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戦後のラジオ商からスタート

秋葉原が“電気とオタク文化の街”になった興味深い理由

2025年02月14日 21時00分更新

秋葉原の電気街としての歴史の始まり

 いまや世界的に知られる電気街、秋葉原。日本の商業にとって重要な拠点であるだけでなく、観光客・買い物客が世界中から訪れる、アニメ・ゲーム文化の中心地となっています。

 では、秋葉原は、どのようにして現在の姿になったのでしょうか。

 その歴史は、戦後の混乱期にまでさかのぼります。太平洋戦争後、秋葉原周辺は焼け野原となり、荒廃していました。その様子は「上野から見渡せるほど、何もなかった」と言い伝えられるほどだったといいます。

 しかし、秋葉原には交通の便が良いという強みがありました。国鉄や都電が利用しやすく、他の地域から人が集まりやすかったのです。そうした環境が幸いして、人々の往来は戦後、比較的早く回復し始め、商業の息吹が戻り始めます。

 神田寄りにあったラジオ関連の露天商(いわゆる闇市)が、占領軍の命令によって撤去され、秋葉原に移転したことが転機になったとされています。これをきっかけに、ラジオ機器を扱う店が集まり始め、秋葉原は「電気街」としての第一歩を踏み出すことになります。

 その後、時代が進むと、大規模なラジオ商が台頭。それにともなって卸売店や小売店も増加していきます。電化製品を求める人々が他の地域からも集まるようになり、秋葉原は日本有数の電気街としての性質を持ち始めます。

オーディオ、特撮、アニメがブームに

 1970年代になると、秋葉原には新たな変化が訪れます。

 それは「カルチャーの発信地」としての進歩です。きっかけは、石丸電気がオーディオビジュアル機器に加えて、特撮・アニメ作品の販売を開始したことだといいます。この流れにより、オーディオビジュアル機器、アニメやゲーム関連の商品を求めるファンが秋葉原に集まるようになったのです。

 さらには、コンピューターの普及とともに、秋葉原はデジタル機器とサブカルチャーの交差点としての役割を強めていきます。特に2000年代に入ると、サブカルチャー、ポップカルチャーを象徴する店舗が次々と登場し、「オタク文化の聖地」としての地位を確立することになりました。

 こうして、戦後の電気街としての発展と、1970年代のオーディオビジュアル機器やコンテンツ需要の高まり、2000年代以降の急速なアニメ・ゲーム文化の発展、またそれらすべての融合を経て、現在の秋葉原が誕生したのです。戦後の復興から始まったこの街の歩みは、これからも未来へとつながっていくのでしょう。

ASCII編集部、歴史のある秋葉原でイベントします!

 以上のような歴史から、ゲーム文化、PC文化のメッカである秋葉原。PCでゲームをするのが当たり前になり、「ゲーミングPC」という存在が普及しつつある今でも、それは変わりません。

 そんなわけで、ゲーミングPCといえば秋葉原なのですが、ゲーミングPCって、どう選んだらいいか、悩みますよね〜。

 「ゲーミングPCの選び方がよくわからない」「予算はどれくらいあればよいのだろう」「コスパよくゲーミングPCを買うにはどうしたらいいのか」と悩んでいる方に向けて、ASCII編集部はBTOパソコンを手掛けるメーカーと、ゲーマーが交流できるイベント「TOKYO Gaming-PC STREET 3」を開催します!

 歴史ある秋葉原で、私たちと一緒にゲーミングPCに詳しくなりましょう!もちろん、入場料は無料。イベント詳細はこちらからチェックしてください!

TOKYO Gaming-PC STREET 3 in LIFORK AKIHABARA II
2025年2月22日(土)13時〜17時30分予定

開場:13時
LIFORK(リフォーク)秋葉原Ⅱ 1階
入場・観覧無料
イベント詳細:https://ascii.jp/elem/000/004/250/4250753/
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