週刊アスキー

  • Facebookアイコン
  • Xアイコン
  • RSSフィード

日本初開催となる「Table Unstable」レポート

京都から世界最先端へ ブロックチェーンと量子コンピューターをめぐるCERNプレゼンに中高生触れる

量子コンピュータとブロックチェーンという未来の情報処理技術を中心テーマに世界の科学者・技術者が集う会議体「Table Unstable」が、初めて日本で開催された。場所は京都府宮津市。日本三景の一つである天橋立や、多彩な山の幸・海の幸で国内外から徐々に注目を集めつつある観光の街で開催された世界最先端のイベントを紹介する。

「Table Unstable」とは何か?

 「Table Unstable」は、株式会社電通国際情報サービスのオープンイノベーションラボ(以下イノラボ)とシビラ株式会社によって世界最先端の科学者が集う場として設立された。量子コンピューターとブロックチェーンを中心に、たとえば量子コンピューター環境下における情報セキュリティーに関する議論などを進める。世界最大の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)や、それを活用した実験によるヒッグス粒子の発見で有名な欧州原子核研究機構(CERN)もそのコアメンバーとなっており、本年4月にはCERNのあるスイス・ジュネーブで最初の国際ワークショップを開催した。

 今回、日本初となる「Table Unstable」は、学生を中心とする若年層をはじめに、欧州ならびに日本の研究者・企業をターゲット参加者として開催された。特に注目すべきは、これほどまでに「尖った」ワークショップであるにもかかわらず、地元宮津の200名を超える中学生・高校生を参加者として呼び込んだこと。柔軟な頭脳を持つ若者達が世界最先端の技術に触れることにより、未来のアインシュタインが生まれることを願ってのものである。

 宮津でこのイベントが開催された経緯にも触れておく。そもそもは同市名産品であるナマコの生産履歴保証をブロックチェーン技術を用いてできないか、という宮津市とイノラボによる取り組みがあった。このとき、ブロックチェーンに次世代暗号技術を組み込めないかというアイデアが生まれ、そこに量子暗号を……と主催者が閃いたことがCERNを会議体「Table Unstable」に引き込むきっかけとなった。

 実は量子力学に関して、日本は世界でも最先端に並んでいる。今回講演者として登壇した京都大学の藤井啓佑准教授はその最たるもので、量子力学が今日ほど注目される前から世界のトップランナーとして研究をリードしていた。こういった日本の研究実績と、「宮津市のナマコ」というアプリケーションの存在は、CERNにとっても非常に魅力的な取り組みと映ったという。

「宮津のナマコ」についてスイスで講演を行ない、CERNを引き込んだ宮津市の安東直紀理事

 CERNは世界最先端の研究を行っていると同時に、学生や若手研究者の育成に非常に意欲的にも取り組んでいる。そこで、スイスで開催された科学者向けの「Table Unstable」ではなく、日本の若い学生達に世界の広さや科学の奥深さを感じてもらう機会、「Science Outreach」として企画されたのが今回のイベントである。

 宮津市役所から宮津市教育委員会を通じた呼びかけに応じて参加した中高生は合計255名。内訳は宮津中学校から2年生が85名、栗田(くんだ)中学校から3年生が21名、橋立中学校から3年生が91名、海洋高等学校から2年生と3年生が合わせて58名となっている。さらに多数の大学生も聴講に訪れた。あらゆる可能性を秘めた若者たちが、このイベントから受けた刺激からどんなイマジネーションを拡げていってくれるのか期待してやまない。

 またCERNの日本側窓口として、イノラボが日本の研究機関や個人研究者・学生とCERNをつなぐ橋渡し手としての役割を担うこととなった。日本の研究者が世界に出ていくことは、ウェブが発達した現代においてもまだ容易ではない。多くの若手研究者にとってイノラボの支援は心強いものとなる。

