小野ほりでい
『オモコロ』や『トゥギャッチ』などのサイトでイラスト入りのコラムを連載中。特に『トゥギャッチ』の連載に登場するエリコちゃんとミカ先輩はネットの人気者。
予定を立てるのが苦手だ。苦手だというか、立てたことがないし、守ったこともない。未来が確定してしまうのが嫌だからだ。私の毎日は漠然としていてほしいし、今日やろうと思っていたことをいつでもやめられ、やるつもりのなかったことをいつでも唐突に始められるようであってほしい、と思っている。しかし、その願望とはうらはらに、予定を立てないということがいかに私自身を縛っているかということを痛感している。
例えば、立派な社会の人は何月何日にこれをして、次の日にこれをして、その次の日は休みにしよう、と予定を立てる。ちゃんと予定を立てて、そのとおりに動いた結果、誰にも咎められず大手を振って休める日ができる。その日には事前に人と約束してもいいし、思い切って遠出してもいいし、趣味に打ち込んでもいい。有意義に休めば、また次の仕事も捗るというものだ。しかし、私は予定を立てない。「自分が何かをしなければならない」という事実をギリギリまで認めたくないからだ。だからだいたい「この週にこれとこれができていればいいな」と漠然と把握しているだけである。そして、漠然と把握している程度で重い腰が上がるはずもなく、常に「もうできていないといけないはずのものが二、三できていない」という状態で過ごしている。それで何にも悪びれずに過ごせるなら良いのだが、小心者だからいつもどこかに後ろ暗い気持ちがある。
後ろ暗い気持ちは常に私の肩口あたりに控え、私が何か楽しげな予定に誘われたり、あるいは気になる映画を見つけて観に行こうかと思い立ったりすると「お前に何かを楽しむ権利があるのか?」と釘を刺す。結果的に、私は後ろ暗い気持ちを刺激しない、毒にも薬にもならないようなくだらないこと、ネット記事を見たり、惰眠を貪ったり、の繰り返しで時間を浪費し、一日が終わった頃にあんなこともできた、こんなこともできたと後悔するのだ。どうしてこんな愚かなことをするのか自分でも不思議になる。
そうして最近になってようやく気付いたのは、賢い人たちが予定を立てるのは未来を縛るためではなく、縛られた時間を明確に把握することでむしろそうでない時間の自由を確保するためだったということだ。そんなこと誰も教えてくれなかったし、教わっても意味が分からなかっただろうが、悔やんでも悔やみきれない。もしあなたに与えられた時間が砂のように砕け散っていくことが憂鬱なら「予定を立てる」ということを試してみてはどうだろう。きわめて困難だが、不可能ではないはずだ。
※本記事は週刊アスキー4/21号(4月7日発売)の記事を転載したものです。
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