本記事は「つなぐ旅~東日本~ひがしにほんトラベルガイド」に掲載された同名記事を再編集したものです。
聖地と呼ばれる地を訪れて大人の探究心を満たす取材シリーズ、今回訪れたのは埼玉県の「さいたま市岩槻人形博物館」(以下、岩槻人形博物館)。テーマはお人形だ。
我々世代(昭和生まれ)の男子にとって、「人形」というのは主に女児向けの玩具という認識が強いと思う。もちろん、男児向けにもヒーロー人形やコンバット兵の人形といった玩具は多くあったが、いわゆる人形遊びというと、おままごとや着せ替え人形など、女児の遊びのアイテムとしてのほうが存在感が強かったように思うのだ。昨今では、いわゆるフィギュアという名で、男子であっても可愛い女の子の人形を愛でたり、逆に女子がかっこいい男子の人形を収集するという習慣は当たり前のものとなっているが、私が子供の時分には、人形は戦わせて遊ぶもので、飾って眺めるなどという文化的な楽しみ方が広まるなんて思ってもみなかった。
そんな私が唯一、飾ってあるのをうらやましく眺めていたのが姉の雛段飾りだったのだが、羨ましかったのは男雛様が太刀を差していたり、五人囃子の奏者がそれぞれ笛太鼓などの楽器を持っていたからで、要するに精巧に作られたミニチュア細工に興味があったのだ。毎年雛祭りの時期になると、男雛様が脇に差している太刀を失敬して、自分のヒーロー人形に持たせて遊んでは、姉にゲンコツをもらっていたりしたのだが、今回は縁あって雛祭りシーズンにこの人形博物館を取材させていただけることになった。
岩槻人形博物館では、時期によって様々な企画展が催されていて、私が取材に伺った際には、「にんぱくの雛祭り-商家に伝わるお雛さま-」と題した様々な雛人形を集めた展覧会が行われていた。
雛祭りに関しての記憶といえば、先に挙げたようなしょうもない思い出や知識しかない私だったのだが、実はこの取材で雛祭りに関する思いもよらない豆知識や知らなかった新事実をいくつも聞くことになり、結果的に大変興味深い取材になった。今回は、そんな雛祭りや日本人形に関する、ちょっとしたトリビアを中心に、聖地の旅レポートをお届けしよう。
人形の聖地にある「さいたま市岩槻人形博物館」とは
まずはじめに、この施設について簡単にご紹介しておこう。
岩槻人形博物館は、さいたま市岩槻区にある日本初の人形専門公立博物館。大正時代以降、人形作りが盛んだった岩槻は、今でも街なかにいくつもの人形店や工房が並ぶ人形の街だ。その岩槻に根付く人形文化を後世に伝えようと2020年にオープンしたのが岩槻人形博物館だ。
最寄り駅は東武鉄道野田線(東武アーバンパークライン)の岩槻駅。岩槻人形博物館までは、徒歩10分ほどの距離だ。
案内してくれたのは、岩槻人形博物館の学芸員の岩田明日香さん。館内は3つの展示室に分かれており、それぞれにテーマを持った展示がなされている。ここからは、各展示室ごとに岩田さんからうかがったトリビアと共に、岩槻人形博物館の魅力を紹介していこう。
岩槻人形博物館の魅力その1
えー! 人形作りってそんなことしてたの!?
展示室1は「埼玉の人形作り」と題した展示室で、埼玉の人形作りの技法や工程、道具が学べるエリアになっている。取材に訪れる前は、このエリアが私の一番のお目当てだった。というのも、日本人形そのものにはそれほど前のめりになれなくても、その製造工程は今のフィギュアの原型作りやミニチュア作りなどにも通ずるものがあり、ぜひその業前を知りたいと思っていたからだ。
それでは早速、このコーナーで仕入れたトリビアを。
トリビア1:日本人形は───分業制で作られている
そう。日本人形は一人で作るのではなく、分業制になっていて、頭ばっかり作る人、体だけを作る人、手足を作る人、小道具などを作る人と、それぞれ別の人の手で作られているのだという。
しかも、人形工房のような場所にみんなで集まって作る場合もあるが、それぞれの人形師が、自宅や自前の工房で、それぞれに同じパーツばかりを作って、問屋からの「頭を50個ください」などの注文に応じて納品しているのが普通なんだとか。
なかでも頭を作る人形師は頭師(かしらし)と呼ばれ、もっとも技術を必要とする職人として扱われる。埼玉県には、岩槻以外にも、鴻巣市や越谷市など人形の生産地として有名な地域があるのだが、ここ岩槻には古くから頭師が多く住んでいたことから、人形の聖地と呼ばれることになったのだ。
もちろん、一から十まですべてのパーツを自分一人で作り上げる人形師もいて、各々に自分の作品として制作したりもするそうなのだが、作品作りとしてのそれとは別に、大量の注文を捌く効率を考えると、やはり分業制ということになるそうだ。
