HHKB20周年記念でキーボードを語り尽くす!
9月23日、秋葉原UDXギャラリーにて「HHKB 20周年記念ユーザーミートアップ ~これまでと今後を語り尽くそう!~」というイベントが開催された。PFUの最高級キーボード「HHKB」初となるミートアップイベントだ。
冒頭にHHKBをPFU研究所と共同で開発した東京大学名誉教授の和田英一先生のビデオが流された。当日は、志賀高原で合宿をしているそうで参加できなかったためである。
「年は取ってもプログラミングは大好きで、オフィスの机の上にはデスクトップPC用のHHKB Type Sとラズベリーパイ用HHKB Professionalが置いてあります。ラズベリーパイはマーティン・リチャーズの言語が動くので、ドルとかポンドとかの紙を貼ってあります」(和田氏)
と、御年86歳なのに最初から飛ばしてくれて会場は盛り上がる。そのあとは、ご存じHHKBの誕生ストーリーを披露してくれた。
「同じインターフェースのキーボードが20年も使われているというのはすごいことだと思います。しかし本来、インターフェースというのはそういうものかと思います。ピアノもタイプライターも変わっていません」(和田氏)
そして、形が完成しているのは、ラグビーのボール、バイオリン、フォルクスワーゲンという昔のフォルクスワーゲンの広告をもじり、HHKBも完成した形になったのではないか、と感慨深げに語った。
第1部はHHKBの黎明期を関係者が熱く語る!
第1部はHHKBの黎明期に携わった人たちによるセッション。登壇者は、HHKBを開発した富士通の白神一久氏、当時PFUのエンジニアで現在テラテクノスの八幡勇一氏、HHKB黎明期の再販を担当したぷらっとホームの後藤敏也氏、漢字直接入力方式の「T-Code」開発者でキーボード愛好家の前田薫氏。
2016年12月20日に20周年を迎えたHHKBだが、第1部では黎明期~拡大と挑戦~さらなる高みへ、という3つのフェーズについてトークが繰り広げられた。最初はHHKB「以前」に使っていたキーボードについて。
「PFUにいた時にはワークステーションの開発をしていたので、スパークステーションの互換機を使っていました。その前は、ソニーのニューズとかのキーボードを使っていました」(八幡氏)
「私もPFUでUNIXワークステーション互換機を作ってまして、Sanのワークステーションで使われるようなキーボードを使っていました。ちょっと前まではキーの重いダム端末を使っていた時代もありました」(白神氏)
「私は修業時代、Sunのタイプ3キーボードを使っていました。もともとは1983年にアップルIIの互換機を作るのが流行った当時、HC20のキーボードを秋葉原で買って、はがして自分用のキーボードを作っていました」(後藤氏)
「実は90年代初めまではあまりキーボードにこだわっていませんでした。X端末のエックスミートのキーボードが触感が良く、2年くらい愛用していました。不幸なことにHHKBが出る前にキネシスというものに出会ってしまって(笑)。そういう理由でHHKBはあまり使い慣れていません」(前田氏)
利益がでなくてもやる! 限定500台は即完売
1992年春に、和田先生が寄稿した「けん盤配列にも大いなる関心を」(こちら)という記事で、理想のキーボードが提案された。その3年後、ようやくそのアイディアを発展させて、厚紙の模型が作られた。この「Alephキーボード」がHHKBの原型となる。
「これ(Alephキーボード)は和田先生が作られて、PFUに持ってこられたものですね。キーストロークは十分な深さを確保したい。サイズはA4用紙の縦側の半分にしてくださいと。和田先生はEmacsユーザーですので、Emacsありきの配列になっています。一番重要なのはCtrlキーがAの隣にあることで、絶対条件でした」(八幡氏)
1996年12月20日に初号機の「KB01」が発売された。初回ロットは500台と弱気な感じ。当時PFUはコンシューマへ一般販売するチャンネルがなかったので、トナーやサプライ品と同じところで販売した。さらに、店舗のチャンネルがないので、飛び込み営業をしたという。
「八幡さんが来られて、実はこんなキーボードを作ったんです、と飛び込みで。ぷらっとホームの初代会長である本多弘男が人に何かを先にやられるのがすごく嫌いなんです。僕も同じなので、そんな面白いものは先に売りたいというのがあって、利益無くてもやるといった話をしました」(後藤氏)
そのおかげで、500台は即完売したという。
PFUはマーケットを広げるために廉価版のHHKB Liteや、2001年にはUSB対応でカーソルキー付きのHHKB Lite2を発売している。日本というよりも、アメリカで売るための企画だった。
「PFUアメリカからの要望です。初代を持っていったら高くて売れず、HHKB LiteはPS/2専用でケーブル直出しにしました。要望があったので、カーソルキーも搭載しています」(八幡氏)
アメリカでも好調に売れたLiteシリーズ
HHKB LiteやHHKB Lite2は2台目需要としても広く買われたそう。ここで、会場の参加者に「HHKBシリーズを2台以上持っている人」と質問したところ、大多数の人の手が上がった。さすが、このイベントに来るだけあると納得。アメリカでもLiteが好調に売れ、2002年にはHHKBシリーズ全体で10万台を達成した。2003年5月、静電容量無接点方式のHHKBが登場する。
「初代HHKBを作ってくれた富士通高見澤コンポーネントがキーボードをやめてしまうということになりました。アスキーという雑誌で、東プレのキーボードがいいよという記事が出ていたので、東プレにコンタクトしました」(八幡氏)
静電容量無接点方式をやりたいから東プレに依頼したのではなく、評判がいいからコンタクトしたというのは驚きだった。
ちなみに、販売台数でみると、ProfessionalとLiteは半々とのこと。さらにProfessionalの販売台数のうち3割は無刻印モデルだそう。無刻印モデルというのはその名の通り、キーボードのキートップに何も印刷していないもの。ブランドタッチをマスターしていなければ、入力することもできない。
「無刻印モデルは完全にプロモーション目的で作りました。当時、無刻印モデルがなかったので、初回限定100台で売りました。あっという間に売れてしまったので、初回限定とか言いながら定番にしてしまいました」
と語ってくれたのは、PFUのドキュメントイメージビジネスユニット販売推進統括部長で、HHKB販売責任者でもある松本秀樹氏。
「コールセンターのキーボードを無刻印にすると、オペレーターは手元を見ても何も書いていないため、(タッチタイピングを)覚えざるを得ないので、結果として能率が上がったという話がありました」(前田氏)
ここで、無刻印のHHKBを持っている人、と会場に聞いたところ、こちらも多くの手が上がった。
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