ユウキロックさんは、私がお会いしたことのある数少ない芸人さん(元・芸人さん?)の一人だ。アスキーのニコ生などで、何度かお世話になっている。
勢いがあって、爆発するようにしゃべりまくる、ちょっと悪ぶった漫才をする、芸人コンビ・ハリガネロックのユウキロックと違って、実際の彼は、まじめで礼儀正しく、繊細で気配りを欠かさない、とてもクレバーな印象を受ける人だ。
実は、芸人さんの書かれた著書をあまり読んだことがない。これまで、多くの芸人の方がベストセラーと言われる本を書かれてきたのは知っているが、テレビや舞台で喝采を浴びるほどの芸事ができて、しかも面白い本まで書けるなんて、活字を扱うことを生業としてきた編集者として、単純に嫉妬してしまうではないか。そんな私が彼の本に興味をもったのは、彼の芸と、素の顔に大きなギャップを感じたからだ。
そうして開いた本には、どちらかと言えば素に近い彼の人柄が記されていた。
『芸人迷子』は、著者ユウキロックが芸人として歩んだ半生を記した自叙伝だ。笑いの要素は、ほぼない。あるのは、試行錯誤と葛藤と迷走の日々。あれほどの人気を博した芸人に、これほどまでに迷いがあったとは、つゆほども思わなかった。
また、自伝、自叙伝としては構成がかなり凝っていて、中だるみすることなく、最後まで一気に読める。本書は、ハリガネロックの解散が発表された2014年から続く、有料メールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』に寄稿された連載の原稿を再構成し、大幅に加筆修正されたものだが、綴られた事象は時系列には並んでおらず、著者ユウキロックの心の葛藤を軸に、ときに過去へと思いを馳せ、また現在の心境へと戻り、そしてまた次の物語へと進んでいく。この構成の妙も、ユウキさんのもつ演出家としての手腕だ。つくづく才能がうらやましい。
この本は、世間的には、数々の賞レースを総なめにし、着実に実績を重ねてきた芸人コンビ・ハリガネロックが突如解散に至る、その真相に迫る本、との謳い文句で喧伝される本ということになる。だがそれ以前に、芸能の道に生きたひとりの男の物語という側面が非常に色濃く出ている。
この本には、多くの芸人仲間が実名で登場する。しかし、この物語は“俺”という徹底した一人称で綴られ、周囲の人々の思いは、あくまで彼の想像の域を出ずに描かれる。
それは、物語の序盤から中盤にかけてまで、この本の主題のひとつであるハリガネロック解散の真相に関わる最も重要な登場人物、大上邦博を、ただ“相方”とだけ表記していることからも読み取れる。これはハリガネロックの解散を描いた話ではなく、“俺”の物語なのだと主張している。
ライバルの背中を追いかけ、あがいてきた“俺”。後輩に自分の理想とする芸を見せつけられ立ち止まってしまった“俺”。先輩芸人から掛けられた言葉の真意を読み解こうとする“俺”。自己主張をしない相方の心情を図りかねていた“俺”。
徹底した“個”へのこだわりを貫くこの本は、著者ユウキロックの、告白であり、懺悔であり、彼を取り巻く数多の人々への謝辞を記した本なのだ。
とかく、漫才やコントを披露する芸人は、落語家や役者、古典芸能を受け継ぐ人々と比べ、軽んじられる傾向がある。総じて彼らは、阿呆を演じることで笑いを提供するエキスパートだからなのだが、その裏で、いかに阿呆を上手く演出するか、いかに客を惹きつけ、磨かれた阿呆の虜にするかを常に模索し続けている。本書に一貫して描かれているのは、“漫才は芸である”という事実と、その芸を磨き続ける人々への計り知れないリスペクト、そして自らもその道を、迷いながらも邁進した、というプライドだ。
かつて、ハリガネロックのファンだったという方なら、もちろん、彼らの解散の真の理由を知りたいと思うだろう。そういうふうに読んでも差し支えない。でも、この本を読み終えた私が思うのは、単にお笑いが好きで、普段からテレビのお笑い番組で、劇場で、彼らの話に腹を抱えてゲラゲラ笑っている、そんな人にこそ読んでほしい。この本を読み終えた後、きっと、今までよりもさらに多くの喝采を、彼らに贈りたくなるはずだから。
『芸人迷子』
ユウキロック(著)
扶桑社刊
定価:1404円(税込)
2016年12月8日発売
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1,404円
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