日本の研究者とCERNの橋渡しとなるイノラボの鈴木プロデューサー

 本記事では、スイスから来た3人の研究者によるCERNの最新研究紹介のセッションについて取り上げる。CERNの研究テーマは世界最先端であり、特別な知識や経験を持たない中高生が理解するのは非常に困難と思われる。しかし一方で、そういう「空気」に触れる機会は極めて貴重でもある。1人でも多くの学生が、何か引っかかるもの、気になるものを感じることができれば、このイベントの目的の半分以上は達成できたと言えるだろう。

これから始まるセッションに胸膨らませる学生たち

 また、本ワークショップは中高生も聴講する昼の部と、夕食並びにアルコール類も出る夜の部に分かれており、夜の部では科学的根拠を元に作られたSF作品「シュタインズ・ゲート」の原作者として有名な志倉千代丸氏も参加するパネルディスカッションが開かれた。こちらも別記事でのちほどレポートする。

「CERNの目指す未来と最新研究内容紹介」(by John Ellis)

 量子力学の大家であるJohn Ellis氏の講演は、ポール・ゴーギャンの作品のタイトルに付けられた以下の言葉から始まった。

「我々は何者か(What are we?)我々はどこから来たのか(Where do we come from?)我々はどこに行くのか(Where are we going?)」

 Ellis氏は、これこそが彼自身が50年以上にもわたり研究を続けている理由だと述べる。これらの問いに対する回答を見つけること、宇宙が何でできているのかを解明することこそが、彼の研究テーマである素粒子物理学の最終ゴールである。

ポール・ゴーギャンが描く素粒子物理学の姿

 素粒子物理学は原子の中身を調べ、宇宙に関する根本的な疑問に答えることを目指す学問である。LHC(大型ハドロン衝突型加速器)を活用してビッグバン直後の物理法則を細かく調べることにより、素粒子物理学と天体物理学、宇宙論、ダークマターなどに関するさまざまなことがわかるようになる。

 素粒子物理学には、Salam、Glashow、Weinbergの3氏によって提唱された「標準モデル」と呼ばれる理論がある。この理論は我々の宇宙におけるすべての物質をうまく表現できている。また、CERNにおけるさまざまな実験結果ともほぼ完全に一致している。しかしEllis氏によれば「粒子の質量がどこからくるのか」という問いにはまだ完全に答えることができていないとされている。

 ニュートンは「質量は重量に比例する」と言い、アインシュタインは「質量はエネルギーに関係している」と述べた。しかしこれらはいずれも「どこから質量が来ているのか」という問いに直接答えるものではない。Peter Higgsは、ヒッグス粒子と呼ばれる素粒子の存在を予言し、それが物質に質量をもたらすとする理論を提唱した。

質量をもたらす粒子に関する理論を提唱したPeter Higgs氏

 Higgsが提唱した理論の正当性を証明し、質量の起源に関する謎を解くため、CERNは世界最大の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を開発した。Ellis氏によれば、LHCは全周27キロメートルの円環状の加速器であり、数千億個の陽子を光速の99.99999991%まで加速する。加速された陽子はLHCを1秒間に1万1000回周回し、このとき毎秒10億回の衝突が発生する。それらの観測を通じて、2012年4月にヒッグス粒子の存在が確認された。この成果には、日本の研究者も実験の遂行に貢献している。

 質量の起源の探求だけでなく、ダークマターや初期の宇宙を満たしていたプラズマ、または物質と反物質の違いについての理解を深めることもLHCを用いた実験の目的となっている。さらに、CERNは現在の標準モデルの拡張が必要であると考えている。量子重力理論の構築は特に重要な課題である。

大型ハドロン衝突型加速器(LHC)

 最後に、Ellis氏はCERNに課されている4つの使命を挙げた。1つ目は知識のフロンティアを拡大すること。2つ目は加速器や検出器に関する新しい技術を開発すること。3つ目は未来の科学者や技術者を育てること。4つ目は異なる国籍や文化を持つ人々を結びつけることとしている。

