週刊アスキー

  • Facebookアイコン
  • Twitterアイコン
  • RSSフィード

PC-8001のミニ復刻機やゲーミングブランドの予告も!NEC PC「PC-8001誕生40周年記者会見」

2019年08月06日 13時00分更新

PC-8001の誕生秘話も語られた

 また、PC-8001に関わったゲストスピーチも行なわれた。最初に登壇したのは元NEC支配人でパソコン事業立ち上げの責任者であった渡辺和也氏。

渡辺和也氏

 渡辺氏によると、1976~1980年は産業界でマイコン知識、応用知識の習得がブームとなり、教育教材として「TK-80」(1960年)を発売。それが数万キット売れ、NECマイコンサービスルーム「ビットイン」を開設。

 その後、市場の強い要望をできる限り応えるパソコンといえる製品として「PC-8000」を発売するうえで、ソフトは出来るだけ多くの人に使ってもらい、ユーザーフレンドリーで、使用実績があり、バグ取りが進んだモノとして、マイクロソフト社を選択したという。

 次に登壇したのは、その渡辺氏の下、TK-80やPC-8001の開発リーダーを務めた元NEC、東京大学工学系研究科 IoTメディアラボラトリー スペシャリストの後藤富雄氏。

後藤富雄氏

 後藤氏曰く、当時のNECでは若い技術者が大切にされ、渡辺氏の下、自由に仕事と勉強をするチャンスをもらっていたという。コントローラーがミニコンPDP8だったLSIテスタにて、コンピューターのハード、ソフトを独習。その後マイクロプロセッサーが誕生し、九州日本電気に出向し、マイコン応用の実験に没頭したという。

LSIテスター

 その後、マイコンチップを売るためにマイコンのトレーニングキット「TK-80」を開発。宣伝、啓もう、拠点としてビットインを開設。

TK-80の試作機

TK-80Eのパッケージ

組み立て済みのTK-80

秋葉原のビットイン

ビットインに置かれていた際のTK-80によるマイコンシステム。カラーモニターにキーボード、記憶領域としてカセットテープが取り付けられている

 その後、一般人にも使える言語が欲しいとの声を受け、マイクロソフトのビルゲイツ氏、この後登壇する西和彦氏の協力を得て、Microsoft Basic言語に対応した「PC-8001」の開発につながっていく。

 PC-8001の開発戦略は、日本語の仮名が使え、カラー表示。高機能BASICをROMで搭載。FDD装置、カラーCRTディスプレー、プリンターといった実用になる周辺装置の同時発売を目指したという。

PC-8001システム

この記事をシェアしよう

週刊アスキーの最新情報を購読しよう

本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります