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ラー博にまつわるエトセトラ Vol.33

あの銘店をもう一度第25弾 クセはあるけどクセになる 旭川「蜂屋」

2023年10月30日 11時30分更新

 みなさんこんにちは。2024年の3月に迎える30周年に向けて、これまで実施してきましたさまざまなプロジェクトが、どのように誕生したかというプロセスを、ご紹介していく「ラー博にまつわるエトセトラ」。

 2022年の7月より、過去にご出店いただいた約40店舗の銘店を2年間かけて、3週間のリレー形式で出店していただく「あの銘店をもう一度“銘店シリーズ”」と、2022年11月7日より、1994年のラー博開業時の8店舗(現在出店中の熊本「こむらさき」を除く)が、3ヶ月前後のリレー形式で出店する「あの銘店をもう一度“94年組”」がスタートしました。おかげさまで大変多くのお客様にお越しいただいております。

新横浜ラーメン博物館

前回の記事はこちら:あの銘店をもう一度第24弾 あの銘店をもう一度94年組 第4弾 ラーメン界の鉄人がカムバック 喜多方「大安食堂1994」

過去の連載はこちら:新横浜ラーメン博物館のウラ話

 あの銘店をもう一度第25弾は、“クセはあるけどクセになる”が代名詞の旭川ラーメンの老舗「蜂屋」さんです。出店期間は2023年10月31日(火)~11月20日(月)の3週間。

蜂屋 ラーメン

蜂屋の「しょうゆラーメン」

 戦後の混沌期、初代・加藤 枝直氏は、当時としては珍しい蜂蜜を使ったアイスクリーム店を1946(昭和21)年に開業。屋号「蜂屋」は蜂蜜の「蜂」に由来しています。

 蜂そして、アイスクリーム店を営業する傍ら、近所の日本蕎麦屋店から「中華そばという食べ物がある」ことを聞きつけました。好奇心が強かった枝直氏は、全くの独学で特徴的な風味を持つラーメンを作り上げ、1947(昭和22)年12月8日に、アイスクリーム店「蜂屋」からラーメン店「蜂屋」に生まれ変わりました。

 そのラーメンは爆発的な人気を呼び、昭和30年代に入ると「休日には映画を見てから蜂屋でラーメンを食べる」というスタイルが旭川及び周辺町村の「休日の過ごし方」として定着するまでになりました。

蜂屋 ラーメン

アイスクリームを販売していたころの内観

 休日の過ごし方このように順風満帆だった蜂屋ですが、突然大きな事件が起きます。東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年、初代・枝直氏が交通事故にあい、記憶喪失になってしまったのです。

 初代のみが知る一部のレシピは記憶喪失によって闇に包まれてしまいました。この当時、二代目・加藤 直純氏はまだ15歳でした。直純氏は13歳から蜂屋の手伝いをはじめ、大学時代は旭川を離れていましたが、卒業した1972(昭和47)年に正式に蜂屋で働きはじめることとなりました。

 直純氏曰く「私は父のように何か新しいことを生み出すというよりも、ひたすら父が築き上げた歴史とお客様を守ってきました。父が偉大だったこともあり守るということも本当に大変でした。おかげさまで父の代から衰退することもなく、常に多くのお客様にお越しいただけたことは自分の自信にもつながりました」とのこと。

 二代目が初代の精神を受け継ぎ、絶え間ない苦労・挑戦をしたことにより、蜂屋は今もなお繁盛を続けているのです。

蜂屋 ラーメン

創業者加藤枝直夫妻

 蜂屋が当館に出店したのは1999(平成11)年ですが、私たちは1991(平成3)年に初めて蜂屋を訪れており、それまでラーメンに抱いていた概念を打ち破る衝撃を受け、1991年に誘致交渉を始めていました。当館の設立趣旨にはご理解いただいたものの、人員面や特殊厨房設備などの問題もあり、幾度となく通うも1994年の開業時の出店はかないませんでした。

 その後も足しげく通う中、転機は急に訪れました。1991年の交渉時にはまだ小学生だった長男の信晶氏が、ちょうど高校を卒業し大学に進学するタイミングに訪れた際、「ラー博でやってみたい」という想いを信晶氏が持たれていたことから、とんとん拍子で出店が実現。誘致交渉8年の末、念願の出店となりました。

蜂屋 ラーメン

新横浜ラーメン博物館に出店していたころの外観

 ラー博でやってみたい蜂屋のスープは、鯵の丸干しでとった魚介スープと、とんこつスープを別々にとって、最後にブレンドする、いわゆる「ダブルスープ」。とんこつは一度冷水で冷やして余分な油を取り除きます。トンコツスープと魚介スープでは美味しく仕上げる時間帯が異なるため、別々にとってブレンドするという手法を考えました。この手法はあまりにも手間と技術を要するため普及する事はなく「蜂屋」の特徴の一つになりました。

蜂屋 ラーメン

蜂屋のダブルスープ

 旭川ラーメン一番の特徴となるのがこの「低加水麺(小麦に加える水が少ない麺)」。初代・加藤 枝直氏と兄にあたる加藤 熊彦氏によって作り上げられたこの麺は、麺に加える水の量が少ないため、スープをよく吸って麺とスープとの一体感が味わえます。その後、この麺は兄の会社「加藤ラーメン」によって旭川市内のラーメン店に普及し、この「低加水麺」は旭川のスタイルを象徴するものとなりました。

蜂屋 ラーメン

低加水の麺

 旭川ラーメンの特徴の1つである、どんぶり一面を覆う「ラード」。

 しかし蜂屋のラードは他店とは異なり独特な風味を持ったもので、蜂屋の代名詞である「クセはあるけどクセになる」と言わせた蜂屋一番の特徴となっています。

 その焦がしラードの作り方は、寸胴鍋に良質なラードと豚の脂身、鰹節などの節類を加え焦がします。ラードだけだと表面の油が分離し、香りもよくないということで初代店主がいろいろ試行錯誤した結果、この焦がしラードが誕生しました。

蜂屋 ラーメン

自家製の焦がしラード

 「蜂屋」のラーメンがラー博で食べられるのは実に14年ぶり。

 旭川の老舗の味をこの機会に是非お召し上がりください! 出店期間は2023年10月31日(火)~11月20日(月)です。皆様のお越しをお待ちしております。

 そして次回、銘店シリーズ第26弾は札幌「けやき」さんです!

蜂屋 ラーメン

 お楽しみに!!

新横浜ラーメン博物館公式HP
https://www.raumen.co.jp/

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文/中野正博

中野正博

プロフィール
1974年生まれ。海外留学をきっかけに日本の食文化を海外に発信する仕事に就きたいと思い、1998年に新横浜ラーメン博物館に入社。日本の食文化としてのラーメンを世界に広げるべく、将来の夢は五大陸にラーメン博物館を立ち上げること。

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