トリビア2:人形作りは──人形師の家のご近所さんまでも動員して行われていた
そんな人形師という職業だが、特定のパーツだけとはいえ、実は人形師が一人でコツコツ作っているわけではない。雛人形や五月人形などは大量に売れる時期が決まっていることから、発注を受ける側も製作時期は決まっており、短期間に大量生産を行う必要がある。そのため、人形師の家では繁忙期になると、家族や親戚筋、ときにはご近所さんの人形関係の方々の力まで借りて、知り合いが総出で人形作りに取り組むのが慣習だったのだとか。それほど、街なかに人形作りに携わる人達がたくさんいたのだ。
私の勝手な妄想では、人形師というと、作務衣姿のちょっと渋めの老齢の男性というイメージだったのだが、実際には女性の人形師もいるし、なんならご近所の主婦の方々まで動員されていたので、決して男社会というわけでもなかったらしい。
とはいえ、人形作りは細かな作業と同時に、生地作りや胡粉とぎなど、思いのほか力仕事も多く、実際に体験したことがあるという岩田さん曰く、「女性でもできなくはないけど、やっていると薄っすら汗をかいてくる」くらいの作業もあるとのこと。
お化粧なども、女性のほうが上手なのではと思っていたら、人形師の旦那さんがこしらえた頭に、奥様が化粧を施す、みたいな分業をしているところもあるのだとか。
そして次もなかなか面白い話だったのだが……
トリビア3:毎年の人形のデザインは──商品開発会議で決められている
人形も商品なので当たり前と言えば当たり前なのだが、なんとなく昔から作られているものが連綿と受け継がれて作られ続けているのかなというイメージを持ってしまうのが伝統文化的なものの怖いところ。もちろん、基本的な技法は継承されていくのだが、時代や社会背景など(今の家は昔の家より狭いよね、など)も鑑みながら、毎年いろいろと変更されるらしい。
流行りの顔立ちから衣装の柄、色、全体のサイズなどが人形問屋さんの商品開発会議などで話し合われ、それぞれのパーツを担当する人形師さんを招いてそのコンセプトを共有するというプロセスになっているとのことで、ときには人形師さん側からこういうのはどうですか、という提案もなされるらしい。
そうした過程から、最近では金髪に長い付けまつげをつけ、ヒョウ柄の着物を着た”ギャル雛”なんていう商品も登場したとのこと。
このギャル雛の発案者はアニメ『その着せ替え人形は恋をする』の主人公のモデルとして一躍ときの人になった鈴木人形の鈴木慶章(けいしょう)さん。発売前は邪道ではないか、本当に売れるのかと散々言われたそうだが、蓋を開けてみれば300セットが完売したとニュースにもなった。
この展示室1では、主に頭作りの工程が順を追って展示されているので、詳しい手順やどんな材料が使われているのかといった情報は、ぜひ本館を訪れて、ご自分の目で確かめて欲しい。また、こちらのコーナーでは、「人形ができるまで」という人形師さんたちの一連の仕事を収めた動画も見られる。
岩槻人形博物館の魅力その2
フィギュアコレクターの祖・西澤笛畝センパイのコレクションを堪能
さて、続いては展示室2。こちらは「コレクション展示・日本の人形」と題した常設展のコーナーとなっていて、岩槻人形博物館所蔵の人形や資料の一部が展示されている。
岩槻人形博物館の所蔵品は、大正から昭和にかけて活躍した日本画家であり人形玩具研究・収集家でもある西澤笛畝(にしざわ・てきほ)のコレクションが柱となっており、およそ5600点以上の人形や資料が収められている。この笛畝さん、今で言うフィギュアコレクターの先駆けのような人なのだが、単に人形オタクというだけにとどまらず、それまで子供の遊び道具としてしか見られていなかった人形を、芸術品の地位にまで押し上げた人物。Wikipediaによると、
”「人形芸術運動」を展開して美術界に働きかけ、1936年の帝展で人形を芸術品として初入選させるなど、それまで玩具としてのみ扱われていた人形を芸術品として評価するきっかけをつくった”
出典:ウィキペディア「西沢笛畝」
とある。オタク道も極めればここまで行けるという見本のような人なのだ。
さて、本館の展示室2に飾られたコレクションは、常設展とは言え、5600点もの人形を一度に飾っているわけではなく、時期や企画展の内容に合わせて展示物を入れ替えている。当然、私が訪れたこの日は企画展に合わせて笛畝コレクションの中から様々な雛人形が展示されていた。そこでまずはこんなトリビアから。
