MITメディアラボ副所長石井裕氏のレセプションスピーチ
NoMaps2019が開幕 MIT石井裕氏「誰も見たことのない山を造り登頂してほしい」
10月16日よりNoMaps2019が開幕した。NoMapsは、クリエイティブな発想や技術によって、次の社会・未来を創ろうとする人たちのための一大コンベンション。北海道を舞台に、カンファレンスや展示、さらにはミートアップなどの交流を通じて、新しい価値を生み出す大きな枠組みとなっている。
NoMaps2019では、16日から20日までの5日間をメイン会期として、北海道・札幌を中心にさまざまな取り組みが実施される。開幕に先だって開催したレセプションでは、16日のキーノートスピーチで登壇するMITメディアラボ副所長石井裕氏が登壇した。
「そこにとても高い山があると思っていた」
MITに行く理由での間違いとは
まず石井氏は、札幌、そして北海道、日本を大きく世界に向けて飛躍させるイベントとして、NoMapsというユニークな名前に着目。変化が激しい時代、指針、羅針盤、どの方向に進み続けるのかという柱が大事だと語った。
「NoMapsは言い換えるなら、地図がないのではなく、新しい地図を切り拓いていく、どの方向に差し進んでいくのかを探るもの、それが北(北海道)に進んでいるのではないか」(石井氏)
この先に何が起こるかわからないという例として、アイスランドで2010年に起きた火山爆発のエピソードを石井氏は説明した。当時、火山灰がヨーロッパを覆いつくしたことで、広い範囲で航空運行に重大な混乱がもたらされた。
これは、責任を持って運航をしなければならないパイロットなどにとって大きなインパクトだった。既存の飛行プラン・自動航行システムが機能しなくなったとき、つまりそれまであったものがなくなったとき、リーダーは何をしなければいけないか。
すぐ目の前に火山灰が迫る中で、既存のプランの書き直しや、空中で航行システムのリブートはできない。そういった状況はまさに、我々が生きている常に変化が続いていく時代とつながっている。我々はどこにいるのか、どこに向かっているのかを考えなければならない。
石井氏は「原因と動きの予想が必要。視座・変化し続ける世界を見ることが一番大事なもの」だと語る。
改めてNoMapsのイメージを見たとき、山をモチーフにしている部分に石井氏は非常に関心をもった。未踏の山というのは研究者にとってロマンティックなイメージであり、石井氏自身がこれまでの人生を集約した、若い人に伝えたい9文字とも関連が深い。
「出杭力」(でるくいりょく)打たれても打たれても突出し続ける力
「道程力」(どうていりょく)原野を切り開き、まだ生まれていない道を、独り全力疾走する力
「造山力」(ぞうざんりょく)未踏峰連山を、海抜零メートルから自らの手で造り上げ、そして初登頂する力
研究とはトラックを走ることではなく、未開の原野を1人で全力疾走すること、新しい道をつくること、次の段階そのものを作ることだ。高村光太郎は、「道程」という詩でそれを表現している。
1995年。石井氏は、「パーソナルコンピュータ」の提唱者として知られる研究者であるアラン・ケイ氏からマサチューセッツ工科大学へヘッドハンティングされる。「MITに行く理由は、そこにとても高い山があって、(山頂が)雲に隠れて見えないと思っていた。だが、実際はそれは大間違いだった。登頂すべき山なんか存在しない。山そのもの、時代を作って、そこを初登頂すること。自分で作ることがMITで生き残る条件だった」
ここで、石井氏自身も親交があったエベレストに8回挑戦した冒険者である北海道出身の栗城史多氏のエピソードが語られる。なぜ現代の登山家が山を目指して登るのか、石井氏は考えた。
山はすでにそこにある。自分が世界の記録に残るためには、積集合、特殊な条件を重ね合わせることによって、初めて冒険が成功したときに世界の記録の1ページに残るのではないか。登山は、ゴールが明解に見える、審判が見える、ジャッジがいる戦いだった。
一方で石井氏は、自分がやってきた研究が何だったのかを振り返る。「塗り替えられるトラックの中の記録ではなく、だれも見ていないところをつくって進むこと。アカデミアの役割は、いまある目標を誰よりも早くではなく、未踏を進むこと、だれも見たこともない山をつくって進むことにある」
登山と造山。世界最高峰がどこかわからない、だが誰も見たことのない山をつくろうというマインドセットを持ってもらいたいとNoMapsのレセプションで石井氏は語った。
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