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【連載】「アートでめぐる横浜18区」旭区編 絵からどんな歌がきこえる? 岡本彌壽子(やすこ) 《幻(捧げるうた)》

2022年08月04日 10時00分更新

 皆さん、こんにちは!

 大規模改修工事のため長期休館中の横浜美術館。

 休館中は、長い間、市民の皆さんに親しまれてきた、横浜美術館コレクション(所蔵作品)の魅力や休館中の活動、リニューアルに向けての取り組みなどをさまざまな切り口でご紹介します。

前回の記事はこちら

「アートでめぐる横浜18区」都筑区編 波しぶきにこめられた、荒ぶる海のエネルギー。クールべ《海岸の竜巻(エトルタ)》

※過去の連載記事はこちら:アートで暮らしに彩りを。ヨコハマ・アート・ダイアリー

横浜美術館コレクション×18区

 さて、横浜美術館のコレクションの中には横浜市内18区と関連する作品があるのをご存じですか?

 横浜の風景が描かれた作品、横浜出身の作家や横浜を拠点に制作活動にはげんだ作家の作品などを所蔵しています。

 「横浜美術館コレクション×18区」では、これらの作品や作家についてご紹介します。

 今回は、旭区ゆかりの作品、岡本彌壽子(やすこ)《幻(捧げるうた)》についてのご紹介です。

岡本彌壽子《幻(捧げるうた)》
1988(昭和63)年/紙本着色、h.190.0×w.120.0 cm/横浜美術館蔵

絵からどんな歌がきこえる? ―岡本彌壽子《幻(捧げるうた)》

 岡本彌壽子は横浜市旭区白根を拠点に、生涯にわたって女性を描き続けた、横浜ゆかりの画家です。絵の少女たちは、作家が勤めていた山手のミッションスクール、横浜共立学園の生徒たちが元になっているといいます。この作品は、楽譜を開いて讃美歌を歌っているところでしょうか。岡本の作品には、しばしば十字架やロウソク、ヴェール、折り鶴、初詣、七夕、花供養といった、風習や宗教的要素が登場します。木炭で引いたような不均一な線、かすれたように塗り重ねた淡い色といった特徴は、人の思いや願い、祈りといった、かたちのないものを伝えるためにたどりついた表現だったのかもしれません。

※この作品の著作権継承者について調査いたしましたが、2022年5月18日現在、ご所在を確認することができませんでした。本件につきお心当たりがございましたら、横浜美術館にご連絡ください。

岡本彌壽子のほかの作品について知りたいと思ったかたは「コレクション検索」をチェックしてみてくださいね。

横浜美術館スタッフが18区津々浦々にアートをお届け!

「横浜[出前]美術館」訪問記 ―「現代工芸の世界―素材と技法を手がかりに」―

 横浜美術館は、休館中の間、学芸員やエデュケーター(教育普及担当)が美術館をとびだして、レクチャーや創作体験などを横浜市内18区にお届けします。その名も「横浜[出前]美術館」!

 第9弾は、旭区にある横浜市旭区民文化センター サンハートに、「現代工芸の世界―素材と技法を手がかりに」をお届け!「横浜[出前]美術館」訪問記では、その様子をレポートします。

 また講座参加者の皆さんに「みんなに伝えたい!わたしの街のいいところ」をきいてみました。今まで知らなかった新たな魅力が見つかるかもしれません!

横浜美術館所蔵作品とたどる、現代工芸の魅力
講座名:「現代工芸の世界―素材と技法を手がかりに」
開催日時:2022年6月18日(土) 14時~15時30分
開催場所:横浜市旭区民文化センター サンハート
講師:長谷川珠緒(横浜美術館学芸員)
参加人数:14名

 今回、会場となったのは、旭区にある横浜市旭区民文化センター サンハート。

 相鉄線「二俣川駅」に直結する二俣川ライフの5階にあり、交通アクセス良好な施設です。300席を擁する「ホール」、アコースティック音楽の公演・発表会・練習などに最適な「音楽ホール」、美術・工芸作品の発表・展示の場として親しまれる「アートギャラリー」をはじめ、鏡やレッスンバーを備えた「カルチャー工房」、遮音性に優れた「音楽工房」、「ミーティングルーム」なども備えています。

 講座では、明治以降、日本における「工芸」という言葉の定義や歴史の確認にはじまり、ガラス工芸と戦後の「スタジオグラス・ムーヴメント」の流れを紹介。古くから工芸の分野で扱われてきた素材や技法を現代の表現にとりいれた作品を、横浜美術館所蔵作品とともにたどりました。

