第301回
秋田の老舗ブライダル企業が挑んだ「社長と社員とkintone」のPDACA経営
コロナ禍で売上激減 社長自作のkintoneアプリで回復も、変革のラストピースになったのは
2025年12月08日 07時00分更新
PDCAにアプリ(Appli)を加えた“PDACA”サイクルの始まり
次に大野氏が取り組んだのは、社員たちの「資料作りからの開放」だ。コロナ禍は終盤に差し掛かり、主軸のブライダル事業を立て直す時期が来た。商品開発など新たなアクションが必要だが、社員の激減と休業の影響で、現場にはまったく余裕ない。この状況を打破するには、業務の抜本的な見直しが不可欠だった。
そこで、業務フローをPDCAサイクルで整理してみると、デジタルで管理しているのは「Do(実行)」に関わる情報ばかり。Plan(計画)やCheck(評価)に関する情報は、手作業で集計していた。
「ある店長に聞けば、月例会議で使う資料を5営業日かけて作っていたのに、私はその資料を5分程度しか見ていません。社員たちの資料作りの負担を減らしたいと考えました」(大野氏)
その解決策がシステム連携だった。基幹システムや会計システム、人事労務システムなどにまたがるバラバラのデータをkintoneに吸い上げ、プラグインの「krewData」で結合。多数の帳票を自動で集計できるようにした。
象徴的なのが「KPI管理アプリ」だ。同社では個人別・部門別に受注や原価など4つの目標を設定し(Plan)、達成すれば成果報酬手当を毎月支給している。実績は複数アプリからkrewDataで自動集計され(Do)、プラグインの「krewDashboard」でマネージャーが進捗を確認(Check)。その結果は個人別の人事考課アプリが集計、社員との考課面談で活用され、次のアクションへとつながっていく(Action)。さらに経営指標もいつでも確認できるようになった結果、社員たちは煩雑な資料作りから解放された。
そして社員たちは、生み出された時間で重点課題に取り組むようになる。社長と社員がアプリ上の同じ情報を見ることで目線が合い、戦略や戦術に関する議論の質も向上した。
「私がアプリ作りで意識することは、現場のDo、管理者のCheck、そして、社長の私が考えている次のアクションに役に立つアプリにすることです。今ではアプリ作りも私の重要な業務のひとつで、PDCAにアプリ(Appli)を加えた『PD“A”CA』で業務フローを考えるようになりました」(大野氏)
最後のピースは、他社事例による“社員の意識変革”
しかし、kintoneによる改革には、最後の壁が存在していた。それは大野氏によるトップダウンの限界だ。
これまで生まれた500以上ものアプリは、すべて大野氏一人が作成したものだ。そのため、アプリを作ってほしい、直してほしいというニーズが現場にあっても、「社長は忙しそう」「社長にお願いしづらい」と躊躇し、改善活動は停滞し始める。kintoneを推進する人材の育成が急務だった。
転機は2025年5月に訪れた。大野氏はkintone Awardへの選出につながるkintone hive sendai」に登壇。その際に、応援に来てくれた社員たちが、他社の発表を目の当たりにしたのだ。そこには、現場が中心となり、経営陣を巻き込み、自分たちの手でkintoneを推進している企業の姿があった。
社員たちは「私たちは社長に任せきりでいいのか」と意識が変わり、同イベントの報告書には、「kintoneの推進役になりたい」「他社事例にあったプラグインを使ってみたい」という主体的な言葉が並んだ。「とても嬉しかったです。さっそく私は、みんなの学びを後押ししました」(大野氏)
大野氏は、自身の持つkintoneの知識と知恵を共有するためのアプリを作成。その「アプリの作り方アプリ」では、フィールド設置の具体例やTipsなど、大野氏自身がつまずいたポイントが盛り込まれている。さらに「kintone AIラボ」を活用したナレッジアプリも作り、プラグインの使い方や公式資料などを集約した。
こうして、イベントをきっかけに、社員たちは自ら前に進み始めた。わずか4ヶ月で、社員たちは120個ものアプリを作成。「会社ナレッジアプリ」や「健康診断管理アプリ」など、現場目線のアプリが次々と生まれ、大野氏が作ったアプリも社員の手で更新されていった。現場目線の情報が、より一層大野氏のもとへ届くようになった。
コロナ禍という出口の見えない暗いトンネルの中、kintoneを導入。社員が毎日登録する日報が大野氏の心のよりどころとなり、出口へ向かう道しるべになったという。そして、kintoneによる「見える化」が意思決定を早め、「資料作りからの解放」が議論の質を高め、「PDACA」という経営サイクルを生んだ。そして何より、kintone hiveをきっかけに社員の意識が向上し、「トップが引き上げる力」と「現場が押し上げる力」の両輪が噛み合った。
「『コロナの時、会社を辞めないでよかった』、いつの日か社員のみんなにそう言ってもらえるよう、私はこれからもみんなを守っていきます。それが私の使命であり、またコロナ禍を支えてくれたみんなへの恩返しだと思っています」と大野氏は力強く締めくくった。
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