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『アナ雪』『ズートピア』を突破したワケとは!?

『インクレディブル・ファミリー』大ヒットの理由

2018年08月01日 11時30分更新

 ディズニー/ピクサー20作目の長編映画『インクレディブル・ファミリー』(8月1日公開)を観てきた。結論から言うと、最高っっ! の映画だ。アクションシーンは迫力満点で、ピクサー至上もっとも面白いとさえ思う。子育てあるあるも描かれていて、ちょっぴり感動的。子供から大人まで楽しめること間違いなし。『Mr.インクレディブル』の14年ぶりの続編だが、前作を観ていない人でも楽しめるだろう。

 『Mr.インクレディブル』で監督・脚本を務めたブラッド・バードが続投。彼は『レミーのおいしいレストラン』などのアニメーション映画のみならず、『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』といった実写映画も撮れる天才である。

 また、日本語版の声優もMr.インクレディブルは三浦友和、妻イラスティガールは黒木瞳、長女ヴァイオレットは綾瀬はるか、前作のラストに登場した悪役アンダーマイナーは髙田延彦が続投する。

 アメリカで6月15日から先行公開されたこの続編は、わずか24日間で556億8886万円の興行収入を記録。『アナと雪の女王』(443億159万円)、『トイ・ストーリー3』(458億7879円)、『ファインディング・ドリー』(537億5997万円)の壁を打ち破り、アニメーション作品で歴代1位の5億ドルを突破した。

 なぜ、アメリカで『インクレディブル・ファミリー』はこれほどヒットしたのか? 理由は3つある。【1】家族の描き方が非常に現代的であること、【2】マイノリティーへのまなざしがあること、【3】同時上映の短編映画『Bao』が孤独な高齢者をテーマにしていることである。

 あらすじ

 『Mr.インクレディブル』の数分後。人々を守ってきたスーパーヒーローたちは活動を禁じられてしまう……。

 そんなある日、Mr.インクレディブルとイラスティガール夫婦のもとに、ミッションが舞い込んだ。しかし、ミッションを任されたのは、なんと妻のイラスティガールだった! Mr.インクレディブルは、慣れない家事・育児に悪戦苦闘。しかも、赤ちゃんジャック・ジャックが驚きのスーパーパワーを覚醒してしまい……。

 一方、イラスティガールは“ある事件”と遭遇する。そこには、世界中を恐怖に陥れる陰謀が隠されていた! はたして、インクレディブル・ファミリーは世界を救えるのか!?

初期ピクサーは「筋肉ムキムキ」だった

 今回、大活躍するのはイラスティガールだ。彼女は夫と同じでめちゃくちゃ強い。イラスティガールが活躍するアクションシーンはスピード感満載で、スパイ映画のようだ。一方で、Mr. インクレディブルは慣れない家事や育児に奮闘。子供が寝付いたと思ったらまた起きたり、子供の宿題が理解できなくてつい文句を言ってしまったり、「育児あるある」で観客を笑わせる。

 もともとピクサー作品は、マッチョな父親像から始まっている。近代的な「筋肉ムキムキ」の父親像を捨てたことは、ピクサーにとって、もっと言えばアメリカ映画にとっても挑戦的だ。これまでのピクサー映画を振り返ると、この劇的な変化はわかりやすい。

 ピクサーの1作目『トイ・ストーリー』では、少年アンディのお気に入りだったカウボーイ人形ウッディが最新型ロボットのバス・ライトイヤーにその場を奪われてしまう。ある日、ウッディとバス・ライトイヤーは外に飛び出して冒険を繰り広げることに……。

 劇中でアンディのママは登場するものの、パパは1度も登場しない。英語版でウッディを演じるのは、俳優のトム・ハンクスだ。トム・ハンクスといえば、ハリウッド1の好感度俳優で、『プライベート・ライアン』や『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』などで「擬似的な父」を演じている。

