どっこいPHSは生き続けている!
2021年1月31日、公衆PHSのサービスが終了した。私も、PHSにはさんざんお世話になってきた。たとえば、いま地下鉄の中でスマホを使ってメールやウェブを使っているが、20年以上前にPHSで人知れずやっていた。日本で生まれた移動通信の技術であるPHS(パーソナル・ハンディホン)だ。
次の写真は、ハンドスプリングのVisorにPHSカードを挿入してスマートフォンの真似事をやっていたときの写真だ。Visor Phoneという製品も海外では発売されていたのではあるが。ちなみに、Visor Edgeの「エッジ」が、PHSのキャリアであるウィルコムの「H"」に由来するのをご存じだろうか?
PHSが、移動通信でなにを可能にしてきたかを書いていたと思って探していたらInternet Archiveに「PHSの10年」という記事が出てきた。2005年4月18日の「先見日記」というNTTデータが開設していた日記ページだ。以下は、その原稿だ。
PHSの10年
最初は、「PHP」と呼ばれていた。
パーソナル・ハンディホンの略称で、家庭のコードレス電話を屋外で使う「簡易型携帯電話」という触れ込みだった。サービスの開始前に、PHP研究所から「紛らわしい」という申し入れがあって「PHS」と改められた。
“S”を付けて「パーソナル・ハンディホン・システム」としたわけだ。
そのPHSだが、この2月、NTTドコモがサービス終了の方向であることを明らかにした。1995年7月にサービスを開始してから足かけ約10年。新規契約は4月30日までとして、少なくとも20年ほどかけてサービスの提供も終了する予定だという。
PHSは、日本が開発した移動通信の方式である。いかにも狭い国土、省資源向き、そして、なにしろ低価格でサービスを提供できる点が大きな特長だ。
「みんなを電話にする会社」
という、当時のNTTパーソナルのテレビコマーシャルをご記憶の方もいるだろう。少し大袈裟にいえば「情報民主主義」というべきか。世界的にもこれだけ移動通信を一気に大衆化した製品やサービスというのはなかった。
それまで、携帯電話といえば、よほどのお金持ちか仕事で本当に必要な人しか持っていなかった。香港じゃ携帯電話のことを「大哥大」(大アニキ)と呼んでいたくらい(台湾じゃ、この俗称がそのまま「台湾大哥大」という会社名になってしまったりするのだが)。
なにしろ、若いビジネスマンから、女子高生、さらには小学生にまで利用者層を広げてしまう。その意味では、世界中がやっきになって模索し続けている移動通信の可能性に、早々とトライしていたのがPHSかもしれないと思う。
1996年11月 Pメール(文字メール、DDIポケット)
1997年2/4月 ピノキオ(松下、NTTパーソナル)/ジェニオ(東芝、DDIポケット)=PDA型
1997年6月 たまぴっち(バンダイ、DDIポケット)
1997年10月 FMラジオ付き(アステル)
1997年12月 腕時計型PHS(冬季長野五輪向け、NTT)
1998年2月 ドラえホン/いまどこ(位置情報、NTTパーソナル)
1998年4月 安心だフォン(2番号のみ通話、DDIポケット)
1998年6月 着信メロディサービス(アステル)
1999年2月 テガッキー(文字電話、DDIポケット)
1999年7月 テレビ電話/デジカメ付き(京セラ、DDIポケット)
1999年6月 GPS複合端末(セイコーエプソン、NTTドコモ)
2001年1月 ピックウォーク(音楽配信、NTTドコモ)
2003年5月 WRISTOMO(腕時計変形端末、NTTドコモ)
2004年5月 京ぽん(フルブラウザ、DDIポケット)
2005年11月 W-SIM(PHSモジュール、ウィルコム)
2005年12月 W-ZERO3(強力なPocketPC端末、ウィルコム)
2012年1月 ストラップフォン(フリスクサイズ端末、ウィルコム、ワイモバイル)
いずれも、PHSという技術のなせる技である。音声品質の良さもあるが、高速データ通信、小型・低コスト、省電力・低電磁波など、いま見ても良いことづくめのように見える。
NTTドコモのサービス終了と対照的だったのが、それと前後して、DDIポケットが新会社「ウィルコム」に生まれ変わったことだ。米国投資会社カーライルが60%、京セラが30%の大株主となり、同じKDDIグループの携帯電話事業に引っ張られることなくビジネスを展開できるようになった。
この5月からは「音声定額」という“PHSの反撃”とも言えるサービスを開始する。月額基本料2900円だけで、同社のPHS同士なら無料で喋り放題(他社や固定電話は有料)、電子メールは他社やパソコン向けも含めてすべて無料となる。
カーライルやとくに京セラは、PHSの競争優位性(基地局にインターネット技術を応用できる)もさることながら、中国でのPHS市場の拡大を見ているとも言われる。現在、PHSは、タイや台湾でもサービスされているが、中国では「小霊通」(しゃおりんとん)と呼ばれ、地方都市で爆発的にヒットしている。2005年現在の利用台数は、信じがたいことに、日本の携帯電話とほぼ同数の7000万台(!)。
アジア各国への展開は、実は、10年前のPHS誕生のときから言われていたことで、いまそれが実を結びはじめているということなのだが。日本発の技術、これからどこに行くのか?
なにぶん2005年4月の記事のため欠けている部分もあるので、W-SIM、W-ZERO3、ストラップフォンなどを追加させてもらった。なお、2021年1月31日の公衆PHSの終了のあとも、PHSは終わったわけではないのをご存じだろうか? 公衆PHSは終了したが、法人向けテレメトリングサービスなどがあるからだ。
PHSについてのすべてが分かるClubhouseやります
ということで、PHSの開始前の段階からそのチップの開発を手掛け、世界最小最軽量の電話機ストラップフォンなどユニークなPHS端末まで関わられた、株式会社エイビット社長の檜山竹生さんに詳しく聞きたいと思った。
2カ月ほど前にも、私は、東青梅にある「夢の図書館 マイコン博物館・模型とラジオの博物館」にご一緒した。いまは5Gで大忙しの檜山氏なのだが。このタイミングで、PHSについてうかがっておかなければというわけだ。
ということで、2月17日(水)20:00~ Clubhouseでお話をうかがうことにした。ご興味のある方は、以下のルームをアクセスしてほしい。
【電脳夜話】PHSのことなら檜山竹生さんに聞くしかない! https://www.joinclubhouse.com/event/PAAgq18e
遠藤諭(えんどうさとし)
株式会社角川アスキー総合研究所 主席研究員。プログラマを経て1985年に株式会社アスキー入社。月刊アスキー編集長、株式会社アスキー取締役などを経て、2013年より現職。角川アスキー総研では、スマートフォンとネットの時代の人々のライフスタイルに関して、調査・コンサルティングを行っている。「AMSCLS」(LHAで全面的に使われている)や「親指ぴゅん」(親指シフトキーボードエミュレーター)などフリーソフトウェアの作者でもある。趣味は、カレーと錯視と文具作り。2018、2019年に日本基礎心理学会の「錯視・錯聴コンテスト」で2年連続入賞。著書に、『計算機屋かく戦えり』(アスキー)、『頭のいい人が変えた10の世界 NHK ITホワイトボックス』(共著、講談社)など。
Twitter:@hortense667Facebook:https://www.facebook.com/satoshi.endo.773
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