彼女はラリー・ペイジにも恋をした
リーダーになった彼女は、さっそくチームのメールリストをつくり、ミーティングのスケジュールや懸案事項のまとめを送信した。毎週、UIミーティングを行なうことになった。明かりを落とした会議室の白い壁にプロジェクターの光を当て、二四歳のメイヤーが長時間におよぶミーティングを取り仕切る。コラム幅、ページ余白、セルのすきま──グーグルの全ページのデザインをピクセルの一つも見落とすことなくチェックした。すべての決断は、事実と調査にもとづくものでなければならない、とメイヤーは主張した。次第にメンバーの数も増えていった。いつしか、メイヤーはペイジの代理として決断できる立場になっていた。
そして二〇〇〇年の三月、ラリー・ペイジはCEOに加えて、もう一つの肩書きを背負うことになった。「プロダクト主任」だ。彼は週に一回、グーグルの幹部を集め、プロダクト会議を開くことに決めた。その会議の議長を務めることになったのが、メイヤーだ。まもなく、どの製品をテーマとするか、誰を招待するかといった会議の内容まで、彼女が決定するようになった。
見習いのプログラマーとして就職してから一年もたたないのに、グーグルサイトの見た目を決め、グーグルが今後世に送り出すプロダクトの優先順位を定める立場になっていた。そして何より、彼女はチームのなかでも特に重要な人物と見なされるようになった。
ジョージス・ハリクは間違っていた。一九九九年七月のあの夜、今ほど最高の瞬間は二度と来ない、と彼は言った。しかしメイヤーにとっては、毎日が最高の瞬間だ。
メイヤーはグーグルに恋をしていた。二〇〇〇年の春から夏にかけて、その恋はより深いものとなった。会社の外でも、ラリー・ペイジと会うことが増えてきたのだ。まるでティーンエイジャーのように、二人はデートを繰り返した。ペイジは黒髪と言っていいほど濃い髪の色をしている。大きな口を開けて、屈託なく笑う。大学生だったころ、ペイジはある〝リーダーシップ・キャンプ〟に参加した。そこで教わった言葉──人は「物事を不可能と考えない健全さ」をもたねばならない──を座右の銘としている。メイヤーはこの考えをとても魅力的に感じた。二人でボードゲームを楽しむこともあった。特に「カタンの開拓者たち」というゲームが好きだった。
従業員たちのなかには二人の関係に気づきはじめた者もいた。もう一人の創業者セルゲイ・ブリンとともにイギリス女王の晩餐会に招待されたペイジが、メイヤーを同伴者としてイギリスに連れていった、といううわさも立った。しかし、人事部の人々は何も知らなかった。ペイジは彼らに何も言わなかった。
ゆっくりと、二人の仲は公然としたものに変わっていった。毎週行なわれる全社集会「TGIF」の席上で、あるイベントにメイヤーをつれて参加するとペイジは発表した。そのイベントでの彼らの振る舞いは、明らかにカップルのそれだった。会社にいっしょに出社することも増えていた。
しかし、分別はわきまえていた。社内で愛情を示すような行動は一切取らなかった。
二人の関係を初めて知ったとき、人事部長のヘザー・ケアンズはこう思ったそうだ。静かな二人が静かにデートするなら問題ない。
それに、二人はナイスカップルだ、とも彼女は思った。似た部分がたくさんある。
でも、一つだけみんなの気にかかっていた点は、UIミーティング、プロダクト会議、そして今度の恋愛関係と、ペイジに対するメイヤーの発言力が社内のほかの誰よりも強くなってしまったことだ。メイヤー以上の影響力をもつのは、共同創業者のブリンとペイジの親友のサラー・カマンガーぐらいだろう。
しかし、それからの数年におけるメイヤーの仕事量と成果はすさまじかった。だから誰も文句を言わなかった。
今のところは。
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