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ドワンゴ戀塚昭彦氏とWinny弁護団の壇俊光氏 特別寄稿:金子勇氏 追悼文

2013年07月11日 19時30分更新

追悼:Winny作者の天才プログラマー 金子勇氏

 いわゆるWinny裁判で金子勇さんの弁護を担当した壇俊光弁護士と、10年来の交友のあったドワンゴニコニコ事業本部の戀塚昭彦氏から追悼文をいただきました。順不同で紹介します。
 金子勇さんの告別式は7月11日午前、都内の斎場でしめやかに営まれました。

■Winny裁判の弁護団事務局長をつとめた壇俊光弁護士

追悼:Winny作者の天才プログラマー 金子勇氏
納豆ミサイル=超時空要塞マクロスのミサイルのこと。金子氏の暇プロ作品として有名な『NekoFlight』は、'90年代の非力なグラフィック性能のPCで、これを3D処理で再現するフライトシミュレーターだった。

『約束』

 私にとって、金子さんは、世間が言うような天才プログラマーというよりも、納豆ミサイルに憧れてプログラムしていると、何故か戦闘機が宇宙に飛び出してしまった人。プログラムが好きで、好きで、自分が著作権法違反幇助に問われている法廷でもパソコン持ったら手が止まらない。「いやー、でも、せっかくだからこうしたほうが格好いいから」……本当のプログラム馬鹿でした。

 普段の金子さんは、意外におしゃべりで、でも、社会に疎くて、争いごとが嫌いで、その割には変に頑固で、いつも言葉足らずで、誤解されやすくて、傷つきやすくて、照れ屋で、女の子の目を見て話をすることもできなくて、昆虫のように甘い物には目が無くて、亡き母のことを話すときは少し寂しそうな顔になって…。私にとって、プログラム小僧がそのまま大きくなったような彼がいるのがうれしくて、彼のためだからこそ、厳しいWinny事件を戦い抜くことができたのだと思います。

 最初の公判が始まる前、私は、金子さんに「私は、金子さんのために、自分の人生の5年間を使うので、金子さんはこれから日本で生まれてくる技術者の為に、残りの人生を使って欲しい」と言いました。私は、無罪まで7年半かかりましたが、彼は、約束を守ってくれていました。あまりにも短い間でしたが。

 金子さん、そちらも暇でしょうから、今度こそ自由に、好きな暇プロをつくってください。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

■エンジニア仲間のドワンゴニコニコ事業本部、戀塚昭彦氏

追悼:Winny作者の天才プログラマー 金子勇氏

 私は金子さんを、今から十数年前、3D CGに関連する技術について議論する“Bio_100% 3D野郎掲示板”で知った。それ以来関連した集まりで時々見かけるが、もっぱら掲示板や作品ウェブサイトで知る関係だった。

 そして2004年に突然Winnyの開発者として彼が報道され、まだ繋がりのあった元“3D野郎”たちの間を情報が駆け巡ったのを覚えている。

 彼が保釈されてからは裁判に不利にならないようにとネット活動が制限されているということで、「リアル」で集まる交流が始まった。

 彼は“Winnyの人”だし、私は2001年の“2ちゃんねる転送量危機”に匿名の技術協力をしていて、お互い2ちゃんネタになるなぁ、みたいな会話をしたのを覚えている。

 その後彼は株式会社SkeedでP2Pベースで動画配信に使える技術開発を行い、私は株式会社ドワンゴでニコニコ動画を開発してサーバーベースの動画配信をするなど、微妙にライバル的なことをしつつ、会ってやることはネットの話題や、新しいガジェットの話だった。

 その集まりは2012年末、新しい職場が決まったので、仕事が落ち着いたらまた集まろうといって休止したところだった。

 まさかそれが最後になるとは……。

 

 

 故人のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげますと共に、心からご冥福をお祈りいたします。

●関連リンク
NekoFlight

 

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