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iPhone登場の衝撃から16年、栄光と凋落が映画になったBlackBerry

2023年10月15日 12時00分更新

 BlackBerryを覚えているだろうか? 現在のセキュリティーベンダーとしてのBlackBerryではない。スマートフォンのBlackBerryだ。先日飛行機の機内で、BlackBerryの栄光と凋落を描いた「BlackBerry」という映画(どのくらいが真実なのかはわからないが)を見て、市場がiPhoneに席巻されていく当時を思い出した。今回は16年前の記憶をたどってみたい。

北米のビジネスマンと大統領を虜にしたBlackBerry

 BlackBerryは日本でもドコモから製品がリリースされたものの、それほどヒットしなかったが、地元のカナダ、そして米国と、北米では最初のスマートフォンという位置づけがされることもある。

BlackBerry

ドコモからも製品が多数リリースされた

 エンジニアリングを学んでいたMike Lazaridis氏(後のco-CEO)とDouglas Fregin氏が立ち上げたResearch In Motionは、学生のノリでモバイル通信技術を開発していた。そこに、市場が立ちあがりつつあることに目をつけたビジネスマンのJim Balsillie氏が加わって、モバイル端末でメールができるBlackBerryとして発展していく。

 2000年代前半、モバイルの中心は北欧と日本で、グローバルでは北欧のノキアやエリクソンなどが北米を除いた市場に勢力を拡大していた。早々にソニー・エリクソンを立ち上げて端末から手を引いたエリクソンに対し、ノキアの携帯電話は世界市場で35〜40%のシェアを持っていた。

 その頃、ノキアが弱い北米で、ハイエンドのシェアをとりはじめていたのがBlackBerryだ(米国の携帯電話市場を占めていたのはモトローラだが、標準OSの採用という点では後ろ向きだった気がする)。おそらく最も著名なBlackBerryユーザーがバラク・オバマ元大統領だろう。2009年に大統領に就任した後は、セキュリティー強化を加えるなどの改造したBlackBerryを持たされていたようだ。オバマ氏のようにBlackBerryを手放したくないビジネスユーザーを指して「BlackBerry中毒」と言われていた。

2007年のiPhone発表が市場環境のすべてを変える

 映画では、BlackBerryの戦略も描かれている。BlackBerryが作った文化の1つである両手で端末を持っての親指でのキー入力、ビジネスマンへの訴求など。それまでにないものに利便性を見出し、使ってもらうことが簡単ではなかったことがわかる。

 そして2007年の「あの日」が来る……iPhoneが発表された1月9日だ。

 実は2007年10月、筆者はSymbianのイベントで、ゲストとして出席したLazaridis氏の話を聞いている。当時は北米でiPhoneが発売済み。欧州では翌11月に上陸することになっていた。当時のアップルは各国市場で1社のキャリアと組む戦略をとっており、英国ではどこと組むのか、フランスでは、と日本のときと同じように話題になっていた。嵐の前という様相ではあったが、同時にそれは一部だけの盛り上がりのようにも見えた。今振り返ってみても、不思議な期間だった。

 SymbianのイベントでのLazaridis氏はiPhoneについて触れなかったと思うが、それでも、英国ベースのSymbianの幹部よりも肌でiPhoneの勢いを感じていたはずだ。

 それにしても、SymbianとBlackBerryは対立関係のはずなのだが、BlackBerryのトップが登壇していたのは奇妙でもある。あの頃はスマートフォンという市場を作ろうという”仲間”意識の方が強かったのかもしれない(そのSymbianの年次イベントは「Smartphone Show」というイベント名だった https://news.mynavi.jp/article/20071022-a017/)。

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