週刊アスキー

  • Facebookアイコン
  • Twitterアイコン
  • RSSフィード

ブロックdeガジェット by 遠藤諭 022/難易度★★

セガファンのみなさまお待たせしました! メガドライブを作る

2021年11月22日 09時00分更新

なぜメガドライブの北米版《GENESIS》は売れまくったのか?

 ゲーム機といえばファミコンといわれた時代、1987年にNECホームエレクトロニクスから《PCエンジン》が発売されて存在感を出しはじめる。大手ソフトメーカーが家庭用ゲーム機を発売しようという話もあったという。そこへアーケードの体感型ゲームや格闘ゲームで絶好調のセガが投入してきたのが《メガドライブ》だった。

 1990年前後にゲームを遊んだ人にはまったく説明も不要だと思う。ワークステーションやMacintosh、国産ではX68000に搭載されたばかりのMC68000を採用。本体には大きく《16-bit》と刻まれる。ブロックdeガジェットの第22回は、1988年にセガが発売したメガドライブだ(以下ビデオ)。

 よく知られているように、メガドライブは、《GENESIS》という名称で売られた北米など海外で大きくブレークした。任天堂からスーパーファミコンが発売されるのは1990年、北米版のSNESの発売は翌1991年。SNES発売後もGENESISは好調で、その理由は、市場にあったタイトルが積極的に投入されたからだとされる。

 これは、PCエンジンがコア構想をうたいゲーム機とホームエンターテインメントの形を模索したこととともに、ゲームの歴史の上ではとても重要かつ教訓的なできごとの1つだと思う。そして、任天堂が《ゲームボーイ》を発売するのは1989年である。ハードウェアのベースとなる技術が進化して、それぞれの選択肢を持ちえた時代である。

 個人的には、ポリゴンによる3D表現が大好きで、アーケードの《バーチャレーシング》や《ハードドライビング》(アタリ)をよく遊んだ(バーチャ~シリーズはメガドラで、ハード~はリンクスで発売される)。パソコンでは、CD-ROMブームが起き、やがてグラフィックカードでゲーム機と見まごう表現ができるようになる。

 ビデオの中でも触れているが、2016年に日本科学未来館の「GAME ON」展のイベント内イベントとして「セガハードの歴史を語り尽くす」を開催。株式会社セガゲームス 「セガ3D 復刻プロジェクト」シリーズプロデューサーの奥成洋輔氏にコーディネートしていただいたものだ。

 私は、ナビゲーターとしてもっぱら聞き役だったのだが、会場の比較的前のほうに、他の来場者とは同じようには反応しない一団がいる。近づいてみるとNECのマイコンキット《TK-80》で有名な後藤富雄さんが来られていたのだ。「どうしたんですか?」と聞くと「ここのグループはPCエンジンの開発チームだよ」と言われたのだった。

 

「ブロックdeガジェット by 遠藤諭」:https://youtu.be/dfSLc-E9sM0
再生リスト:https://www.youtube.com/playlist?list=PLZRpVgG187CvTxcZbuZvHA1V87Qjl2gyB
「in64blocks」:https://www.instagram.com/in64blocks/

 

遠藤諭(えんどうさとし)

 株式会社角川アスキー総合研究所 主席研究員。プログラマを経て1985年に株式会社アスキー入社。月刊アスキー編集長、株式会社アスキー取締役などを経て、2013年より現職。角川アスキー総研では、スマートフォンとネットの時代の人々のライフスタイルに関して、調査・コンサルティングを行っている。「AMSCLS」(LHAで全面的に使われている)や「親指ぴゅん」(親指シフトキーボードエミュレーター)などフリーソフトウェアの作者でもある。趣味は、カレーと錯視と文具作り。2018、2019年に日本基礎心理学会の「錯視・錯聴コンテスト」で2年連続入賞。その錯視を利用したアニメーションフローティングペンを作っている。著書に、『計算機屋かく戦えり』(アスキー)、『頭のいい人が変えた10の世界 NHK ITホワイトボックス』(共著、講談社)など。

Twitter:@hortense667

この記事をシェアしよう

週刊アスキーの最新情報を購読しよう

本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります

この連載の記事