「工芸」の枠組み 

 日本語の「工芸」は、明治時代に生まれた比較的新しい言葉です。西洋から輸入された「ART(アート)」という概念に「芸術」という言葉があてられ、精神性を高める芸術としての「FINE ART(ファインアート)」を「美術」、実用を伴う「CRAFT(クラフト)」を「工芸」と訳しました。

 工芸作品は、古来より土や木、漆、金属、繊維などの自然素材を用いて加工され、エネルギー革命が起こるまでは、主に手仕事で制作されてきました。そして産業や技術の発達にともない、新しい素材や技術が取り入れられ、表現の幅を広げていきました。

 明治に入ると、外貨獲得のために日本の美術品が盛んに輸出され、超絶技巧を駆使した工芸作品も欧米で人気を博し、ジャポニスムのブームを巻き起こします。その後、大正から昭和初期にかけては、そうした輸出工芸にみられる美意識に疑問を抱く工芸家も現れ、明治以前の伝統に寄り添う古典の研究も盛んになりました。戦後になると、作家たちが手仕事の意味を模索し、伝統、創作工芸、クラフト、前衛などに分化。「美的価値を備えた実用品」という一般的な解釈では捉えきれない、多様な表現が生まれます。

 こうした「工芸」をめぐる枠組みが整理されたのち、陶器、ガラス、漆など素材別に、横浜美術館の工芸コレクションの概要が紹介されました。

日本におけるガラス工芸の黎明期

 横浜美術館における工芸分野の収蔵作品でもっとも充実しているのは、ガラスのコレクションです。日本におけるガラスの歴史を紐解くと、古くは弥生時代の遺跡にビーズの髪飾りなどが発見されていますが、和ガラスが製造されるようになったのは7世紀後半。のちの江戸時代になると、透明なガラスが作られるようになり、長崎の吹きガラスや江戸の切子が隆盛しました。明治には西洋建築の流入とともに工業素材としてのガラス製造の需要が一気に高まりますが、そうしたガラスの加工が工芸として成熟するのは、岩田藤七(いわたとうしち)や各務鑛三(かがみこうぞう)らが登場する昭和に入ってからのことでした。

 岩田藤七は、幼い頃から幅広い教育を受け、東京美術学校(現・東京藝術大学)の金工科・西洋画科で学んだ後、岩城硝子に就職します。1944年に独立して岩田硝子製作所を設立し、温もりのある色ガラスの世界を追求しました。

 一方で、透明なクリスタルガラスの世界を追求したのが各務鑛三です。陶磁器の生産で名高い多治見で釉薬を製造する家に生まれ、東京高等工業学校(現・東京工業大学)図案科に学びます。後にドイツに留学し、クリスタルガラスの加工技術を習得。アールデコ全盛期のヨーロッパでモダンデザインやバウハウスの動向などを経験し、自らの制作に活かしました。

戦後花開いた「スタジオガラス・ムーヴメント」

 戦争により低迷を余儀なくされたガラス界ですが、いち早く独立し個人作家の道を歩み始めたのが藤田喬平(ふじたきょうへい)でした。藤田は工場の設備と職人の手を借りて制作する「壺借り」というスタイルで制作を開始し、1964年には、流動的なガラスのダイナミズムを表現した記念碑的作品《虹彩(こうさい)》を発表します。その後10年ほど個展を重ねていくなかで、流動的なガラス表現とは対照的な「飾筥(かざりばこ)」を発表します。日本の伝統的な美意識を表すべく琳派の装飾性を継承したこのシリーズは、国内外で高く評価されました。海外のシンポジウムに出席した際、「この箱に何を入れますか?」と問われ「夢を入れます」と答えたエピソードは有名で、以降「ドリーム・ボックス」として世界で知られるようになりました。

藤田喬平《飾筥「室町の花」》
1988(昭和63)年
ガラス、銀覆輪、型吹き
14.0×25.5×25.5cm
横浜美術館蔵(藤田喬平氏寄贈)

 実はこの「ドリーム・ボックス」が、1962年にアメリカに端を発する「スタジオグラス・ムーヴメント」と日本のガラス界との出会いのきっかけになったという点で、日本のガラス工芸にとって重要な意味をもっています。

 スタジオグラス・ムーヴメントはガラスの小型溶解炉を使ったデモンストレーションで、ガラスも陶器や木工、金工といった他の素材同様に、個人作家の造形素材になりうるという可能性が示されました。以降、世界でスタジオグラス展が開催されるようになると、「飾筥」で知られた藤田は、数少ない日本人作家として出品するようになります。