 今回のイベントは、これらのうち3番目および4番目のミッションに該当する。宮津市の中高生は素晴らしい機会を得ることができたが、ほかの地域でもこのような活動が求められているはずである。日本の基礎技術開発力への危機感が叫ばれているなか、海外の研究機関だけでなく、国内の大学・研究機関にも積極的な若者への支援を期待したい。

CERNのミッション

「ブロックチェーンに関しての最新研究内容ご紹介」(by Oday Darwich)

 Darwich氏は、参加者に向けて「インターネットがいつできたか知っているか?」と問いかけたのち、ほとんどの参加者が知らなかったことを見て、まずインターネットの成り立ちから話を始めた。

 1960年代から1980年代にかけ、あるコンピューターから別のコンピューターを呼び出し、そこでプログラムを走らせるRemote procedure callの研究・実装が行なわれた。そして1986年にCharles GoldfarbによってSGMLが開発された。

 1989年から1990年代にかけて、CERNのコンサルタントだったティム・バーナーズ=リーによってWorld Wide Web(WWW)が開発された。TCP/IP、SGML、HTMLなどの最新技術が身近にあり、数多くの優秀な科学者に囲まれている、などCERNの優れた環境が彼の開発を後押ししたためと考えられている。

 人類がこのWWWを手に入れたことにより、誰もが自由に求める情報にたどり着けるようになった。そして更に先進的な技術を使って、WWWの上にグーグルやフェースブック、ビットコインなどのサービスが開発されていった。

 Darwich氏は、新しいアイデアが生まれ、育てられる機会や場所が非常に大事であることを強調していた。彼はレバノンで生まれ、フランスに移り住み、さらに今はスイスに行って研究活動を行なっている。そういう経歴からの実感なのであろう。

新しいアイデアを生み出す場

 Darwich氏が現在進めている研究の1つとして、「Innovation Store」と呼ばれる技術文書などの知的財産を保護したり共同開発するためのフレームワークが紹介された。ブロックチェーン技術を活用し、新しい技術を開発したら、それに署名してアップロードすることにより、後から加えられる技術拡張や変更の履歴をすべて保持することができるというものだ。

 日本ではまだブロックチェーン技術と言えば仮想通貨と考えられがちだが、このように海外では異なる形でのアプリケーションの研究がすでに進展している。

Innovation Store

 また、Darwich氏は別の取り組みとして「Open Access Knowledge」を挙げた。これは特別な技術や知識を持たない人に対しても最新の技術や知識にアクセスできるようにするための活動である。これはソフトウェアもハードウェアも科学技術もすべてオープンにし、誰もが利活用できるようにすることを目的としている。

 CERNのアイデアスクエアでは、新しい技術を使って物事をより大きなスケールで考えるよう求められる。Open Access KnowledgeにもそういうDNAが包含されているとのことだ。

 John Ellis氏が述べたようなCERNの使命を達成するためには、量子力学や素粒子物理学といった他分野の専門家と交流し、新しい知識を獲得しなくてはならない。そのためCERNはグローバルな人材展開・獲得を推進している。たとえば日本はCERNにおけるさまざまな実験・研究において貢献をしている。

 基礎研究以外にも、CERNは若い人たちを対象に科学技術への興味を呼び起こし、研究活動を行なうよう導いていくプロジェクトが進められている。「Beamline」というプロジェクトには現在195の参加団体があり、若者が彼ら自身のアイデアをCERNの施設を使って研究・実験できる。また、Challenge Based Innovationというプログラムでは、人々の科学への関心を高めるために、世界中の学生に対して、トレーニングを行なっている。

CERNにおける若者支援プログラム:Beamline for Schools

 最後にDarwich氏はCERNが現在直面している課題をリストアップした。

  • ブロックチェーンや分散ネットワークの限界
  • 新しい物理学を研究しなくてはならない
  • プライバシー問題を解決しなくてはならない
  • 情報の保存法や検索の新しい技術が必要である
  • 社会的な量子インフラについて検討しなくてはならない

