンはすでにマイアミ大学(オハイオ州)に進んで DB としてプレーしており、弟ジムは父とともにカリフォルニアに引っ越しました。

 フットボール選手として兄を上回っていたジムは、かつて父がコーチを務めていた名門ミシガン大学に進み、QBとして4年間レギュラーの座を張ります。同大学ではあらゆるパス成績で歴代5位以内に入る活躍を見せ、1987年にドラフト1巡(全体26位)でベアーズに入団しました。

 いっぽうの兄ジョンは、大学卒業とともにウェスタン・ミシガン大学でコーチ人生をスタートします。このとき、チームのヘッドコーチは父のジャックでした。実のところ、米国では親子が同じ職場で働くことは珍しくなく、父ジャックがピッツバーグ大学に移籍した 1987 年には、ジョンもいっしょに移籍しているほどです。

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2008年からレイヴンズのヘッドコーチを務めるジョン・ハーボー。就任3年でプレーオフ進出3回という実力派だ。

複雑に織りなす人間模様が2人を成長させた

 弟ジムは、ドラ1指名されたベアーズを皮切りに、13 年間で4チームを渡り歩きます。いわゆる“ジャーニーマン”ではありましたが、2チーム目のコルツでは 1995 年に AFC 決勝まで駒を進め、プロボウルにも選出されています。

 キャリアスタッツは 26,288 ヤード、129 TD、117 INT。獲得距離では歴代 54 位、TD 数では歴代 88 位に名を連ねています。獲得距離はイーライ・マニング(ジャイアンツ)やベン・ロスリスバーガー(スティーラーズ)がちょうど同じくらいですから、選手としては悪くない実績だったと言えましょう。

 そのジムがレイヴンズに移籍した 1998 年、兄のジョンはイーグルスのスペシャルチーム・コーディネーターに就任。コーチとして弟と同じ NFL にステップアップしました。そして 2007 年には DB コーチに転身。これはジョンに様々なコーチ経験を積ませることで、ヘッドコーチへの道を開かせようとしたアンディ・リード HC の配慮でした。

 その配慮が実り、2008 年にはレイヴンズのヘッドコーチに就任。コーディネーター職を経ることなく、ポジションコーチからのジャンプアップで、コーチ界の頂点のひとつに達したのです。

 このときジョンは、オフェンス・コーディネーターにかつての上司であったキャム・キャメロン氏を招へいします。キャメロン氏はインディアナ大学のヘッドコーチ時代に、ジョンを雇い入れた人物。自らが信頼できる人物をコーディネーターに置くことで、自分の経験不足を補おうとしたのでしょう。

 そのキャメロン氏はかつて、ミシガン大学で QB コーチを務めていました。そのときの教え子が、誰あろう、弟のジムだったのです。

選手時代からコーチ経験を積んでいたジム

 弟のジムは 2001 年シーズンを最後に選手を引退します。その彼は現役時代から引退後のコーチ人生を考えており、1994年シーズンからウェスタン・ケンタッキー大学で無給のアシスタントコーチを務めていました。同大学のヘッドコーチは父ジャック。ここでも、親子タッグが実現していたというわけです。

 現役時代からじゅうぶんな訓練を積んできたジムは、引退翌年の2002年には早くも、レイダーズの QB コーチに就任します。ここでプロレベルの訓練を積んだ実績をもとに、2004年には早くも、サンディエゴ大学のヘッドコーチに就任。同大学は Division I-AA 校で、いわば2部校ではありますが、3年目には11勝1敗の好成績を挙げるまでに成長。ジムのコーチングスキルを証明する形となりました。

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今季49ナーズのヘッドコーチに就任し、いきなり9勝2敗の好成績を収めているジム・ハーボー。現役時代は鮮やかな逆転勝ちからキャプテン・カムバックの異名をとった。

 実はこのサンディエゴ大学時代、今度は父ジャックが RB コーチとして息子のジムを支えていました。先ほどの兄ジョンのケースと同様に、かつての師匠を部下に置くことで、最も信頼できる補佐役を任せた形です。日本人の感覚だと父親が息子の部下になるのはピンときませんが、これも米国ではわりと一般的な形。とくに家族経営の企業(米国には意外に多く、フォードも好例)では珍しくないのです。

 そして2007年、ジムはついにフットボールの名門校、スタンフォード大学のヘッドコーチに就任します。父ジャックが1980~1981年にディフェンス・コーディネーターを務め、自らもすぐ隣にある高校( パロアルト高校はまさに、スタンフォードスタジアムに隣接している )に通っていたことのあるスタンフォードに、いわば凱旋する形で戻ってきたのです。

 この時点でハーボー兄弟は、兄ジョンがイーグルスの DB コーチ、弟ジョンがスタンフォード大学のヘッドコーチという、エリート兄弟となっていました。ハーボー兄弟の名は、全米のフットボール界に鳴り響いていたのです。

 レイヴンズのヘッドコーチに就任した兄ジョンは、初年度の2008年にさっそく 11勝5敗の好成績を挙げ、その実力を示します。残念ながら AFC 決勝ではスティーラーズに負けたものの、2009年、2010年も続けてプレーオフに進出。同地区ライバルのスティーラーズと熱い戦いを続けながら、今季も同地区の首位を分け合っています。

 そしてスタンフォード大学を率いる弟ジムは、ディヴィジョンライバルのUSC(サザンカリフォルニア大学)を 24-23 で破る大番狂わせでその名を馳せます。41点のアンダードッグという低評価を覆しての勝利は、ジムのコーチング力を満天下に示しました。