 同じ頃、ドイツで行われたシンポジウムに参加し、欧米の作家と交流したのが伊藤孚(いとうまこと)です。多摩美術大学で日本画を学び、各務クリスタルに就職。ほどなく自分の溶解炉を作り独立し、スタジオグラス・ムーヴメントの体現者として活躍します。1976年には多摩美術大学で日本初のガラス・コースが開設されますが、伊藤はその立役者でした。

 実際、世界のスタジオグラス作家が来日し、日本にガラス界に大きな衝撃を与えたのが、1978年、京都で開催された「第8回世界クラフト会議(World Crafts Council)」です。日本側のチェアマンを藤田が務め、その協力依頼を受けた伊藤が、多摩美術大学の学生だった高橋禎彦(たかはしよしひこ)を連れて参加しました。彼らは皆、目の前で展開される造形素材としてのガラスの可能性に衝撃を受けたと伝えられています。

異素材への応用

 1978年の世界クラフト会議は、実はガラスのみならず陶芸や金工、紙、染色など工芸全般にわたる関係者が一堂に介し、活発に情報交換を行ったという点で、日本の現代工芸において重要な役割を果たしました。これをきっかけに、他の工芸分野においても新しい試みが行われました。こうした流れを象徴する作家として、漆の赤堀郁彦(あかぼりいくひこ)とテキスタイルの熊井恭子(くまいきょうこ)がいます。

 横浜を拠点に活動する赤堀郁彦は、漆の伝統的な技法を用いて、現代的な作品を制作しています。漆地に貝や象牙などを嵌め込む象嵌(ぞうがん)の技法を用いて、伝統的な素材のみならずステンレスやチタンなどの工業素材を大胆に取り入れた斬新な作品を制作しています。蒔絵の繊細な煌めきと力強いステンレスを併用することで、漆において新しい表現の可能性を開きました。

赤堀郁彦《Dream for the 21st Century》
1999年
木、漆、金箔、着色したステンレス 144.1×108.9cm
横浜美術館蔵

 熊井恭子は、デザインを学んで間もなく、テグスを用いて制作された一枚の美しい布に魅せられ、テキスタイルの世界に入りました。平面的なタペストリーからスタートし、やがて縦糸にステンレスワイヤーを使用することを思いつき、立体的な空間演出へとシフトします。1981年頃からは、ステンレスワイヤーのみを用いた「自立」する作品へと展開、織機を外すことで自由な大きさの不織布を用いた大胆なインスタレーションへとつながります。所蔵作品《叢生(そうせい)’99》は、一本一本手で結ぶように編んだ金属線を、曲線を描いて立ち上がらせ、草むらを吹き抜ける風を表現しています。

 一言で「工芸」といっても、そこには多様な世界が広がっています。工芸の世界では、扱う素材が限定され、それを扱うための技術が必要です。そうした制約を乗り越え、いかに新しい技術を柔軟に取り入れ、新しい表現を目指していく挑戦こそが、工芸の面白さの一つではないでしょうか。また言うまでもなく、工芸作品は、日常生活の中で、重さや手触りなど身体的な感覚を通して鑑賞することができるものが多いという点も魅力のひとつです。

 ぜひ身近な作品を手にとり、触れて、感じてみてほしいと思っています。

※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、ガイドラインを遵守した対策を講じた上で実施しています。

●「横浜[出前]美術館」開催予定の講座はこちら

18区の魅力発見! 講座参加者の皆さんにきいた「みんなに伝えたい!わたしの街のいいところ」

 横浜のことを知っているのは、よく訪れたり、住んでいる方々!

 講座参加者の皆さんの声から旭区の魅力をご紹介します。

 運転免許センターだけじゃない、交通の便がよく、住みやすい横浜のベッドタウン。

・横浜にも近く、住むのに比較的便利な処(瀬谷区在住、70代)
・自然を身近に感じられます。大池公園では野鳥やホタルが見られる(旭区在住、60代)
・大池公園がある(保土ケ谷区在住、60代)
・駅近くに便利な商業施設が多くて住みやすそうな街だなと思いました(保土ケ谷区在住、40代)
・公園や農地、動物園など緑豊かな自然が身近にあるところ(西区在住、40代)

――みなさんもぜひ旭区を訪れてみてくださいね――

・都筑区編「波しぶきにこめられた、荒ぶる海のエネルギー。クールべ《海岸の竜巻(エトルタ)》」はこちら
・金沢区編「カラリストの真骨頂、色の魔法使い。高間惣七《カトレアと二羽のインコ》」はこちら
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 この記事は下記を元に再編集されました
https://yokohama-art-museum.note.jp/n/ncff2dcbb2007

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