 ピクサーは「イノセンス(無垢なもの)の喪失」を描いている、とよく言われる。初期ピクサーはクリント・イーストウッド(日本だと高倉健あたりが該当するだろうか)のような、かつてあったとされる強い父へのノスタルジーが込められている。

 『モンスターズ・インク』では、夜な夜なドアを開いて子供たちを怖がらせるモンスターズ・インクの社員サリーとマイクが、モンスターシティに紛れ込んでしまった女の子ブーを人間界に戻すために冒険する。サリーとマイクの2人は、当初はブーのことを恐れていたが、次第に彼女への愛情を深めていく。

 『ファインディング・ニモ』では、カクレクマノミの父マーリンが、過保護に育てていた子ニモを人間のダイバーにさらわれてしまう。彼は忘れっぽいナンヨウハギのドリーとともにニモを探す旅に出る。マーリンは過去のトラウマが原因で子供を過保護に育てていたが、旅の途中で少しづつ成長していく。

 前作『Mr.インクレディブル』では、Mr.インクレディブルと妻イラスティガールはスーパー・ヒーローとして大活躍していた。しかし、次第に国民から非難されるようになり、政府に活動を禁止されてしまう。その15年後、2人はヴァイオレット、ダッシュ、ジャック・ジャックの3人の子供たちとともに平凡に暮らすことを余儀なくされていた。そんなある日、欲求不満のMr.インクレディブルのもとに1件の依頼が届く。

 Mr.インクレディブルことボブは服がはち切れそうなほど、筋肉ムキムキだ。この体型は“パパはいつも強くあるべき”という考えの延長線上にあるという(公式冊子より)。この姿こそ、アメリカ人のノスタルジーを刺激するわかりやすい例と言ってもよいかもしれない。

 『カールじいさんの空飛ぶ家』では、78歳のカールじいさんは最愛の妻エリーを亡くし、1人きりで過ごしている。妻との約束を果たすために、彼は家に風船をつけて少年ラッセルとともに冒険に出る。カールじいさんは当初彼のことを毛嫌いしていたが、次第に絆を深めていく。

 『トイ・ストーリー3』は、ピクサー初期の集大成と言うべき作品だ。1作目『トイ・ストーリー』から10年後。ウッディたちは手違いで、保育園に寄付されてしまう。おもちゃ遊びから卒業した17歳のアンディが、ウッディたちと別れを告げるラストは涙なしでは観られない。

ディズニーのせいで、ピクサーは駄目になった!?

 2006年、ピクサーはディズニーに買収された。ディズニーの映画は『ルイスと未来泥棒』以降、ピクサーのジョン・ラセターが製作総指揮を務めている。彼は『トイ・ストーリー』や『カーズ』の監督で、宮崎駿の大ファンだ。そんな彼が関わってから、ディズニーはどう変わったのか? もちろんラセターだけの功績とは言わないが、『プリンセスと魔法のキス』や『塔の上のラプンツェル』など、プリンセス物語に現代的なメッセージ性を強く打ち出すようになった。

 『アナと雪の女王』では、エルサは触ったものを凍らせる力を隠していたが、制御できずに王国を冬にしてしまう。妹のアナは王国とエルサを救うために雪山に向かう。アナは1度は「運命の人」に恋をしたものの、次第に雪山で出会ったクリストフに惹かれていく。ネタバレになるが、エルサは自分が王国を凍らせたことに衝撃を受け、アナの胸を凍らせてしまう。彼女の命を救うには「真実の愛」が必要だ。

 愛とは運命の人でもなければ、クリストフでもない。エルサである。ディズニーはずっと恋愛に受け身のプリンセスを描いてきた。『眠れる森の美女』のオーロラ姫は、寝てキスを待つだけだ。しかし、近年のディズニーは変わりつつある。

