契約書の電子化から生まれる価値
橘:契約書はどんどんデータ化されていきますが、それによって新たな価値が生まれてきます。これまで会社の契約書は法務が集めてキャビネットや外部倉庫に預けて、法務からしかアクセスできなかった。これがクラウドになると、閲覧権限をコントロールできるので、事業責任者が見ようと思えばすぐ見られるようになります。法務に確認しなくても、これから訪問するお客さんとどんな契約書を結んだんだっけ……とタクシーの中からスマホで閲覧できる。その価値に企業は気づいてきており、過去の紙の契約書もクラウドサインに入れて、いつでも閲覧できるようにしようという動きが始まっています。
そもそも契約を守らなければいけないのは、事業部なんですよね。この取引をする場合はこの義務を負うとか、この秘密情報を守らなきゃいけないとか。それなのに契約を締結した瞬間、他人事になってしまう。本来契約書は事業部が見るものだという当たり前が、ようやく実現できるようになっています。
山本:過去の紙の契約書も絶対見られたほうがいいと思うんですけど、量が膨大じゃないですか。各社でどれくらいデータ化は進んでいるんですか?
橘:進んでいるのは局所的現象で、マジョリティーはやってないのが実情です。やろうと思うと、スキャニング作業を1万回やるだけじゃなくて、締結日や終了日、相手方の名称などの入力が必要になります。これをしないと検索ができないので、非常に時間とコストがかかります。なので、クラウドサインも関連事業をやっています。「クラウドサインスキャン」という、契約書を段ボールに入れて我々に送ってもらえれば全部スキャン作業するという事業です。もう1つ、「クラウドサインAI」は、ファイルを全部AIでクローリングして、契約書の終了日や取引金額を自動記入するという事業です。これも局所的には導入が進んでいますが、本格拡大はこれからですね。
山本:今後は電子化が進んでデータが溜まっていくのでいいと思うんですけど、過去のものはいつまでデータ化するなどの線引きはあるんですか? とりあえず2年前までやってみましょうというような。
橘:そういうことになると思います。現実問題として、大企業が過去5年分をデータ化すると1000万円くらいのコストがかかります。いままでの法務だと、契約書は月5回くらい事業部から要請されて取り出す程度なので、それだったら倉庫に眠らせておいても事業は回っちゃう。閲覧だけの価値だったらコストが見合わないんですけど、別の付加価値があればクラウドに乗せるようになると思うんです。AI-CON Proがクローリングして、「この契約書のまき直しのときにはこう直したほうがいい」とか、「ここにリスクがある」とか、そういう付加価値ですね。いまは付加価値にコスト見合いがまだないという意思決定になってるんだと思います。
山本:なるほど。そういうことですね。
橘:そういう意味では、クラウドサイン側の付加価値も必要だと思っています。取引先マスターに対して、企業信用調査サービスをクローリングして“この会社はつぶれる危険性がある”とアラートがくるとか。たぶん、AI-CON Proなどのレビュー系はAPIを提供して、契約書が集まっているところで価値を発揮すると思っています。
山本:そこで確かに一歩進む感じがしますよね。紙のデータ化のインセンティブが企業側にがっちり出てくると。
橘:はい。契約書のマスターをどのリーガルテックサービスで溜めるかつばぜり合いがあったり、管理に特化したリーガルテックがでてきたり、そういう覇権争いがうまれている。
山本:だいたいサインと管理は両方やっているところが多いんですか?
橘:サインの段階で自動的にデータが溜まっていくので、あえて別の管理サービスを入れると二元管理になってしまう。なので、基本的にはサインサービスにデータが溜まっていくと見ています。この点、Hubbleは一元管理サービスを狙っているんですか?
酒井:自分たちの発想としては、契約書を作っていくプロセスと最終版の管理というのはシームレスにつながっていくことが理想的だというもので、締結後の管理もできるということを謳ってはいますね。
橘:Hubble側としてはそうしたいでしょうね。現実路線としてはどこにユーザーがデータを溜めていくかの読み合いを各社でしていて、製品をどうやって作っていくかという未来の予想をしているところですよね。
酒井:もう少し踏み込んで言うと、これまで溜めていたWordファイルの最終版がPDFとして、他社サービスを用いて保管されていくようになっても、自分たちとしてはかまわないとも思っています。電子契約サービスを含めた他社サービスとHubbleとの連携もできるようになっているので、自分たちとしては、川上にある契約締結過程のWordファイルのデータが重要であるとは思っています。
橘:それは基本的にWordで作る社会を前提としたサービスだと思うんですが、そもそもクラウドで作るという未来は来ると思いますか?
酒井:Wordで契約書が作成されないという未来はいずれ確実に来るとは思います。僕らとしてもWordを推奨したいという思いは特になくて、いまの商慣習に根ざした結果です。ちなみに橘さんは、どれくらいでそういう未来がくると予想していますか?
橘:2025年にはほとんどWordで契約書をつくる社会はなくなると思っています。
酒井:あと5年以内ということですか。
橘:はい。待ったなしだと思います。和文タイプライターが一太郎になり、Wordになり、という歴史を常に見てきたので、それはあると思います。
電子契約から周辺領域への広がり
北島:電子契約から広がった先も含めて、現在気になる動きはありますか?
