ワークスタイルムービー「大丈夫2」公開記念セッションレポート
現役女性管理職の語るやりがいや悩み “役職の呪い”で自身を縛らず、できることを一歩ずつ
2025年03月11日 11時30分更新
2014年、サイボウズが制作したワークスタイルムービー「大丈夫」は、仕事と育児の両立に悩む女性の日常をリアルに描き、150万回再生されるなど多くの共感を生んだ。
そして、10年の時を経た2024年11月、“女性管理職の葛藤”をテーマとした続編「大丈夫2」が公開。この10年の間に、出産・育児による離職は減りつつあるなど、キャリアと家庭を両立する環境が少しずつ変化してきた。一方で、新たに求められるようになったのは、国際的にも低い女性管理職比率を上げることだ。
サイボウズのマーケティング本部 ブランディング部長である和泉純子氏は、大丈夫2について、「女性管理職が大変ということを伝えたかったのではなく、『これならイメージできる』とか『キャリアの選択肢に入れられそう』など、肩の力を抜いて管理職に向き合ってもらうために企画した」と語る。
2024年11月の「Cybozu Days 2024」では、大丈夫2の公開を記念して、和泉氏と會澤高圧コンクリートの常務取締役である畑野奈美氏という二人の現役女性管理職が登壇するセッションが開催された。
會澤高圧コンクリート 畑野氏のリアル:新しい働き方を率先していたら突如管理職に抜擢
まずは、二人が女性管理職として活躍するまでの道のりを、モチベーションの変化とあわせて過去の出来事を整理する“マインドグラフ”で振り返った。
會澤高圧コンクリートの畑野奈美氏は、2009年、工業系の大学を卒業後に、北海道苫小牧市のコンクリート総合メーカーである會澤高圧コンクリートに入社した。当初は、札幌勤務だったものの、土壇場で東京支社への配属となり、「不安だらけ」のところから第一歩を踏み出した。とはいえ、同期との研修を通して、仕事へのモチベーションは上がっていく。
仕事を徐々に覚えだした2011年に発生したのが、「東日本大震災」だ。「その時参加していたプロジェクトの拠点が宮城県だったのもあり、プロジェクトは一旦停止。心は“無”の状態にしまい、チームも解散して何をしたらよいのか見失ってしまった」と畑野氏。社会人において最もモチベーションが低かった時期だという。
畑野氏は、プロジェクトの停止を機に札幌支社に異動し、ほどなくして住宅基礎のチームに加わる。その頃に、サイボウズのローコード・ノーコードツール「kintone」にも出会った。チームメンバーが少なく余裕がない中で、kintoneを活用して、業務を分割して離れたメンバーでシェアする仕組みを構築。業務全体が流れ出して、新しい仲間も増え、その実感でモチベーションを取り戻していった。後に、kintoneのユーザー事例大会である「kintone hive」に登壇して、この頃の取り組みを披露することになる(参考記事:kintoneで脱残業地獄 すき間時間を活用する「お仕事ビュッフェ」で脱1人運用)。
しかし、新しいプロジェクトに招集されることで、モチベーションはまた下がっていく。実業務の後の打合せや作業が多く、深夜残業が続く日々に。その頃に結婚もするが、さっそく離婚危機にも陥ってしまう。「主人も差し入れをしてくれたり、ご飯を作ってくれたりしましたが、それが続くうちに『何のために結婚したのか分からなくなった』と言われてしまいました」(畑野氏)
その後、プロジェクトは終了したものの、間髪入れずに別のプロジェクトに招集され、同じ形で第2次離婚危機が訪れる。限界を迎えた畑野氏は、まだコロナ前で実例がなかった在宅勤務がしたいと、辞める覚悟で社長に直談判。その結果、あっさりOKが出て、業務も家庭も安定していく。その中で第一子も生まれ、モチベーションは最高潮に。しかし2022年、次なる転機として、想定外と言える執行役員への昇進を言い渡される。
「私たちのチームが、出社はしていないけど事業を支えているというのが、kintone hiveなどをきっかけに社内に認知されたのです。時代的にもコロナのタイミングで、新しい働き方をしているチームを参考にしなければという動きから、執行役員に抜擢されたのではないか」(畑野氏)
驚きはしたものの、やりたいことは見えており、仕事にやりがいも感じていた畑野氏。新設された「未来開発本部」を任される中、四苦八苦しながら奮闘するも、しばらくはプレッシャーや不安を感じていたという。現在は、それも乗り越えつつあり、常務取締役を務めている。
サイボウズ 和泉氏のリアル:現場一筋で駆け抜けていたら気づいたら管理職に
続いて管理職までの歩みを語ったのは、サイボウズに20年以上務める和泉純子氏だ。サイボウズは3社目となり、新卒では「まずは営業だな」という軽い気持ちで出版社に、2社目は「これからはITだな」という想いで社内ヘルプデスクの常駐の仕事に携わった。その2社目での社内結婚を機に転職を決意。自身で決めるよりも能力に合う仕事をマッチングしてくれるのではと、派遣登録して出会ったのがサイボウズとなる。
和泉氏は、その後1年半ほどで無期雇用となり、以降、現場畑を歩み続けた。和泉氏の加わった頃のサイボウズは、ベンチャー期を抜けてM&A期に入っていたため、まずはグループ会社含めて新しい仕事に色々挑戦した。その後、会社が新サービスに注力しだすと、1億円の予算でモバイル向けグループウェアのプロモーションを手掛けたりもした。和泉氏は、「自身が変わらなくても、会社のフェーズがどんどん変わり、何もしなくても新しいことが飛び込んでくる。ずっとわくわくした状態で、モチベーションが保たれていた」と振り返る。
1社目、2社目の会社ではモチベーションが下がることがあったものの、サイボウズでは意欲的に働いていた和泉氏。その間に、第一子と第二子も出産している。唯一、モチベーションが下がったのが、担当していた「サイボウズLive」のサービス終了が決まった時である。「チームワークを大事にしている会社なのに、こんなにもチームの士気が落ちてしまうんだなと感じました。精神上持たずに、『サービスの終了までは責任を持って仕事はするので、別の仕事を兼任させてください』と、社長の青野さんに相談した」と和泉氏。
その後、気持ちを持ち直した和泉氏は、2020年に管理職に。チームを超えて他部署の部長とやり取りできるなど世界が広がり、モチベーションも上がる。2年後にも昇進して、青野社長や本部長とも話す機会が増えると、更にモチベーションが上がった。今では、マーケティング本部における「ブランディング」と「Web&クリエイティブ」の部署にて部長を務め、未体験の分野でマネジメントに挑戦している。「ステージが上がるたびに、モチベーションを高めていけた。小さなことでも興味を持ち、それを紡いできたことが秘訣かもしれない」(和泉氏)
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