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ウイングアーク1stの「UpdataNOW24」基調講演パート4

最近話題のさくらインターネット 成長と余白で変化に対応してきた28年の知見

2024年11月18日 09時00分更新

 ウイングアーク1stのイベント「UpdataNOW24」の基調講演4人目の登壇者は、ガバメントクラウドやAIプラットフォームの領域で一気に存在感を増しているさくらインターネット代表取締役社長の田中邦裕氏。28年前に起業したさくらインターネットの歴史を「成長」「余白」というキーワードで振り返りつつ、会場のビジネスパーソンにコスト削減より成長を志向すべきと強く訴えた。

さくらインターネット代表取締役社長 田中邦裕氏

以前に比べて「知ってるよ」と言われることも増えました

 基調講演でゲストを紹介するウイングアーク1st代表取締役社長の田中潤氏。「AIとガバメントの世界、インフラ、プラットフォームがとても重要になってくる。プラットフォームで力を発揮しているさくらインターネットの田中邦裕社長にお話しをうかがいたい」と語る。

 同じ田中という名字ということで「邦さん」と紹介されたさくらインターネットの田中邦裕氏。「AIの話はあまりいたしません。AIのテクノロジーやこれからの情勢について私より上手に話せる方はたくさんおられる。私はそれを支えるさくらインターネットという会社と、その会社をどのように作ってきたか、これからどうするのかをお話ししたい」と語る。

 「自分で言うのもなんですが、以前に比べて、知ってるよと言われることも増えました」と田中氏。IT・インターネットの業界ではさくらインターネットの認知度は高いが、最近になって知った人も多いはず。「現在は生成AI向けのGPUサーバーやガバメントクラウドの事業者として認定されています。なぜさくらインターネットが注目されているのか。なぜ急にこんなに出てきたのか。その背景を説明していきたい」と田中氏は語る。

 さくらインターネットは28年前、当時学生だった田中氏が起業した。もともと高専に通っており、背が高いためいかにも運動ができそうだが、体育の成績は1だったという。「運動で賞を取ることはなかったけど、小学校のときからパソコンやものづくりは好きでした。その勢いで高専に通うことになりました」(田中氏)。

 ただ、入学した1993年から卒業した1998年は日本からものづくりが消えた時期。一方で、インターネットが急速に成長し、その時期に起業したのがさくらインターネット。「だから就職するという選択肢と言うよりは、自分が好きなインターネット。その中でとりわけサーバーが好きだったので、このサーバーを持続的に、お金をもらって提供したいなと考えたのが、(創業の)きっかけになります」と田中氏は振り返る。

 今では登壇の多い田中氏だが、10年ほど前は少なかったという。「起業してから20年くらいほぼ引きこもりで仕事をしていたのですが、とあるきっかけで外に出るようになり、登壇の機会をいただいたり、業界団体に出入りしているうちに、そこの理事長や会長をさせてもらうことも増えた」とのこと。また自らが高専卒という経験から、若者の人材育成にも携わっており、さくらインターネット以外の活動も活発化しているという。

さくらインターネットに根付く「成長」「余白」、そして「東京以外」

 さくらインターネットは1999年に法人化し、2005年に上場して、すでに19年。資金調達も3回やっており、直近では188億円を調達している。サーバーが好きで起業し、いつかはデータセンターということで、創業15年目にしてデータセンターを構築。11年前にクラウドサービス、8年前にAIサービスを立ち上げ、干支が一回りする年月を経て今に至っているという。

さくらインターネットの歴史と石狩データセンター(右)

 田中氏が自らの起業家人生で念頭に置いているキーワードの1つは「成長し続けること」だ。「なかなか厳しい時期もありましたが、いかに成長できるかを取り組んできた人生でもあります」(田中氏)。

 もう1つは「余白」だ。「効率化が叫ばれていますけど、本当に効率化が正しいのかと私はよく思います」と田中氏は投げかける。成長途中の3歳の子供にぴったりの服を買うかというとそんなことはない。成長していくので、少し大きめの服や靴を買う。成長が前提になっていれば、絶対余白を持っておく方がよいというのが田中氏の持論だ。

 経営者として会社組織をどのように作っていくかも重要。「エンジニアとして起業しましたが、今はどのような事業をするのではなく、どのような会社を作るのか?も重要視している」と語る。そこでのキーワードは「東京以外」だ。

 さくらインターネットは大阪に本社があり、データセンターは北海道の石狩にある。従業員は日本各地におり、田中氏も5年前に沖縄に引っ越し、今は那覇市民だ。「ITによって場所の制約が解き放たれたのであれば、なにも東京でなくてもよいのでは?」と田中氏は語る。北海道や福岡の社員は、子供のいる率が東京よりも10%近く高いという。「東京だけが人口が増えているが、人口増によって少子高齢化が進んでいるのも不都合な事実としてある」と田中氏は指摘する。

場所を選ばない働き方を実践するさくらインターネット

 1978年生まれの田中氏は人口が増えることで困った経験を持っている。人がどんどん増えるので、就職は困難になり、工業団地もどんどん造成された。「だから、人口が減るのはなぜ悪いのかわからなかった。人口が減っても、生産性を高めれば、オフセットできる。ただ、不均衡に人口が減ることによるのはよくない。日本という大きな国が維持できない」と田中氏は指摘する。

デジタル時代の「本社」はたった20坪 あとは広大なコミュニケーションスペース

 国土も広く、世界で7番目に海岸線が長い日本。この国土を守っていくためには、テクノロジーとイノベーションが不可欠で、AIは特に重要だという。「デジタル貿易赤字の話もありますが、五箇条の御誓文にもありましたが、外に学ぶことは重要。海外のソリューションを使いながらも、いかに日本でイノベーションを起こし、事業を盛り上げるべきかを東京以外でもやっている」という。

 そんな中、大阪の本社をウメキタエリアのグランフリーに移転した。グランフリーは駅前にもかかわらず5ヘクタールあまりの広大な公園。「汐留や品川で国鉄の用地が出てきたときに小分けで土地を分譲し、たくさんのビルが建ちました。もちろんあれでたくさんの人が働けるようになったけど、都市の作り方としてあれでよかったのか? 都市作りとしては失敗したとおっしゃる評論家の方もいらっしゃいます」(田中氏)。

 その点、「関西がいかに成長するのか」「成長、余白、イノベーションとテクノロジーをいかに都市にインストールするか」を議論し、チャレンジする中で、関西経済同友会であるさくらインターネットもグランフリーに骨を埋める覚悟だという。

 実は移転後の本社機能は、数百坪中、20坪程度しかない。コピー機や登記簿謄本や実印など、本社として最低限置いておくべきモノは一応あるが、「デジタル社会にいまさらそんなもの必要なのか」と田中氏は語る。「社員が働く場所はオンライン、ビジネスについてはデジタル・AI基盤、そして本社にあるスペースはほとんどコミュニケーションする場所です。社内外の人が出入りできるし、カフェがあって一般の人も出入りできます」と田中氏は説明する。

共創エリアを多く抱える新しいさくらインターネットの本社

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