 ディズニーが女性の社会進出を反映させていったので、ピクサーは主人公として郷愁的な「筋肉ムキムキ」の父を描くのに限界を感じたのかもしれない。まさに『トイ・ストーリー3』は「強い父」との決別の物語だった。次第にピクサー作品は「強い父」へのノスタルジーを抱えながらも、主人公が「父」から「子」に移り変わっていく。

 『レミーのおいしいレストラン』では、料理の苦手な見習いシェフの少年リングイニが、料理上手のネズミであるレミーとともに奮闘する。リングイニの父は料理人のグストーで、レミーには人間の恐ろしさを説く父ジャンゴがいる。この時期のピクサーには、父の影が隠されている。

 『メリダとおそろしの森』はピクサーではめずらしい(この「めずらしい」がポイントかもしれない)女性が主人公の作品で、少女と母親の関係性がテーマである。メリダ王女は伝統を押しつける母のエリノア王妃と度々対立している。メリダはそんな彼女の考えが変わるように魔女にお願いするが、手違いで母が熊に変わってしまい……。

 『アーロと少年』では、恐竜の末っ子アーロが人間の少年スポットとともに旅をする。アーロは父ヘンリーの背中を追いかけており、スポットははぐれた家族を追い求めている。ヘンリーは、ピクサー初期の強い父そのもの。この時期のピクサーは、子が父を受け継ぐストーリーが多い。

 『ファインディング・ドリー』では、前作『ファインディング・ニモ』から1年後。ある日、忘れんぼうのナンヨウハギのドリーが、幼い頃の記憶を頼りにニモとともにパパとママを捜す旅に出る。前作は父が子を探す物語だったのに対し、今作は子が両親を探している。まさに「父」から「子」への変容そのものである。

 『リメンバー・ミー』では、12歳の少年のミゲルは音楽を聴くことさえ禁止されており、靴屋を継ぐことを期待されている。死者の日、彼は家族を説得するため死者の国に向かう。この作品でも父親的なるものが重要な役割を担っている。7月18日にBlu-rayなどのソフト販売と、動画配信が開始された。気になる人は確認してほしい。

 主人公が「父」から「子」に移ったという変化はあったものの、ピクサー作品にはいわゆる「筋肉ムキムキ」の父へのノスタルジーが通底していた。ディズニーは女性の社会進出を反映させているのに、ピクサーの現代性はいまいちだったと言わざるを得ない。

『インクレディブル・ファミリー』はピクサー新時代の幕開け!

 『インクレディブル・ファミリー』では、近代的な父親像にこだわっていたピクサーがついに殻を破った。この作品では社会で活躍する母と、家庭で家事と育児をする父の時代に即した家族像が描かれる。ディズニーが「女性の社会進出」を反映したのに対して、ピクサーは「女性の社会進出」と「男性の家庭進出」を同時に描いて彼女たちに対抗したのだ。

 一説によると、日本で「イクメン」という言葉が使われはじめたのは2007年頃だという。ASCII.jpにも、2017年の10月まで「男子育休に入る」の連載をしていたピクサー好きの盛田諒さん(連載時、34歳)がいる。彼は連載のなかで、「イクメンという呼称そのものはアホっぽくて良いですが、父親の育児参加を特別に思わせてしまうのは普通にアホだなと思います」と綴っている。

 すこし話が逸れてしまったが、強い父がいなくなったからこそ、ピクサー初期の主人公たちは輝いて見えた。『トイ・ストーリー』のウッディ、『モンスターズ・インク』のサリー、『カールじいさんの空飛ぶ家』のカールじいさん……。しかし、ピクサーは今作で失われた「過去」ではなく、来たるべき「現在・未来」に立ち向かった。家事・育児に参加する父親像を描くだけではなく、ピクサー新時代にふさわしい「父親の成長」という新しい希望が込められた今作。Mr. インクレディブルは劇場に足を運んだ人々を魅了する。

(次ページでは、「『アナ雪2』はディズニー初のレズビアン主人公?」)

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