ノキアは2015年5月12日に創業150周年を迎えました。スマホや携帯電話で世界市場のトップに立っていた同社ですが、現在はネットワーク・インフラ系の会社へ転身しています。とはいえ、こっそり自社ブランドタブレットを出したりと、同社とスマホのつながりはまだ完全には切れていません。
製紙会社からゴム会社、そして家電へと事業を拡大した同社の150年の歩みは、YouTubeに公式ビデオが公開されていますのでぜひチェックしてください。
↑ノキアのスマホの全OSをさかのぼる。 |
同社のビジネス形態はこの150年の間に大きく変化しましたが、やはり我々にとってノキア=スマホメーカー、という図式はなかなか離れないもの。そこでノキアのスマホの歴史を振り返ってみることにしましょう。
↑最初はこれから始まった。あの『HP200LX』とノキアが合体。 |
スマホの起源は諸説ありますが、その基をたどればPDAと呼ばれた手のひらサイズの小型端末にたどり着きます。その中でもHPが1990年代に発売した『HP95LX』『HP100LX』『HP200LX』は日本でも熱狂的なファンを生み出しました。PCカードモデムを装着したり、赤外線通信で携帯電話を繋ぎネットアクセスできるなどどこでもモバイル可能な製品だったのです。ちなみに、HP200LXの日本語マニュアルは現在もHPのウェブサイトからダウンロードできます。当時の雰囲気を楽しみたい人はネットで検索してみてください。さて、この200LXを常時ネットアクセスできる端末にしたい、と考えHPとノキアがコラボしたのがこの『HP OmniGo 700LX』です。
↑ノキアと合体してスマホ化する。 |
HP OmniGo 700LXはHP200LXの背面に当時のノキアのベストセラー携帯電話『Nokia2110』を装着できるスロットを搭載。両者を合体させることで、700LXのDOSコマンドを使ってダイヤルアップで通信することを可能にした製品でした。このセットさえ持っていれば普段は単体のPDA、携帯電話としても使え、いざとなれば飛行場や出張先からメールがチェックできるという夢のような製品だったのです。とはいえ、当時の通信代や通信回線速度を考えると購入層はあまり多くはなかったようです。
↑ビジネスパーソン必須のコミュニケーターの誕生。 |
HP OmniGo 700LXのビジネス需要の高さに気をよくしたのか、ノキアは単独で携帯電話にPDA機能を搭載した製品を1996年に発表します。それが『Nokia 9000 Communicator』。閉じた状態では大型の携帯電話ですが、横から開くと640×200ピクセルのグレースケールディスプレーとQWERTYキーボードが現れます。アプリはSMS、FAX、ブラウザー、カレンダーなどで、これ1台でどんな場所でも仕事をこなせる夢のようなマシンだったのです。ノキアとしてのスマホの歴史は、このNokia 9000から始まったと言えるわけです。なお、OSはGEOS、HPも200LXの後継機に採用しましたがそちらはフェードアウトしてしまったのに対し、ノキアは数年このOSを使い続けました。
↑Symiban化を果たしたコミュニケーター。 |
2000年に登場した『Nokia 9210 Communicator』はディスプレーがカラーとなり、OSもSymbian化されてアプリの追加が可能になりました。なおSymbian OSのバージョンは『S80』でのちに日本で発売されたノキアに搭載の『S60』とは若干仕様が異なります。このNokia 9210はカメラがないため、発売当初は乾電池駆動の赤外線内蔵デジカメがセット販売されました。パケット通信(GPRS)がまだメジャーではなく回線交換通信しかできなかったのが難点で、赤外線を使ってほかのノキア携帯電話とGPRS通信できる“Extended Internet”というサードパーティーアプリに助けられました。しかし、このアプリ、起動方法を間違えると本体が動かなくなり工場出荷状態に戻さなくてはならなかった……。なんてのも今となっては懐かしい思い出です。
↑ノキア王国を築き上げたSymbian S60の登場。 |
日本ではiモードの登場以降、ケータイアプリが人気となりキャリアの収益を大幅に引き上げました。海外ではそれに対抗するWAPが登場したもののブームにはならず。そこでノキアは携帯電話でアプリを自由にインストールし動かせる端末を開発、それが2002年発売の『Nokia 7650』です。OSはSymbian S60(当時はSeries60)を採用、ネイティブアプリが動く今のスマホの元祖ともいえる製品です。当時としてはカラー画面も珍しく、ノキア=最新製品を積極的に出すメーカー、というポジショニングを確固たるものにしたものでした。なお、写真は『Nokia 6600』。Nokia7650の実質的な後継機であり、世界中で1500万台を売った今で言えばiPhoneのような存在。ノキアの日本人開発者(当時)加賀美淳一氏が手がけた点も見逃せません。
↑ノキアのタッチパネルスマホは2004年に登場してた。 |
Nokia 9210のS80、Nokia 7650以降のS60でSymbian帝国を築き上げたノキア。次に目指したのはタッチパネル搭載型スマホでした。新たにSymbian S90を開発、それを搭載したモデルには“Nokia 7700シリーズ”の名前が付与されました。付属のスタイラスペンで手書き入力も可能でしたが、圧倒的人気のS60とのアプリの互換性がないことや、通信回線が2.5Gと遅いことからウェブの利用も実用的ではないなど、2004年の『Nokia 7710』1機種のみの発売に留まってしまいました。なお、写真は製品化されなかった最初のS90モデル『Nokia 7700』。今見ても斬新なデザインです。
