ドラッカーのマネジメント論をわかりやすく説き、社会現象になったミリオンセラー『もしドラ』。その舞台裏には、2010年のデジタルシーンを代表する“ツイッター”と“電子書籍”という2つのテーマを垣間見ることができる。
ケータイキャリア、出版社、印刷会社、広告代理店、メーカー各社……さまざまな業種が入り乱れ、電子書籍をめぐる動きは混沌としている。そんななかで、電子書籍版のもしドラはAppStoreで5万部を売り上げ、今なお上位にランクインし続けている。ツイッター編に続き、100万部達成の裏側で電子書籍が果たした役割について、担当編集者の加藤貞顕氏にインタビュー。
もしドラ電子書籍版、誕生のきっかけ
―そもそも、もしドラ電子化はどのような話の流れで出てきたのでしょうか?
2009年の年末かな、『FREE』が出た直後なんですけど、もしドラとは全くの別枠で、社内の若手3人で電子書籍についての勉強会をはじめたんですよ。小さな集まりでしばらくぼちぼちやっていたんですけど、それとはまた別に会社の公式な取り組みとして社内横断的な電子化プロジェクトチームが結成されまして、その勉強会もそこに合流することになりました。
で、そのプロジェクトチームでしばらく検討して、電子化は避けられない流れであるという結論に達したので、ダイヤモンド社として取り組みはじめたというのが最初です。
―iPadの登場もあって、今年は電子書籍がいろいろと話題になっています。
そうですね。当時はまだiPadの発売前夜だったわけですが、せっかく電子書籍に取り組むなら「一番売れている本で試してみよう」という話になりました。それなら「もしドラで」という流れになったんです。紙のもしドラがベストセラーランキングのトップあたりにいて、だいたい30万部くらいの頃だったかな。幸い、著者の岩崎先生にもご快諾をいただき、やることにきまりました。
―本の電子化について語られるとき「元になった紙の本が売れなくなる」という意見をよく聞きます。そうした不安や懸念はなかったのでしょうか?
個人的には、そんなことはないだろうと思っていました。で、実際に電子版をつくって売ってみたら、本当にそうだったわけですけども。
僕は、iPhone 3GもiPhone 4も予約して発売日に手に入れています。週刊アスキーの読者のみなさんと同じようないわゆる“ガジェット好き”の人間なんですよ。いちiPhoneユーザーとして電子書籍について考えたとき、電子書籍のユーザーと紙の本の読者はかぶる気はほとんどしなかったですね。
―そんなに言い切れるほどですか。
電子化すると、なんというか、紙の本とはちょっと違ったものになるんですよね。言語化が難しいんですが、“本”ではなくて“コンテンツ”になるというか。しかもユーザ層もかぶっていないので、少なくとも今回に関しては、紙の本の売れ行きに悪い影響がでることはないだろうと思いました。むしろ話題になれば宣伝効果としてプラスになる可能性が高いかなと。電子化プロジェクトチームのメンバーも、概ね同じような意見でした。
電子書籍の発売日と価格
もしドラ電子版の発売日に関しては、電子書籍のメリットをユーザーに感じてもらえるよう慎重に決めました。発売日は4月28日、つまりゴールデンウィーク直前です。
―それは連休の移動中に読むことができるように?
そうです。帰省や旅行で荷物が多いときでも、iPhoneのようなモバイル端末に本が何冊も入るというコンパクトさを、電子書籍に触れるユーザーに体験してほしかったんです。
―価格についてはどうでしょう? 電子書籍の価格は、どの会社も手探り状態です。もしドラ電子版の価格は800円と紙の本(1680円)の約半額ですが、この値段にした理由は?
紙の本、特にビジネス書の場合1000円以上するものは当たり前のようにあります。しかし、AppStoreで流通しているiPhoneアプリで1000円以上というものはそれほど多くないですよね。
―実用系やゲーム系など一部のアプリを除いて、無料~数百円程度が主流です。
僕自身もiPhoneユーザーですから。いちユーザーの感覚としてて、iPhoneアプリとしてもしドラ電子版が1000円以上というのはちょっと考えられませんでした。3ケタにしたかったんです。
実際に電子版を発売してみたところ評判もよく、発売から3ヶ月たった現在(※編集部注:インタビューは7月29日)、販売数は5万部を超えています。これは、日本の電子書籍としてはかなり多い部数のはずです。
また、5月末に発売した高田純次さんの『適当日記』も5万部を超えています。この本に関していうと、iPhone版のほうが紙の本よりも部数が多いんですよ。それどころかiPhone版の好評を受けて書店でもういちど紙の本のフェアまで行なっていただいたり、リアルへの逆フィードバックみたいなことも起こっています。
そして、紙のもしドラも100万部を超えました。電子化による悪い影響はまったくなかったといっても過言ではないと思います。
電子化で実感した“テキスト”のすごさ
―iPhone版もしドラの800円というのは、アプリとしては少々高めですよね。
たしかに数百円のゲームとかと比べると高いかもしれませんね。でも、それでも買ってくださる読者の方がいるのを見て、本の可能性を改めて実感しました。本、というよりも“テキスト”の可能性と言ったほうがいいかもしれません。
―テキストの可能性とは?
