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広島のものづくり企業が挑んだ属人化とザ・昭和スタイルからの脱却

スーパー営業マンKさんが去る ピンチに陥った工場を1ヶ月で作ったkintoneアプリが変えてしまう

 わずか数ヶ月で売上を100倍伸ばしてしまったスーパー営業マンが辞める。追い打ちをかけるように来た顧客からのクレーム対応で赤字に。広島のものづくり企業である平岡工業が苦しんだ業務の属人化とザ・昭和スタイルは、kintoneで解決できたのか? 

 2回目の開催となる広島のkintone hiveで披露されたのは、そんな製造業の生々しい業務改善ストーリー。社長のオーダーで開発経験ゼロの担当者が作ったkintoneのアプリは、たった1ヶ月で平岡工業を変えてしまう。

「手書き書類がたっぷり」「努力と根性」「毎日、夜まで仕事」

 kintoneユーザーが事例を共有するkintone hive。広島会場でトップバッターを務めたのは地元広島のものづくり企業である平岡工業。登壇した代表取締役社長の平岡 良介氏は、テンションMAXで会社と自己紹介からスタートさせた。

ガチバンドマンだった代表取締役社長 平岡 良介氏

 平岡工業は良介氏の曾祖父にあたる平岡浅次郎氏が1937年に創業したものづくり企業。「カタにハマらないものづくりのプロ集団」を謳い、自動車部品の金型や自社工作機械の製造、精密部品加工などを得意としている。自動車のドアのゴムシールパッキンなどのほか、地元広島の銘菓であるもみじまんじゅうの金型なども作っているという。

 現社長である平岡良介氏は、3歳から音楽を始め、大学に組んだメロコアバンドは、20歳でCDを出し、モンゴル800や10FEETとも共演しているという。「楽屋ではモンゴル800に説教していましたが、その1週間後、彼らは100万枚売れていました(笑)」とのこと。

 平岡氏は東京に上京し、プロになることを目指したが、音楽教室での指導歴30年間の母親から「あんたごときの才能で飯が食えるか。悔しかったら、広島で一番になってみんしゃい」と言われ、実家の平岡工業で働きながら、音楽活動を続ける。2005年には2枚目のCDをリリースし、全国ツアーも敢行。だが、その後限界を感じて25歳で音楽活動を終了したという。

広島の母、厳しい

 音楽活動を中心に据えていた登場の平岡氏にとって、平岡工業での仕事は「お金を稼ぐための手段」に過ぎなかった。しかし、2020年のコロナ禍で状況は一気に変わる。「人々を救うのだーー!」と沸騰した平岡氏は、緊急事態宣言の3ヶ月後の2020年7月という段階でいち早くフェイスシールド「HIRAX AIR」を発売。パリコレや全国の病院で採用され、2021年のグッドデザイン賞まで獲得したという。その後、G7 サミットの国名プレートを担当したり、ビームスとのコラボ商品が出たり、まさに順風満帆のように見えたが、実は大きな課題が残っていたという。

 このタイミングで、もう1人の登壇者である平岡工業 SCII事業部 主任の石井英一郎氏が自己紹介を始める。社長の同級生である石井氏の実家は鉄工所だが、贈答用のフルーツを販売したり、パフェやジュースを調理したり、まったく違う方向に職を変えてきた。しかし、40歳のときに工業界に身を置く決心をし、2020年に平岡工業に入社する。

パフェ作ってた平岡工業 SCII事業部 主任 石井英一郎氏

 石井氏が技術営業を務める精密部品加工・調達代行センターは、ポンチ絵の仕様書から安くて、短納期の部品を調達代行してくれる。ただ、当時は「手書き書類がたっぷり」「努力と根性」「毎日、夜まで仕事」というザ・昭和スタイルだったという。登壇した平岡工業の2人は、平岡工業のような典型的な鉄工所の課題を、コント仕立て、もといドラマ仕立てで紹介する。

スーパー営業マンの退職に追い打ちのクレーム でも「担当者しかわからない」

 課題は、社長のいとこであるKさんの退職から始まった。Kさんは当初10万円だった売上をわずか数ヶ月で1000万円に伸ばしてしまったスーパー営業マン。そんなKさんの退職に「なんとかなるっしょ」とかまえていた平岡氏だったが、Kさんに頼りっぱなしで属人化していた業務も多く、わからないことだらけだった。そんな矢先にKさんが担当していた取引先から、納品した商材が違うというクレームが入る。

石井:社長、サメハダ商事からクレームが入りました!
平岡:なにーーーー?
石井:寸法が違うというクレームです
平岡:すぐに品番を追え!
石井:わかりました! ええと、発注先も、図版もない。品番はわかりましたが、いつの間にかKさんが発注していたらしく履歴が追えません!
平岡:なにーーーー? 今すぐ書類を全部探せ

品番はわかったが、履歴が追えない

(4時間後)

石井:社長、書類が見つかりました!
平岡:でかした!
石井:ただ、(発注先の)中国が春節に入っておりまして、10日後にしか作り直しができないみたいです
平岡:それじゃあ、賠償ものじゃないか! なんとかならないのか?
石井:日本で作り直すしか……
平尾:いくらかかるんだ?
石井:ざっと120万円はかかるかと
平岡:受注額はいくらだ?
石井:80万円なので、40万円の赤字です!
平岡:ううううー。今すぐ発注だ!
石井:わ、わかりました!!

作り直すと40万円の赤字に。天を仰ぐ平岡氏

 結果、日本での作り直しが可能になり、クレームを出してきた発注先も納得。「いっしょに徹夜したかいがあったな! これで一件落着!」と平岡氏はコメントするが、がんばっても残ったのは40万円の赤字……。一件落着なわけはない。

 以前の平岡工業はこうしたレガシーな業務の課題が山積していた。すなわち「注文履歴が追えない」「入荷時期もわからない」「商品の原価もざっくり」「値付けもざっくり」、そしてクレーム騒動で顕在化した「クレームが起こったとき、担当者しかわからない」といった課題だ。

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