↑脱Symbianを目指したMaemo OSタブレット。 |
『Nokia 770 internet tablet』はノキアとしては珍しく携帯電話機能を持たないWiFi端末。OSにはMaemoを採用し、4.13インチのディスプレイは800×480ピクセルと解像度が高く次世代のネットデバイスとして登場。もちろんこのときはまだiPhoneは登場しておらず、ノキアがモバイル業界の未来を試行錯誤しながら切り開いていた時代でした。ノキアはスマホOSをSymbianからMaemoへ移行しようと考えていたのでしょう。ですが、Symbianが売れすぎてしまい、方向転換を行うタイミングを失ってしまったのではないかと想像しています。
↑Symbian S60もようやくタッチパネル化。 |
ノキアのシェアは市場では40%を越し、スマホOSでも過半数以上に達するなど、ノキアの天下は永遠に続くものかと見られていました。ところが、2007年にiPhoneが登場。従来の携帯電話、スマホとはまったく異なる新しいユーザー体験から一躍人気製品となります。ノキアも対抗機種を開発するものの、静電式タッチパネルの供給が間に合わず感圧式タッチパネルを搭載した『Nokia 5800』を2008年冬に発売。しかし操作感はiPhoneには敵わず、またアプリ開発者はマネタイズが容易なiPhoneへと流れ込みノキアへは戻ってこなかったのです。ノキアは立て続けに写真の『Nokia N97』を投入、スライドしてキーボードが現れるタッチ+キーボード入力が売りのフラッグシップモデルで一定の売り上げを記録したものの、iPhoneの牙城を崩すには至りませんでした。
↑インテルとの協業も不調に終わる。 |
2010年2月にはインテルのMoblinとノキアのMaemoを統合した、MeeGo OSを発表します。両者の協業はフルインターネットが利用できる高速通信可能な新世代スマホの登場を可能にし、iPhoneのみならずシェアを伸ばし始めてきたAndroidへも対抗できる、第三勢力となる予定でした。PCメーカーの参入も期待され、もしMeeGoが成功していたら今頃ASUSのZenFoneはMeeGo端末だったかもしれません。ところがノキア以外のメーカーの参入は結局なく、ノキアも前年発売の『N900』と、2010年に写真の『N9』を発表するに終わりました。すでにこの時代、業界を動かしているのはアップルであり、ノキアとインテルが組んでもその流れを変えることはできなかったのです。
↑ノキアとマイクロソフトが提携!逆襲を始める。 |
何をやっても突破口が見えないノキアは、翌年マイクロソフトとの提携を電撃的に発表しました。Symbian vs. Windows Mobileで以前はライバル関係にあったマイクロソフトと組み、Symbianを捨てWindows Phoneへとかじ取りを変更することにしたのです。Symbianからの脱却には反対の声が多く聞かれましたが、もうSymbianでは、iOSとAndroid OSに太刀打ちできないことは明白であり、この選択は唯一残されたものだったと言えるでしょう。そしてこの提携がのちのマイクロソフトによる買収に繋がっていったのです。初代Lumiaは2011年秋発売の『Lumia 800』。年明けには画面を大型化した写真の『Lumia 900』を投入、カラフルなボディーはほかのスマホにはない斬新なものでした。
↑ノキアもこっそりAndroidを発売。 |
マイクロソフトと提携後はSymbian OSをコンサル企業のアクセンチュアへ売却し、Windows Phoneとフィーチャーフォンに特化した戦略を取っていきます。Windows Phoneのマーケットシェアはなかなか上がらないながらも、イタリアなどでは販売が好調。また新興国でもエントリーモデルの『Lumia 520』が売れるなど少しずつ存在感を表していきます。そんな中、2014年2月には突如ノキアブランドのAndroidスマホ『Nokia X』シリーズが発表されました。低価格端末でマイクロソフトのサービスの利用を促すという目的で中国メーカーの低価格Androidに対抗する製品となることを期待した製品でしたが、結局はその役割もLumiaでカバーすることになり3機種で終了してしまいました。
↑2014年12月に最後のNokia Lumiaが登場。 |
そして、マイクロソフトは2014年4月にノキアの端末部門を買収。ノキアの携帯電話、スマホの歴史に終止符が打たれました。なお、ノキアブランドのスマホは2014年中も登場し続け、9月には『Lumia 730』、『Lumia 830』などを発売、そして12月の『Lumia 638』が最後のモデルとなりました。すでにマイクロソフトブランド初の『Lumia 535』が11月に登場、2015年に入ってからは積極的な新製品の投入が展開されています。今後ノキアの名前はフィーチャーフォンに残るだけとなりますがそれもいつまで続くかは不明です。
↑ノキアはスマホに関わり続けていく。 |
ノキアは今、5Gを見据えたインフラ関連メーカーとしてエリクソンやファーウェイと競っています。端末部門は売却したものの、スマホには不可欠なネットワークのフィールドで市場をけん引しているのです。今後ノキアブランドのスマホが再登場するのかはわかりません。しかし、スマホがスマホと呼ばれなくなる未来のいつか、きっと何らかのかたちで製品を再び出してくれるのではないかと期待しています。
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