トリビア4:雛人形は──一番上のお人形がお内裏様とお雛様なのではない
童謡『うれしいひなまつり』で「お内裏様とお雛様~♪」と歌われているものだから、てっきり雛段の一番上に座っている男性がお内裏様で、女性がお雛様だと思われがちだが実際にはさにあらず。内裏とは天皇のいる宮廷のことで、お内裏様というと、内裏に御わす方、つまり雛段最上段の二人はどちらもお内裏様なのだ。ではお雛様とは誰のことかと言うと、雛段飾りに飾られたお人形はすべて雛人形なので、すべてお雛様であると言える。ちなみに、お内裏様を個別に呼称するときには、男性の人形を男雛、女性の人形を女雛と呼ぶのが正しい。
このトリビア自体はNHKの番組『チコちゃんに叱られる』でも取り上げられていたので、ご存知だった方も多いかもしれない。ではこちらはどうだろう。
トリビア5:雛人形は──時代によって様式が変化してきている
これは、先程の人形製作の工程で顔立ちや衣装が変化しているというのとはまた別の話。現代人だと、雛人形のイメージはなんとなく一致しているのでないだろうか。赤い敷布が敷かれた雛段にお人形が座っている。男雛は烏帽子を被り手に笏。女雛は結い髪に前髪飾り、手に扇といった風情が一般的だろうか。こうした昨今の雛人形の源流になっているのは「古今雛」という様式だそうで、ガラスの目や豪華な刺繍が特徴で、江戸時代に生まれ、身分・地域を越えて流行したとのこと。
逆に最も古い様式とされるのが「立雛(たちびな)」。紙で作られた「ひとがた」が変化したものとのことで、パッと見、陰陽師などが使う式神の「ひとがた」の豪華版のような感じだ。立雛が飾り人形として確立したのは江戸時代だそうで、その頃のものまで収集しているのが笛畝センパイのすごいところだ。
先述のとおり、常設展とはいえ、訪れるたびに違う人形に出会えるのも岩槻人形博物館のいいところ。展示テーマを絞って展示しても、歴史による変遷が見られたり、地方ごとに特色の違った人形が一度に見られるのも笛畝センパイのおかげなのだ。
岩槻人形博物館の魅力その3
商家の雛祭りが想像以上に半端なかった企画展
さて、お待ちかね。最後は企画展が開催されている展示室3エリア。取材時のこのときは、「にんぱくの雛祭り-商家に伝わるお雛さま-」という企画展が催され、わざわざ”商家に伝わる”と謳っていることから、市井の人々の間で親しまれた人形飾りが紹介されている。
そもそも雛祭りが誕生したのは江戸時代のことで、元は武家や公家など上流階級の家だけで行われていた節句の祝いごとが庶民にも広まっていったことから根付いていった。その主な担い手は、やはりそれなりに裕福だった商家が中心で、商家に伝わる雛段飾りには華やかなものが多く、代々その家に受け継がれていくものだった。
豪華な雛段飾りはお内裏様の二人のほかにも、楽隊や官女など多くの人形で賑やかだが、そこでこんなトリビアを。
トリビア6:雛人形は男雛、女雛、三人官女、五人囃子などがセットになっているが──実はバラ売りでも買える
これ、私的にはちょっと衝撃だった。我が家は娘が2人いるのだが、長女が誕生した際に義父におねだりして買っていただいた雛飾りが凄すぎて、毎年出し入れするのに大変苦労した。そのうち男雛と女雛しか飾らなくなったりして。何も分からない赤ん坊のときには豪奢な雛飾りだったのに、物心がつくに連れて飾る規模が縮小したのでは本末転倒な気がする。それなら娘の成長に合わせて買い揃えていくのもありかも、と改めて思ったのだ。
そして、この取材イチ衝撃的だったのがこちらのトリビアだ。
トリビア7:雛段飾りは──何組同時に飾ってもいい
マジでー!? と叫びたい気持ちを抑えるのに苦労した。上の天野家の雛段飾りをよくご覧いただきたい。よく見ると、男雛と女雛が2組飾られているのがわかるだろう。その下には三人官女、そしてその下に五人雅楽と続くが、なんと4段目も五人囃子だ。こうなるともうオーケストラではないか……。 え?どういうこと??と言いたくなるのも分かっていただけるだろう。
こちらは展示用にわざわざ派手に飾っているわけではない。昭和12年ころに飾られたものをそのまま再現しているのだ。その証拠写真がこちら。
そしてこの写真には、小さな女の子が2人手を繋いで写っている。そう、天野家の姉妹を雛段飾りの前で写した写真だ。つまり、この雛飾りは、長女の分と次女の分、2人分を飾っているのだ。我が家も女の子2人だったけどその発想はなかった。いや、発想自体があってもたぶん飾ってないけど。いやー、ありなんだ、これ……。恐るべし、商家の雛祭り。