橘:リーガルテックの市場全体のなかで、現在電子契約が8割位を占めていますが、今後は周辺領域の伸びがテーマになるでしょう。デジタル化というのは一気に進めるのは難しくて、まずはアナログの自動化から始まります。例えばSuicaが普及したのは、まず自動改札機によって切符の入札というアナログな作業を自動化したことで、次の段階の電子化と、データを取れるデジタル化が可能になった。iTunesもそうですね。初めからデジタル音源を買うのではなく、はじめはCDをリッピングするサービスでした。法務も同じで、契約書が電子化できてきたら、次に稟議フローや契約作成、レビューなどの周辺領域がデジタル化するという順番にあるのかなと思います。
電子契約プレイヤーが、前後のサービスも手掛け始めているトレンドもあるので、群雄割拠になっていきそうですね。
北島:リーガルテック周辺領域で、注目している企業はありますか?
橘:契約書作成に特化したエディタを提供しているLAWGUE(ローグ)というサービスに注目しています。契約書の作成はMicrosoft Wordが一般的ですが、契約書作成に特化していないので作りにくいという課題の解消につながります。
酒井:契約周りからは少し離れますが、リサーチサービスにも間違いなく需要があると思います。企業の法務部がどれくらいリサーチ業務に投資できるか次第ではありますが、専門家のニーズは存在するサービスだと思います。
山本:商標関係に注目していますね。商標申請自体はかなり数が多く、法務市場のパイを取っているのでは。今後も伸びていくのではないかと思います。
北島:経営管理周りなどの領域でもいろいろなSaaSサービスが増えていますが、リーガル系のサービスがつながって、データの新しい価値を見出す可能性はあると思いますか?
橘:その模索は始まっていますね。契約書って最重要エビデンスなんですよ。企業買収するときに契約書をチェックするのは、本当に将来の売り上げができるかというエビデンスになるからです。買収部門への連携とか、経理の帳票や監査法人のチェックに走るとか、契約書がそういうハブになって企業の情報連携というのは進むと思います。また、進まないといけない。
酒井:数か月前に、freeeがサイトビジットという電子契約サービスを提供している会社を買収したのも類似の話なのかなと思います。自分たちの会計や決済周りのシステムと連携することを想定してERPの思想で買収しており、周辺領域とつなげることの代表例なのかなと思います。
橘:うちとfreeeもAPI連携しています。API連携をしているサービスは100位あって、SlackとかTeamsとか、LINE Worksとかとも連携してます。契約書はハブなのでいろいろなサービスと連携していくでしょうね。どこで連携するかっていうのは、ポータルをどこにするかということになるんですが、多くの大企業はSIer側で数億円かけてつくった基幹システムをハブとするというのが多いですね。
北島:大手の金融機関もオンプレからクラウドへ移行し始めている状況がありますが、法務のクラウド化が進むためには、何がポイントになると思いますか。
橘:クラウドがいま流行っている理由にはIaaSの伸びがあります。これまで自社でサーバーを買って運営保守メンテするためのインフラエンジニアを採用しないとサーバーサイドとアプリケーションエンジニアをとれなかったのが、IaaSの価値観が広まったことで、セキュリティの仕組みが安価になったというのが大きいです。
いま、政府主導で去年から一気に進んでいるイメージがありますね。デジタル庁もキーになります。まだ法律事務所向けのSaaSはそれほど普及していないんですが、これもたぶん一気に普及してくるのではないでしょうか。
社会的意義の変化、契約書のデジタル規格化、スピードの変化……リーガルテックと各社の未来
北島:これまでリーガルテックの現状をお聞きしてきましたが、最後にみなさんの今後の見通しをお聞かせください。
山本:リーガルテックに限らず、色々なツールもそうですが、リテラシーの高いところや変化しやすいところがまず取り入れて、それが順々に浸透して、いま大企業にも入りつつあるフェーズだと思います。そしていろいろな人が触るようになることで、最終的には個人レベルで使っていくという話も広がっていくんじゃないかなと思います。社会的な意義も大きいので、そういうところも今後はやっていきたいですね。
橘:いまはまだ、契約書がクラウドに上がったという本当の第一段階で、CDをリッピングしてiTunesに入れた段階と同じです。今後、「そもそもデジタルでよくない?」という時代がやってきて、そのとき契約書の形は大きく変動をとげます。いまの契約書の形式は、紙に適した契約書ですが、デジタル最適化された契約書の形は全く異なるはずです。デジタル前提になったとき、法律文書に適した新しい契約書っていうのが発明されるというのが一番大きなトレンドになると思います。すでにスタンフォード大学のロースクールで研究が始まっていますが、機械が判定しやすい世界共通規格が生まれて、法律文書の作成はほとんどプログラミングのコーディングのような業務になるはずです。
酒井:リーガルテック市場の成長は完全に不可逆的なものだと思っています。市場拡大のスピードも速く、コロナ禍がなければ5年10年先に訪れようとしていた未来がもうすでに来ているというスピードで市場が拡大しています。クラウド上で扱う契約業務が拡大していくことで、ゆくゆくは当事者間で考えていることが、自然に契約内容に落ちていくような世界が到来するのでは思っています。それによって、契約=合意内容という本来的な意義が取り戻された結果、リーガルがハブになって周辺領域とつながり、人の働き方も変わっていくのではと考えます。
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