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ブロックdeガジェット by 遠藤諭 027/難易度★★

この電卓からマイクロプロセッサは始まったんだよ! BUSICOM 141-PF

2021年12月27日 09時00分更新

最初のマイクロプロセッサIntel 4004

いま我々の住んでいる世界は少し違った風景だったかもしれない

 1972年9月、株式会社リコーのある取締役のところに国際電話が入った。電話をかけたのはアメリカの半導体メーカー、インテル社の社長で、半導体の神様といわれたロバート・ノイス。そんな人物からの突然の電話に取締役は驚いたが、その用件にはさらに驚いた。

 「嶋という技術者をうちの会社にくれないか」

 ノイスのあまりにも異例の要求に、取締役は、最近入社したばかりの嶋という若者を呼んで問い詰めた。

 「いったい君は何者なんだ?」

 嶋正利。71年にインテル社から発表されたマイクロプロセッサ「4004」を弱冠28歳で開発した人物である。

 マイクロプロセッサとは、ふだんわれわれの使っているパソコンの心臓部に使われているチップのこと。心臓部はCPU(Central Processing Unit)といわれ、一般にはプロセッサと称されるが、パソコンの場合は一つのチップに集約されている場合が多く、特にマイクロプロセッサと呼ばれている。嶋氏は、『次世代マイクロプロセッサ』(日本経済新聞社)の中で、

 「マイクロプロセッサ、パソコン、ワークステーションの発明や開発とは、古い権威主義的な既存システムから自由を個人に取り戻すための破壊と改革、そして新たな価値を持った新システムの建設と価格破壊であった、とも言える」

 と述べているが、まさにマイクロプロセッサの発明は、コンピュータ利用の自由主義、個人主義への幕開けでもあったのである。

 私が日本のエレクトロニクスに貢献した人たちにインタビューした『計算機屋かく戦えり』で、最初のマイクロプロセッサであるインテル4004の開発に携わった嶋正利さんの章の冒頭である。

 日本の電卓メーカーであるビジコンが、新しい内部構造の電卓を開発するためにインテルに発注したチップが、最初のマイクロプロセッサである4004につながったことはよく知られている。デジタル革命という人類の歴史の1ページをかざる出来事の発端が、たった1つの電卓であったことは興味深い。

 当時の電卓は、ハードワイヤードといわれる配線の論理の組み合わせで1台ごとに論理的な回路設計からやっていた。1回のハードウェア設計で、ビジネス用電卓にも科学技術計算用電卓にも伝票発行機や銀行端末などにも使えるようにできないか? そこで、同社は、コンピューターのようにROMからプログラムを読みだして動作させたいと考えた。

 そうして作られた最初の製品は、1968年に完成したBUSICOM 162Pという電卓。嶋正利氏が、電卓に必要な命令を考え、プログラムも書いたそうだが、これは10進演算で動作するものだった。

 そんなおり、1969年には、シャープが米ロックウェルに発注したMOS-LSIによる電卓QT-8Dを発売。それまで数百個のパーツでくみ上げていた電卓が、一気に公称4チップ、大幅な低消費電力化もはかられた。そこで、ビジコンとしても電卓のためにLSI化をはかることになる。インテルに発注するため、ご本人によれば当時いちばん余裕のあった嶋正利氏が米国に出向くことになる。

 このとき、嶋氏が作りたいと論理図を持っていった電卓は、「162Pから発展させて、20桁まで計算でき、CRT、キーボード、プリンタ、IBMのパンチカードなどの入力機器が増設できて複雑なプログラムも可能な電卓」だったそうだ。これだけ聞くと、電卓というよりもパソコンすら連想させる内容である(ちなみに最初のマイコンキットの登場は4年以上先となる)。

2011年に情報処理学会が選定する情報処理技術遺産となったとき名古屋工業大学にて展示されたBUSICOM 141-PF(電卓博物館の大崎眞一郎氏が提供)。

 ところが、当時のインテルはメモリ専業の会社で、プロセス技術とメモリの技術者しかいない。そうした中で、嶋正利氏と同社の担当者たちが、さまざまな制約の中で1つずつハードルを越えていくことになる。

 彼らは、数字1桁(0~9)は4ビットで表現できるので、4ビットのマイクロな命令を動作させることを考えた。その命令を組み合わせていけば、電卓に必要な10進演算などの命令を実現できるという設計だったのだ。こうして、電卓専用のLSIではなく、汎用で使える最初のマイクロプロセッサが生まれたのだった。

 それによって生まれたビジコンの電卓が、BUSICOM 141-PFである。ブロックdeガジェットの27回は、このデジタルの大きな転換点をつくることになった電卓である。冒頭で引用したとおり、4004のあとビジコンを退職してリコーに転職した嶋正利氏を、インテルは8ビットの8080の主任設計者としてスカウト。8080は、1980年代にかけてマイコン内蔵製品や多くのパソコンで使われることになる。

 なんでもない電卓にみえるが、この電卓がなかったらいま我々の住んでいる世界は少し違った風景だったかもしれない。

 

「ブロックdeガジェット by 遠藤諭」:https://youtu.be/CBgVxruqfw0
再生リスト:https://www.youtube.com/playlist?list=PLZRpVgG187CvTxcZbuZvHA1V87Qjl2gyB
電卓博物館:http://www.dentaku-museum.com/
「in64blocks」:https://www.instagram.com/in64blocks/

 

遠藤諭(えんどうさとし)

 株式会社角川アスキー総合研究所 主席研究員。プログラマを経て1985年に株式会社アスキー入社。月刊アスキー編集長、株式会社アスキー取締役などを経て、2013年より現職。角川アスキー総研では、スマートフォンとネットの時代の人々のライフスタイルに関して、調査・コンサルティングを行っている。「AMSCLS」(LHAで全面的に使われている)や「親指ぴゅん」(親指シフトキーボードエミュレーター)などフリーソフトウェアの作者でもある。趣味は、カレーと錯視と文具作り。2018、2019年に日本基礎心理学会の「錯視・錯聴コンテスト」で2年連続入賞。その錯視を利用したアニメーションフローティングペンを作っている。著書に、『計算機屋かく戦えり』(アスキー)、『頭のいい人が変えた10の世界 NHK ITホワイトボックス』(共著、講談社)など。

Twitter:@hortense667

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