週刊アスキー

  • Facebookアイコン
  • Twitterアイコン
  • RSSフィード

昔はギターだったけど、僕らはコンピューターでコードを奏でよう

フジテック友岡CIO、スタジアムでLOVE&PEACEを叫ぶ

2018年11月13日 07時00分更新

 11月3日に大阪で開催されたJAWS FESTA 2018の基調講演は、昨年に引き続きフジテックCIOの友岡賢二さん。昨年はコミュニティに参加する理由を経営理論からひもとくという内容だったが、今年は「テクノロジーの民主化で世界平和を」という壮大なテーマ。武闘派CIO、社会運動、コミュニティ、オープンソース、LOVE&PEACEまで、さまざまなキーワードが輪廻のようにつながっていくセッションだった。

フジテックCIOの友岡賢二さん

武闘派CIOのムーブメントはこうして生まれた

 「最高にいい天気ですよね!みなさんの笑顔も素敵です!!」と第一声を挙げた友岡さん。JAWS FESTAの楽しみ方を語った上で、パナソニックスタジアム吹田という素晴らしい会場での開催を実現したJAWS-UGのメンバーやスポンサーに向けて、会場とともに熱い謝辞の拍手を浴びせかける。その上で、本題である「テクノロジーの民主化で世界平和を」というテーマについて、友岡氏たちが展開する「武闘派CIO」のムーブメントがなぜ生まれたのか?から話をスタートさせる。

 友岡さんがポイントしたのは、TEDの「社会運動の起こし方」(デレク・シヴァーズ)だ。音楽に合わせて誰かが踊り出しても、1人だけだったら、単なるあほ踊り。しかし、フォロワーが付くことで、最初に踊り出した人はリーダーになり、3人になると「集団」になる。「ニュース」となり、「パブリック」な存在になり、全員を巻き込んだ大きなムーブメントに膨れていく可能性が出てくるという。

TEDの「社会運動の起こし方」

 そこそこな会社のCIOが集まった武闘派CIOの場合、最初にあほ踊りをしたのは東急ハンズCIOの長谷川秀樹さんだった。「マジッククアドラントのリーダー使っとけばええやんけとか、四の五の言わんでAWSに持っていけやとか、けっこういいこと言ってるんだけど、かっこうがかっこうだったので、ちょっと遠い人だった(笑)」と友岡さんは振り返る。でも、日清食品ホールディングス CIOの喜多羅滋夫さんが同じような格好でフォロワーになり、3人目として友岡さんが加わることで武闘派CIOというムーブメントになった。「日経BPさんでも記事になった。まさにニュースになり、公の存在になった。僕らの話を聞いて、勇気出たというつぶやく人も出てきた」(友岡さん)というわけだ。

一人目が一人目なら、フォロワーもフォロワーだの図

 ちなみに、こうしたコミュニティのリーダーには「フォロワーを対等に扱う」「肝心なのは自分ではなく運動だ」といった心得が必要だという。「リーダーシップも変わってきていて、今までのようなカリスマ型からフォロワーを対等に扱うボトムアップ型になっている。武闘派CIOも最初の2人がオープンで、対等に扱ってくれてありがたかった」と友岡さんは語る。

旧来型コミュニティは「ウチ」と「ソト」を厳密に区別する

 続いて、友岡さんは自らのコミュニティ経験を振り返りつつ、旧来型コミュニティについて説明を加える。

 友岡さんにとって最初のコミュニティは「地区のお祭り」だった。もちろん全員参加で、地区特有の笛や太鼓の練習も必須。その中心にはつねに「神社」があったという。次に社会人になると、こうした地区のコミュニティから抜け、「会社」というコミュニティに入ることになる。友岡さんの場合は松下電器産業(現パナソニック)で、「朝礼があって、社歌を歌ったし、運動会もあった」と振り返る。

 地域のお祭りは農業社会でのコミュニティ、会社は工業社会でのコミュニティと位置づけられ、共同作業に必要だった。しかし、こうしたコミュニティは、情報革命が起こった現代においては、すでに古いという。友岡さんは、「神社とも会社とも、共通するのは『社』であり、ピラミッド組織であること。でも、ピラミッドってお墓ですよね。中にいる人は死んでいるんです」と指摘する。

 では、いったいなにが古いのか? 友岡さんは「こうした古いコミュニティは定住者と部外者を厳しく区別する」と指摘する。地区であればムラで生まれた者とヨソで生まれた者、会社であれば新卒と中途など、確かにウチとソトは厳密に区別される。社会学的にも「私たちは否定的なものを排除することによってのみ自分たちはなにかという本質的な答えを入手する」と言われており、自分たちがなにかではなく、排除するものを規定することによって自らを定義するという。

 こうした古いコミュニティと、前述した「社会運動の起こし方」で生まれたコミュニティは明らかに違う。そして、両者で根本的に異なっているのが、「オープンソースの思想」の有無だという。

この記事をシェアしよう

週刊アスキーの最新情報を購読しよう

この連載の記事