そして、さらにお気づきだろうか。この雛飾りには、もうひとつ恐ろしい事実が隠されている。それは……
トリビア8:雛段飾りには──普段遊んでいる人形を飾ってもいい
マジでー!? 今度は抑えきれなかった。そこそこ混み合った博物館でそこそこ大きな声が出た。この雛段飾りの左半分を見て欲しい。「君、誰!?」という人々の人形が並んでいるのだ。大道芸人や芸子さんらしき人形の影もある。それ以上に驚かされるのが、先の天野家の雛祭りの写真の右下に写っているものだ。上の写真ではテカってしまって見づらいので、その部分だけアップにして、少々コントラストを上げてお見せしよう。かなりの衝撃なので覚悟して見て欲しい。
西洋人形もいるどころか、人間ですらない人形まで飾られてるじゃん!!! どうだろうか、この事実。これはまた新たな衝撃だ。これがありなら、我が家の雛段飾りにも、娘が当時好きだったキャラクターの人形を飾ったって良かったのだ。このとき、私の中ではある意味、雛祭りの革命が起きた。孫娘が生まれたときには、ぜひこの事実を思いっきり活用していきたい。
そんなわけで、取材前は「お人形の取材かー、なんだかほのぼの」なんて呑気に構えていた私だったが、終わってみればまたまた大きな知的探求の旅になっていた。特に、これまで歩んできた人生の中で守備範囲でなかった場所への旅は、新たな発見に満ち溢れているということを痛感した。
岩田さんの話によれば、当館を訪れる人の男女比はほぼ4:6くらいなのだそうだが、雛人形展は断然女性人気のほうが高いとのこと。確かに、この日も周りの観覧者はほぼ女性の団体か、男性がいても夫婦連れだった。しかし、本稿を読まれた男子諸君ならすでにお気づきかと思うが、雛人形は、男子にとってもめちゃくちゃ面白い。特に、人形飾りが団体芸として成立しているという点では、ほかに類を見ない文化だと思うのだ。いや、私が知らないだけで実際はほかにもあるのかもしれないが、少なくとも雛飾りは、我々が知っている側面だけでなく、割と奥が深い。
この企画展では、このほかにも、商家に伝わる可愛らしい雛人形たちが多く展示されている。雛祭りは過ぎてしまったが、企画展の会期は2024年3月24日(日)までなので、ご興味のある方はぜひこの機会におとずれてみることをおすすめしたい。
岩槻人形博物館のアディショナルな魅力
ヨーロッパ野菜の美味しさに出会える「ヨロ研カフェ」もおすすめ
さて、最後にもうひとつだけご紹介しておきたい場所がある。それが、岩槻人形博物館に併設されている、ヨーロッパ野菜をメインとした本格的なカフェレストラン「ヨロ研カフェ」だ。
ヨーロッパの野菜を埼玉で栽培できないか?という発想から生まれた「さいたまヨーロッパ野菜研究会」。その地場で採れたヨーロッパ野菜をメインに据えたメニューを提供しているカフェが、このヨロ研カフェだ。
近隣のマダムたちの憩いの場になっているらしく、平日にも関わらず、お昼どきはすぐ満席に。提供されるランチメニューはワンプレートランチ、ヨロ研カレー、本日のランチパスタの3種だけだが、使われる野菜は季節ごとに変わるので、異なる季節に訪れれば、同じメニューでも少しずつ違った野菜を味わえる。
肝心のお味も絶品で、これだけおしゃれで美味しければ、人気なのもうなずけるというもの。ランチタイムはAM10:00~PM14:30まで。
そのほか、ミネストローネスープやサラダ、スムージーといったメニューに加え、カフェ利用なら、ドリンク類も豊富で、デザートに数種のジェラートやケーキも用意されている。カフェタイムは、PM14:30~16:30までとなっている。
岩槻人形博物館を訪れた帰りには、ぜひこちらのカフェにも立ち寄って、一緒に訪れた人と、あれこれと人形談義に花を咲かせてみてはいかがだろう。目や耳で得た記憶に、美味しい味の記憶も加わり、旅をより一層思い出深いものにしてくれるだろう。
■さいたま市岩槻人形博物館
埼玉県さいたま市岩槻区本町6-1-1
開館時間:
午前9時~午後5時
※入館は閉館時間の30分前まで
休館日:月曜日(休日の場合は開館)、年末年始(12月28日から1月4日まで)
観覧料:
一般 300円(200円)
高校生・大学生・65歳以上 150円(100円)/ 小中学生 100円(50円)
※障害者手帳をお持ちの方と、付き添いの方1名は半額
※( )内は20名以上の団体料金
※展覧会により観覧料が異なる場合があります。
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