16連射。当時のファミコン少年たちに絶大な人気をほこった、高橋名人こと高橋利幸氏は今、MAGES.に所属するかたわら、ドキドキグルーヴワークスというゲーム関連会社を起業し、ベンチャーの代表取締役“名人”を務めている。起業の理由はお世話になったゲーム業界への恩返しと、若者のために仕事をつくることだと語る。
そんな高橋名人がゲストとして参加した、サムライインキュベートとさくらインターネットによるイベント“Startup Japan Tour 2015 in Kyoto”が、2015年8月2日に京都リサーチパークで行なわれた。基調講演では、高橋名人が自身のエピソードをスタートアップへのメッセージとして送った。
若いうちに失敗をしろ
「今の若者は失敗をしないことを前提に計画を立てる。若いうちは失敗しないとダメ、若いうちに失敗するから、失敗しない知恵がつく。小さな失敗はフォローしてくれる先輩がいる。考えなしはダメだが、失敗はどんどんすればいい。そうしないと、いつかどこかで大きな失敗をする」と、この日集まった若いスタートアップの経営者、また起業を目指している参加者たちに語った。
名人誕生のエピソード
PC向けソフトウェアを開発していたハドソンが初のサードパーティーとしてファミコンに参入したのが84年のこと。『ロードランナー』は130万本を超える大ヒットとなった。『バンゲリングベイ』は、社内的には非常に盛り上がったが失敗した。それ以外にも、社内が盛り上がるゲームはあったが、出してみると失敗。「第3者的に冷静でみる人が必要」と名人は語る。
転機が訪れたのは『チャンピオンシップロードランナー』、小学生には難しいゲームだった。「子供がどういう顔をしているか見てみたい」と、コロコロコミックとともに、全国60ヵ所のファミコンキャラバンを立ち上げた。ラジオ体操の先生みたいにデモンストレーターが必要だろうと、ハドソンのファミコン宣伝担当として、予算はまったくないなかで生まれたのが“高橋名人”だった。
全国60ヵ所、大勢の子供が参加する。怪我人が出たら中止なので、安全、確実にやるしかない。夏休みだけで3万人。大成功だった。
お母さんの前で生まれたゲームは1日1時間という標語
当時、各ゲームメーカーに名人がいた中、高橋名人がほかの名人と違った点は、「ゲームは1日1時間」という標語で、“お母さん”たちから受け入れられたのが大きかったという。子供はゲームにはまるのは当然、あとはお母さんにファミコンを捨てられるか、ACアダプターを隠されるか。誰もが経験したことがあるだろう。
キャラバンでは子供の後ろにその母親たちが並んでいた。その中で、「ゲームは1日1時間と言ったら、お母さん方がうんうんとうなずいていた」。しかし、ゲームメーカーとして、ゲームで遊ぶなというのはなんたることか。役員会で議題にあがったが、これはメーカーとして、子供たちへのメッセージとして言っていこうと、ハドソンが決めてくれた。ゲームばかりではなく、外でも遊ぶ、勉強もすると高橋名人が言うと、お母さんを味方につけたことにより逆にゲームを買ってもらえるようになった。
「ゲームは一日一時間」
「外で遊ぼう元気良く」
「僕らの仕事はもちろん勉強」
「成績上がればゲームも楽しい」
「僕らは未来の社会人!」
以上のメッセージを子供たちに発信していった。
今だ衰えぬ連射の腕と、眼力がすごい
基調講演では、代名詞ともいえる“連射”のデモンストレーションが行なわれた。27歳の時にたてた10秒間174回の最高記録から、56歳になり、今は12連射ほどだという。それでも高橋名人はすごい!という姿を来場者の前で披露。高橋名人への挑戦者として、2名が参加したのだが、連射をしている横で高橋名人が「80くらい」というと、ぴったり80回、「100くらい」というと102回でぴったりと言い当てた。これには会場にどよめきが巻き起こった。
そして自身も124回で、1秒間に12連射と未だに衰えぬ腕と眼力を見せてくれた。今はふり幅が4ミリくらい空いているが、当時はふり幅が1ミリか2ミリで反発して当てていたという。
筆者も含めて、ファミコン世代には感涙ものの話とデモだったが、若いスタートアップ世代また起業者、これから起業を目指すこの日集まった方々でも、高橋名人の経験から得ることが多かったのではないだろうか。ファミコンが生まれた任天堂の地・京都にて最高の基調講演だった。
■関連サイト
Startup Japan Tour 2015
週刊アスキーの最新情報を購読しよう
本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります