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「問題になると思わなかった」Twitterの匿名裏アカ問題は安易な気持ちが引き起した

2018年11月13日 17時00分更新

文● ノダタケオ(Twitter:@noda) 編集●ちゅーやん

 青森市の市議会議員選挙に初当選したばかりの男性がTwitterの匿名アカウントで「高齢者や性的少数者(LGBTなど)らへの差別的な表現を含む投稿」をしていたことが問題になりました。本件はさまざまなメディアで取り上げられ、記者会見の場において謝罪したことが話題となっています。

 TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアは、ネットを通じてさまざまな人と交流できるだけでなく、「誰かに伝えるわけでもなく、自分が感じたこと(意見)を自由に書ける(主張できる)」のが良いところです。

 ただ、「自分が感じたことを自由に書ける」という自由があるとはいえ、ルール(法令)に反することはもちろん許されることではありません。また、自由である一方で、利用する人たちがモラル(倫理・道徳)を守っていかなければ、ソーシャルメディアというこの世界は成り立っていかないのも事実だと思います。

自由だからこそ「自分の身に跳ね返ってくる」ことを忘れてはならない

 特にTwitterはFacebookと異なり、実名ではなく、「日常の自分とは違う匿名での自分」をソーシャルメディア上に作り出すことができます。そして、なかなか口にすることができない自分の心の中にある思いを文字(投稿)として表現できます。

 子どもたちだけでなく、大人たちも、メインアカウントとは別に、別アカウントを作って自分の趣味に関することだけを投稿し、共通の趣味をもった人たちとネット上で繋がっていくこともあります。また、普段の日常では少し話しづらいような政治的な主張を、政治に興味がある人たちとネット上で意見を交わすために別アカウントを作る人もいるでしょう。

 今回のような、匿名の裏アカウントそのものが「悪」であったり「闇」とメディアで表現されたりしますが、Twitter上において匿名の……いわゆる裏アカウントという形の別(複)アカウントを作ること自体は問題ではありません。

 匿名の裏アカウントだったにせよ、公のアカウントであったにせよ、ルール(法令)に反しないのであれば、自分が何を思い、それをソーシャルメディア上で表現することは本人の自由であると思います。

 でも、ルールに反していないからといって、直接、人に向かって言えないような(モラルに反する)ことを、ソーシャルメディア上で書いてしまうことは、なんらかの形で「自分の身に跳ね返ってくる」ことを決して忘れてはならないのではないでしょうか。

匿名でも利用できるTwitterは投稿する内容がどうしても過激になりがち

 実名が基本となるFacebookと比べ、実名を名乗らずとも匿名やニックネームなどで利用することが多いTwitterは、投稿する内容が過激となってしまったり、投稿を目にした人たちのことを深く考えず、相手の感情を無視してしまったりすることがよくあります。結果的に、その投稿を見た人を傷つけてしまうこともあります。

 「誰かに伝えるわけでもなく、自分が感じたことを自由に書ける」Twitterは、誰もがその投稿を見ることができますし、リツイートという手段でさらに多くの人に投稿された内容が拡散されて広がっていくことも少なくありません。

 誰も見ていないと思って投稿したものであっても、投稿したその内容が共感できる素敵なモノとして広がっていくなら良いのですが、共感できない悪いモノとして広がっていき、ネット上で話題となって、それがメディアでも取り上げられてしまうことも。

 さらには、一旦投稿した内容を、後で削除したり非公開にしたりしても、その投稿内容がスクリーンショット(画像保存)されたことによって再び広がることもあります。隠そうとしたことでより話題を呼んでしまい、さらに炎上してしまうという形になってしまうことも過去に多くあったことは言うまでもないでしょう。

 だからこそ、自分が感じたことを表現(投稿)しようと思ったとき、その内容が「ルールやモラルに反しないものであるか」は特に留意が必要であり、改めて、注意しなければいけないと思います。

「弱み(問題)になると思わなかった」という安易な気持ちが大きな問題へつながった

 今回メディアで問題となったこの話題、そもそも男性は「匿名(別アカウント)で書いているから誰が書いているのかわからない」という安易な気持ちで投稿していたのかもしれません。匿名(別アカウント)で書いていたとしても、誰が書いているのかが知られてしまう可能性があることはおそらくわかっていたはずです。

 どちらかというと「書いたことが弱み(問題)になると思わなかった」という安易な気持ちがメディアで取り上げられてしまうような大きな問題へとつながったように感じています。

 これは議員のような公の人だけの話ではなく、私たちのような一般の人たちも起こり得ることです。ソーシャルメディアに何気なく書いたことであっても、メディアに取り上げられるまではいかなくても、何らかの形で私たちの社会生活へ支障をきたすことは十分にあり得ます。

 ソーシャルメディアは「誰かに伝えるわけでもなく、自分が感じたこと(意見)を自由に書ける(主張できる)」場所であり続けることは必要なのですが、その自由さゆえに、何気なく書いたことが弱み(問題)となってしまう可能性はゼロではありません。

 ソーシャルメディアは架空の世界ではありません。「書いたことは少なからず誰かの目に触れ、その書いた言葉の結果が自分の身へ返ってくる世界である」ことを再認識したうえで、ソーシャルメディアと上手に接していかなければならないことを今回の問題によって改めて強く感じるのです。

ライブメディアクリエイター
ノダタケオ(Twitter:@noda

 ソーシャルメディアとライブ配信・動画メディアが専門のクリエイター。2010年よりスマホから業務機器(Tricasterなど)まで、さまざまな機材を活用したライブ配信とマルチカメラ収録現場をこなす。これらの経験に基づいた、ソーシャルメディアやライブ配信・動画メディアに関する執筆やコンサルティングなど、その活動は多岐にわたる。
nodatakeo.com

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