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小野ほりでいの暮らせない手帖|文化欠乏症という病

2015年03月19日 08時00分更新

文● 小野ほりでい(イラストも筆者) 編集●ヨシダ記者

小野ほりでい
『オモコロ』や『トゥギャッチ』などのサイトでイラスト入りのコラムを連載中。特に『トゥギャッチ』の連載に登場するエリコちゃんとミカ先輩はネットの人気者。

小野ほりでいの暮らせない手帖


 もし文化欠乏症という病気があるのなら私はそれに罹かっている。約10平方メートル。憲法で保障されている健康で文化的な生活とは程遠く殺風景な私の部屋は、趣味や教養といった概念のいっさいを拒否せんと白い壁で私を覆い、多様な人間の暮らす大都会東京に文化的真空をなし、中に鎮座する私を窒息せしめんとしている。私は出先から帰宅し、鍵を開けている最中にあまりの頻度で「なぜここに帰ってくる必要があるのか」という疑念にかられるため、最近では外出を控えるようにしている。

 たとえばこの原稿を書くにしても、白い画面に向かってから最初の一文字を書き始めるのに私は半日以上を要している。何故そんなにかかるのかというと、何をしようにも「まだ何かが足りない気がする」という漠然とした不安に襲われ、ネットを覗いたり、ものを食べてみたり、寝っ転がってみたり、心の隙間を埋めようと躍起になるからだが、このプロセスが私に満足をもたらしたことが一度もないのは言うまでもない。結局、締め切りの直前になって半泣きで白紙を埋め始めるのが毎度のオチである。私はこれが己の人生の縮図とならないことを切に願っている。

 さて、私たちは生きるために金を稼がなければならない。しかし金を稼ぐという行為には必ずストレスがついて回る。生きるために我慢して、したくもないことをしているのに怒られる。そのストレスを解消するためにどうするのかというと、金を遣うしかないのである。この道理は「金によって発生したストレスは金によって解決されなければならない」という半ば願望じみたものでできているが、他に手段がないため多くの人によって採用されている。経済というのはこのマッチポンプによって支えられているのだろう。

 私は生活によって発生するこの埋めがたい心の真空を埋めるものがあると仮定してそれを「文化」と呼んでいるが、今のところその実物にお目にかかったことはない。多くの人がそうするように、意味のないものに金をかけたり、暴力的な時間の使い方をして一時しのぎするのが精一杯である。どんなに素晴らしい映画を見ても、人生観が変わるような本を読んだとしても、二週間後には掃き溜めのような部屋で元の腐った生活をしている自負が私にはあるのだ。

 この文化を隔てるベルリンの壁とも言うべき自宅の白壁を破壊する爆弾として、私は最近レコードを集め始めた。針を置いて回すと音が鳴るあの円盤である。そこに「音の温かみが」とか「アナログの味が」などという正当な理由は何もなく、とにかく「立派な趣味っぽいから」という軽薄な動機である。今の私はとにかく浪費の矛先と、これが自分の趣味だというだけで他人を攻撃できるほどの説得力が欲しいのだ。数えてみたら、もう10枚以上集まっているようである。しかし、まだ肝心のレコードプレイヤーを持っていない。聴いたことがないのでこれが好きかどうかも分からないし、今のところどっちかというと邪魔である。とにかくデカい。だが、それがアナログの味なのだ。

 


※本記事は週刊アスキー3/17号(3月3日発売)の記事を転載したものです。

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