AppStoreのランキングって、総合ランキングとカテゴリー別のランキングに分かれてるんですよ。もしドラや適当日記はブックカテゴリーだけでなくて、総合ランキングでもけっこうな期間上位にいるんです。
総合ランキングというのは、文字通りゲームとかビジネスとかあらゆるアプリと勝負するランキングなんですけど、それこそ大手ゲームメーカーの大作RPGや音ゲーなんかともしドラや適当日記がフラットに競争している状況なんです。
これを見て、2つのことを思いました。「これからは、この人たちと勝負しなきゃいけないのか。大変なことになったな」というのがひとつめ。もうひとつは、「テキストってすごい! この人たちと勝負できるんだ」と。
電子化された本はiPhoneやiPadのアプリになることで、同じ土俵にいる多種多様なアプリと比べられることになります。そのことを恐れている人たちもいますが、実際にやってみて、ゲームのようにアニメーションや3DCG、音楽などがつまった作品とも十分に渡り合えると確認できたのはよかったですね。
iTunes App Storeのトップセールス。ゲームや実用アプリと共に、もしドラのアイコンが並ぶ。 |
―なんだか、勇気をもらえるようなコメントですね(笑)
でも、本当にそうなんですよ。適当日記なんてずっと総合1位にいましたからね。この本は、電子書籍ならではの面白いギミックが冒頭に仕込んであるのでぜひ見ていただきたいのですが、それ以外は普通のテキストですからね。もちろん中身はちょっと下品ですが超面白いんですけど(笑)。これがあの大作ゲームたちを押さえて1位になったのは象徴的だと思いますよ。
ビューワー独自開発の経緯
―もしドラは独自の電子書籍ビューワーを採用していますが、なぜ自分たちで開発をしようと考えたのですか?
最初はいろいろな電子書籍ビューワーをためしてみました。しかし、どうもピンと来るものがなかったんですね。それなら自分たちでつくろうと。なので、「もしドラを載せるための電子書籍ビューワーをつくる」というのが独自開発のスタートでした。
―ゼロからアプリを開発するのは普通の出版社には難しそうに見えます。
以前から電子書籍には興味があったんですよ。だからKindleも日本で買えるようになったらすぐ買って、自分で日本語化したPDFを入れたり、InDesignで制作したページが端末でどう見えるか試したりしていたんです。それで、いろいろと調べてるうちに、『青空キンドル』というサイトでKindleの日本語化に取り組んでいた高山恭介さん( @takayama )と知り合いました。
そういった経緯もあって、社内で独自開発のアイデアが出たとき、すぐに高山さんに声をかけました。「高山さん、今度うちで電子書籍やるのでご協力いただけませんか」と。知り合いだということもありましたが、高山さんが開発していたiPhone用の青空文庫リーダーアプリ『ポケット文庫 SkyBook』が、理想に一番近かったためです。
ポケット文庫 SkyBook。もしドラをはじめ、ダイヤモンド社独自の電子書籍ビューワー『DReader』のベースとなった。 |
それから、そのころに同じダイヤモンド社の編集者の常盤亜由子( @ayuko_tokiwa )が開発チームに加わったのも大きかったですね。彼女は『ピクト図解』の担当編集者で、同書を電子化するために参加したわけです。そこから高山さんと3人で開発を進めることになりました。3月末から4月上旬のころですね。4月28日の発売まで1ヶ月あるかないかでしたので、本当に寝ずにつくりましたよ(笑)。その結果独自形式のビューワー『DReader』が完成し、『もしドラ』と『ピクト図解Lite』『大人げない大人になれ!』の3本のアプリをリリースすることになりました。
―タップするだけでページがめくれるんですね。
おかげさまでUIは好評ですね。電子書籍リーダーは、ページをめくるのにフリック(指を左右にスライドさせる)で操作するものが多いんです。iPhoneのような小さな画面で読む電子書籍は、文字量も少ないのですぐにページを読み終わってしまいます。ですから、本を読んでいくためには、すごい勢いでページをめくり続けないといけない。そのとき、フリックよりもタップのほうがユーザーには楽ですから。ほんの数ページだと気づきにくいのですが、数百ページめくるとだいぶ大きな差として実感できるはずです。