 そして2010年シーズン、チームは同大学初の11勝を挙げて躍進。最終戦でオレゴン大学に負けたものの、オレンジボウルには勝利して、ランキングは全米4位。ジム自身もコーチ・オブ・ザ・イヤーを受賞し、北カリフォルニアの英雄となりました。

お互いに高いレベルでの直接対決

 オレンジボウル勝利の4日後、ジムは49ナーズのヘッドコーチ就任を発表します。スタンフォードスタジアムと49ナーズの本拠地キャンドルスティックパークは、クルマでわずか40分の距離。地元の英雄にとって、もっとも望ましいヘッドコーチ職だったかもしれません。

 そしてジムは、チーム再建の年と思われていた 49 ナーズを地区首位に牽引。6年にわたってくすぶっていたQBアレックス・スミスを再生し、サンフランシスコ・ベイエリアを盛り上げています。

 第6週には5戦全勝のライオンズと対戦し、試合終盤の TD で逃げ切り勝ち。このとき興奮のあまり、ライオンズのジム・シュワルツ HC の背中を思いっきりひっぱたき、ちょっとした騒動にもなりました。でもこの熱さがジムの持ち味でもあります。

 いっぽうの兄ジョンは、冷静なコーチングでレイヴンズをけん引。今年こそは宿敵スティーラーズを上回って AFC 北地区で優勝し、スーパーボウル進出を狙っています。このハーボー兄弟がスーパーボウルで対戦する可能性も決して小さくありません。残り試合にも注目していきたいものです。

今週の余談

 感謝祭ゲームは、NFL が成立した 1920 年より前から、プロ・アマ問わずに開催されてきました。

 現在はライオンズとカウボーイズが伝統的に、感謝祭ゲームを主催しています。ライオンズのほうは初代オーナーのリチャーズ氏が、より多くの観客を呼び込む手段として、感謝祭ゲームの開催を始めたのがきっかけとなっています。

 実はライオンズが創設された 1929 年より前にも、デトロイトには NFL チームが存在していました。パンサーズやウルヴァリンズといった名前を持ったそのチームは 1928 年シーズンの終了後、ジャイアンツのティム・マーラ オーナーに買収されます。

 マーラ氏は、デトロイトにいた主力選手を引き抜くためにチームを買収し、なんとチームをつぶしてしまいました。よって、リチャーズ氏が創立したライオンズは、それまでのチームとは歴史的な連続性を持っていないのです。ちなみにマーラ氏は、ジャイアンツ現社長ジョン・マーラ氏の祖父にあたります。

 新生ライオンズを創立したリチャーズ氏は、旧ライオンズが開催していた感謝祭ゲームを、チームの目玉の一つにしました。チームとしての連続性がないぶん、「デトロイトのチーム」という名分を生かすためには、旧チームの伝統を引き継ぐのが良策だったのです。

 その後、ほかのチームも感謝祭ゲームを開催しましたが、木曜日開催が選手やコーチに嫌われたこともあって、ライオンズ以外のチームは感謝祭当日の開催を断念していきます。その結果、ライオンズだけがいまでも感謝祭ゲームをホストし続けているのです。

 いっぽう、ダラス・カウボーイズは 1960 年創立の若いチーム。人気を高めるためには、なにかしらの奇策を必要としていました。それが 1966 年からの感謝祭ゲーム開催に繋がったのです。

 カウボーイズが感謝祭ゲームを主催するには、もうひとつの理由がありました。いまでこそ感謝祭は11月の第4木曜日と定められていますが、以前は“11月の最終木曜日”とする考え方もありました。つまり、第5木曜日になることもあり得たのです。

 そしてテキサス州は1960年まで、最終木曜日を採用していた全米で唯一の州でした。そのため 1956 年は、テキサス州だけが第5木曜日を感謝祭とした年になったのです(※57年~60年の11月は第4木曜日までしかなく、ズレは生じなかった)。

 それゆえ 1960 年代のダラスで“感謝祭ゲーム”を行なうことは、テキサス州が他の州と同じ日に感謝祭を祝う、統合の象徴になりました。ちょうどフットボールのテレビ中継も始まったころなので、カウボーイズを全米にアピールする絶好のチャンスだったのです。

 ちなみにライオンズ主催ゲームは、長年の伝統から常に NFC チームとの対戦となっています。その反対にカウボーイズ主催ゲームは AFC との対戦です。つまり、AFC は常にアウェイで闘うことになります。

 それを解消するため、そして視聴率のいいナイトゲームを開催するため、2006 年から NFL 主導でサーズデイナイトゲームが始まりました。この試合には対戦カードの制限がないので、今回の 49 ナーズ対レイヴンズのように、AFC チームがホームになることもありえるというわけです。

 この感謝祭ゲーム。木曜日の開催であることから、選手にとっては前の試合からわずか中3日でのプレーを余儀なくされます。そのかわり、試合後は他のチームより3日間余計に休めることから、感謝祭ゲーム明けは“第2のバイウィーク”と呼ばれています。ケガなく乗り切ることができれば、貴重な休みを手に入れられるというわけです。

■筆者 カゲ■
週アスの芸能デスクかつ NFL 担当。日テレ水曜深夜の NFL 中継でフットボールにハマり、1996年シーズンから現地観戦を開始。これまでレギュラーシーズンはファンとして 15 試合、取材では3試合を観戦。スーパーボウルは第40回大会から6回連続で取材している。好きなチームはグリーンベイ・パッカーズ。QBアーロン・ロジャーズが初めて公式戦に出場した瞬間をこの目で見たのがジマン。なお週刊アスキーは、専門誌を除く日本の雑誌メディアでは唯一、スーパーボウルを現地取材しています。

(了)

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