プレゼンテーションの天才ともたたえられるスティーブ・ジョブズ。彼は数字を使って見る者をぐいぐいと彼の話に引き込んでいったものだった。彼の足跡を数字とともに振り返ってみた。
1955年
(昭和30年)2月24日生まれ。ビル・ゲイツはこの年の10月28日生まれ。因縁の55年組であった。
16歳
それまでアルバイトをしていたヒューレットパッカードのインターシップで、のちにApple Computer Iを共同で作ることになるウォズニアックと出会う。ウォズは50年生まれで、ジョブズの5つ上。
100ドル
ウォズと作った、無料で長距離電話をかける機械『ブルーボックス』の値段。原価は40ドル程度だったらしい。
40番目
アタリの社員に採用される。40番目の社員。
350ドル
アタリで開発していたゲーム『ブレイクアウト』の製作をウォズに依頼し、払った報酬。“折半”の約束だったが、実際にはジョブズは5000ドル受け取っていたらしい。
1977年
Apple社の礎となった、Apple IIを発表。
1979年
ゼロックスPARC(パロアルト研究所)を見学。GUIとマウスに触れる(有名な、アラン・ケイによるDynabookである)。のちのLisa(1983年)で採用。これが、マウスとGUIでパソコンを操作するとMacintosh(84年)へと発展していく。コンピュータ業界においても大きな変革となった、そのターニングポイントの年だった。
2億ドル
1980年のアップル株式上場で、ジョブズの株式資産が2億ドルに。長者番付に載る。
1984年
Macintosh発売。
700万ドル
1985年、アップルを退職。アップル株を売却。そこで得たうちの700万ドルを資金にワークステーション開発会社NeXTを興す。のちに、アップルの取締役に就任時、NeXTをアップルが買収。現在のMacOSの基本部分は、NeXT OS(NEXT STEP)を継承している。
1000万ドル
1986年、ルーカスフィルムのコンピューターアニメ部門を買収。ルーカスおよびルーカスフィルムから500万ドルで株式買収。のちに『トイ・ストーリー』で大ヒットを飛ばすピクサーの誕生だった。
1ドル
1997年、非常勤顧問としてアップルに復職。2000年にCEOに。アップルから得た年間の役員報酬。無料でなかったのは、社会保障手続き対策だったらしい。
1億5000万ドル
1997年、マイクロソフトがアップルに出資。アップル再建の一助となる。
5年間
1998年、ジョブズが中心となって開発、販売されたiMacが発売。社会現象ともなる。それを後押ししたのが、アップルのCMスローガン「Think different」。このキャッチは5年にもわたり使用し続けられるという、異例のヒットとなった。
1000万回以上
辞世ともいわれる、Steve Jobs' 2005 Stanford Commencement AddressのYoutubeでの再生数。英語と日本語字幕版の上位2動画の合算で、100万再生を超える同動画はほかにも。なお、日本語字幕版のほうが若干再生数が上。
7%
ディズニー株の持ち株比率。'06年の、ディズニーによるピクサー買収で、個人筆頭株主となる。
2倍
WWDC2008のiPhone 3Gのプレゼンで。「価格は半分速度は2倍」がキャッチ―で話題に。
2万台
1日に売れたiPhoneの台数。累計400万台。2008年MacworldExpoのスピーチで。こうした”数字”を巧みにスピーチに盛り込むジョブズの手法は、ビジネスマンの間でも話題になり、本まで出版されている。
37.8%
iPhoneの2010年度国内出荷台数別シェア。
1億2900万台
iPhone、2007年6月からの世界累計販売台数。
353万2100件
2010年度のソフトバンクの新規契約増。iPhone販売が大きく寄与。ソフトバンクの株価も、ジョブズ就任以降のアップル株価と連動しており、KDDIがiPhone販売に参入したいま、その株価にも注目が集まる。
56歳
2011年10月5日。永眠。享年56歳。
(2011年10月7日0:10追記:初出時、700万ドルの項目の説明に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。記事は修正済みです)
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