ほかにも、図版を次々切り替えてコマ送りに見せるような、電子書籍ならではの機能もついています。これは『ピクト図解Lite』をつくるために担当常盤の希望でつけた機能なのですが、電子書籍ならではの見せ方になったのではないかと思います。この機能は、最新のiPhone/iPadの両対応版では“コマ送りネオ”というさらにすごい見せ方に進化しています(笑)。無料アプリで見られるので、ぜひ試していただきたいですね。
こういうのは、たんにひとつのアプリのためだけに機能をつくるのではなくて、これから電子書籍をつくるのに一般的につかえる機能なのか。そしてUIはその場合はどういうのが理想なのかということを、3人でさんざん議論しながらつくっています。そのようにして音声再生機能も実現しましたし、動画にも8月末のバージョンアップで対応するなど、表現できる範囲をひろげることにはどんどん挑戦していきますよ。
―最新版ではiPhoneとiPadに両対応してるんですか。
はい。ピクト図解やもしドラだけでなくダイヤモンド社の電子書籍はすべてユニバーサルアプリなので、iPhone版、iPad版のどちらかひとつ購入すれば、両方で閲覧できます。アプリ開発という点でいえば苦労がむちゃくちゃ多かったんですが。iPhoneとiPadは縦横比率が違うので調整が必要ですし、先日発売されたiPhone 4は解像度が違うのでもうえらいさわぎですよ(笑)。
―iPhone3と4ではだいぶ異なります。
これが、もう大変なんてものじゃないんです。ひとつの電子書籍でiPhone 2種類(3と4)、iPadが縦画面と横画面でこちらも2種類、全部で4とおりの見え方がある。とくに表紙や図版ページなどは、それぞれ違ったサイズの画像を用意する必要があるので、紙の本をつくるよりも手間がかかります。でも、画像は4種類でなく2種類用意すれば済むように仕様を考えたりと、作り方も電子書籍ならではの工夫もしています。
iPhone4でも解像度にあわせて閲覧しやすく表示される。 |
―ページづくりも紙の本とは違いますか?
どちらかと言えばウェブサイト制作に近いかもしれませんね。独自形式のタグでテキストをマークアップして、ページのデータを作成しています。独自形式タグに対していろんな意見もあるようですが、XMLであれ何であれほかのマークアップ言語が主流になってもあとから対応できます。論理構造さえしっかりしていれば置換すればよいだけですから。
電子書籍が紙の本の売上を伸ばした
もしドラの発売以降、ドラッカー関連書の売上げが非常に伸びています。ドラッカー関連書全体では合計60万部以上が増刷になっています。なかでも一番売れているのは、もしドラの主人公の“川島みなみ”が参考にした本『マネジメント エッセンシャル版』(以下、『マネジメント』)です。
―もしドラを読み終わった後、私も書店で買いました。
ありがとうございます(笑)。そういうかたがだいたいもしドラ読者の3人にひとりいらっしゃいます。もしドラは100万部で、マネジメントは30万部以上増刷していますから。
―ずいぶん多いですね。マネジメントは2100円と高額で装丁も硬めのビジネス書なのですが。
『マネジメント』は2001年に発売されて、もしドラが出たときは発行部数がだいたい10万部程度でした。それが今は42万部。半年ちょっとで32万部増です。最近では、同時に買っていただくことも増えているようです。
電子書籍との関連で言うと、『マネジメント』は紙版だけで、電子版が存在しないんですよ。ですから先ほどの計算にあてはめると、電子書籍版のもしドラは5万部、そこからマネジメントの紙版につながった数は1万5000部程度はあるのではないかと思っています。これは、電子書籍が紙へのプラスの効果を生んだいい例だと思いますよ。
もしドラ作中に登場したマネジメント【エッセンシャル版】。 |
―紙の本の販促につながったわけですね。
はい。もしドラ電子版は、間違いなく紙の本にとってプラスでした。電子書籍は出版業界を活性化する可能性があると思っています。作り手としては表現の可能性がひろがるのがいちばんうれしいですね。電子書籍で新しい読者を開拓し、一人でも多くの人に喜ばれるようなコンテンツづくりを手がけていきたいと思います。
―ありがとうございました。
【関連サイト】
●もしドラ公式サイト
●もしドラ公式ツイッターアカウント
インタビュー中に登場した『もしドラ』やベストセラーの『適当日記』、『ピクト図解』など、ダイヤモンド社のiPhone/iPad対応電子書籍の詳細はこちら。
●ダイヤモンド社のiPhone電子書籍
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