 すでにCERNにはブロックチェーン、AI、量子コンピューティング、VR/ARなどのエマージングな技術がある。これらを使って次のティム・バーナーズ=リーになるのは日本人かもしれないと会場に来ている中高生に誘いかけた。

「量子力学に関しての最新研究内容ご紹介」(by Alberto Di Meglio)

 本セッションの最後に、CERNオープンラボ所長のAlberto Di Meglio氏がCERNと民間企業のパートナーシップであるCERN openlabの紹介を行なった。

 CERN openlabは、2001年から(第1期を除き)3年ごとに開催されており、2018年には6期目のプロジェクトがスタートした。世界中の20以上の名だたる企業との期間3年のジョイント研究開発プロジェクトである。そのテーマには、Data Acquisition、Computing and Software Engineering、クラウドコンピューティング、ストレージ、ネットワークアンドセキュリティー、インダストリアルコントロールシステム、マシンラーニングなどがある。

 CERN openlabはすべてすべてオープンソフトウェア、オープンハードウェア、オープンアクセスライセンスの下で研究を行っている。プロジェクトのすべての結果は、世界の研究とコラボレーションを促すために公開されるという。

CERN openlab所長のAlberto Di Meglio氏

 CERN openlabには主要な研究テーマが3つある。

 1つはデータセンターのパフォーマンスを向上させるための新しいソフトウェアおよびハードウェア、2つ目はクラウドコンピューティング、3つ目は機械学習や量子コンピューティングなどによるコンピューティングパラダイムの転換である。

 AIの研究に関しては、畳み込みニューラルネットワーク、Generative Adversarial Networks(GAN)、自然言語処理などを研究するプロジェクトを推進している。また、各プロジェクトには、たとえば大規模高速データ収集用プロセッサーや高速物理シミュレーションなど、すべて付随するアプリケーションが検討されている。

CERN openlabのテーマ

 CERNが現在研究を進めているプロジェクトの1つに「Smart Knowledge Platforms」というものがある。これは我々が直面しているいわゆる「情報の洪水」に対処するため、さまざまなアルゴリズムを駆使して、研究者でも一般の人でも誰でもが簡単に目的の情報を見つけられるようにすることを目的としている。いわば知識管理プラットフォームの実装である。

 ただしこれは人間の脳を代替できるものを作ろうとしているわけではなく、人間の脳を助ける技術を開発しようとしているに過ぎない。

 また、「Neuromorphic Computing Platform」の研究も非常に重要と考えている。その中にはNeuromorphic Computingと量子コンピューティングという2つの主要テーマが含まれている。

 「Neuromorphic Computing」は聞き慣れない言葉だが、人間の脳の働き、神経回路を模倣することによって複雑な計算処理を高速化するものである。これらを用いることにより、研究開発を行っている技術者や研究者を支援し、研究をスピードアップさせることを狙っている。

Smart Knowledge Platforms

 量子コンピューティングに関しては、11月5日・6日にCERNでワークショップを開催することになっている。世界中の量子コンピューティングの研究者や技術者を集めて議論を行なう。

 ただ、CERNはそのような第一線の研究者だけを対象に活動しているのではなく、学生向けのプログラムもさまざま用意している。たとえばジュネーブ大学とCERNの間で、AI、量子コンピューティング、ブロックチェーンなどについて研究を行なう学生を対象にした交換プログラムを実施する。もし日本の企業や研究機関で同様のプログラムを作りたいと考えているところがあれば連絡をほしいと述べていた。

 以上、駆け足でCERNによるプレゼンテーションをまとめたが、非常に高度な内容を、短い時間で、しかも中高生にもわかるように解説するために、言いたいことをかなり抑えている印象を受けた。次回機会があれば、テーマを絞り、実例を中心として深く掘り下げた議論を期待したい。

この記事をシェアしよう

週刊アスキーの最新情報を購読しよう

この特集の記事