写真はイメージ Jonas Leupe | Unsplash
もちろん、感じ方や考え方は人それぞれ異なるものだ。だから私も、自分の意見だけが正しいなどと主張する気は毛頭ない。それどころか、目の前で次々と展開されるいろいろな出来事について、なにかを断言できる自信すらない。しかしそれでも危険だと感じざるを得ない人はいて、そのひとつが「行きすぎた正義感」を振りかざすタイプだ。
たとえば、なにかを“やらかした”人がいたとき、「許しがたい」「けしからん」とSNSで“必要以上に”叩いたりする人などがそれにあたる。根底にあるのは、「あの人は間違っているから、糾弾されなければならない」というような考え方なのだろう。だが、それは間違っていると私は思う。
そもそも、基本的に人間は間違ったり失敗したりする生き物なのだ。最初から当事者に悪意があったというなら話は別かもしれないが、よかれと思って行った行動や言動が、振り返ってみれば間違いだったということは、誰にでも起こりうるのである(私の人生だって、恥ずかしいことの連続だ)。ましてや、自分と関わりのない他人のそれを感情的に否定するなど言語道断である。
『世界はなぜ地獄になるのか』(橘 玲 著、小学館新書)の根底にあるのも、そんな社会のあり方(と、それが不特定多数の人たちに対してもたらすもの)だ。著者のことばを借りるなら、ここで考察されているのは「『誰もが自分らしく生きられる社会』を目指す社会主義の運動が、キャンセルカルチャーという異形のものへと変貌していく現象」である。
Image from Amazon.co.jp |
世界はなぜ地獄になるのか (小学館新書) |
週刊アスキーの最新情報を購読しよう
本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります