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横浜フリューゲルス女性サポーター取材のこぼれ話 ~98年スポーツ特集編~

2022年03月25日 09時00分更新

 1998年といえば、個人的にはバイトで必死にお金をためて、フランスワールドカップを現地で観戦したほどサッカーに情熱を注いだ時期。また、1999年元日の天皇杯決勝も国立競技場まで行って観戦し、クラブ消滅が決まっていた横浜フリューゲルスの有終の美を見届けました。だから、フリューゲルスのサポーターグループの元リーダー・川村環さんに取材した時は、昔のサッカー談義に花を咲かせました。そこで、誌面では書き切れなかった逸話をご紹介。

 川村さんら熱心なサポーターは、天皇杯決勝前夜の大晦日から国立の外で待機していました。その時、対戦相手・清水エスパルスのサポーターと一緒に、カセットコンロで炊いた鍋を囲んでいたという…。

 「実は前年1997年にエスパルスも消滅危機があり、どうやって署名活動を行えばいいかなど相談したりもしてました。それもあって、もともと仲がいいのでお酒を飲んで盛り上がり、新年のカントダウンをみんなでやりましたね」(川村さん)

 その後、深夜で寒かったのでサポーターの多くは、用意したテントや車の中へ。ただ、川村さんたち数名は、試合後に掲示するための巨大横断幕を徹夜で作りました。そこに彼女自身が筆で書いたメッセージがこちら。

『この想いは決して終わりじゃない。なぜなら終わらせないと僕らが決めたから。いろんなところへ行っていろんな夢を見ておいで。そして最後に……。君のそばで会おう。』

 これは彼女の好きな詩人、銀色夏生の「君のそばで会おう」をベースに考えた文章。「フリューゲルスはなくなって、みんな散り散りになってしまうけど『またどこかで一緒にやりたいね』という思いを選手に伝えたくて書きました」と川村さん。

 それにしても横断幕にするには文字が多すぎる気が…。「短い言葉では私が伝えたいことは伝わらないと思って。見えないんだったらでっかく書けばいいでしょって、100枚以上の模造紙分の大きさになっちゃいました(笑)」(川村さん)。

 誌面でも掲載した巨大横断幕の写真は、彼女が当時、取材を受けて知り合ったカメラマンに、私物の「写ルンです」を預けて撮ってもらったもの。時代を感じさせますね~。

 (1998年のスポーツ特集担当=小林)

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