マウスを発明した、ダグラス・エンゲルバート氏が7月2日に88歳で逝去した。マウスやハイパーテキストなどPCインターフェースに数多く関与し、現在のICTの基礎を築いた。
↑世界初のマウス。ダグラス・エンゲルバート氏が、1963年に発明。マウスのデモが行なわれた1986年が、マウス誕生の年とされている。 |
マウスにより、人々はパソコンのスクリーン上を空間的に認識し、直感的な操作が可能になった。今に至るパソコンやテクノロジーの普及に大いに貢献したことは言うまでもない。また、多くある、マウスを扱う周辺機器メーカーには、マウスの存在自体がビジネスの貴重となっている。
周辺機器でおなじみのメーカー、ロジクールは、1981年にスイスでLogitech International S.Aを創立、マウスから事業を発展させた。米Logitechでは、事業の根幹となったマウス発明の偉業への感謝をこめて、ダグラス・エンゲルバート氏に専用のオフィスを設けていたという。
ロジクールはグローバルに最先端のマウスの開発、販売を手がける。写真はトラックボールマウス『Logicool Wireless Trackball M570』と、マルチジェスチャーナビゲーションマウス『タッチマウス t620』。 |
以下、米Logitechに2006年から2010年勤務をした米Logitech元社員の山本奈緒美氏の、ダグラス・エンゲルバート氏の思い出をつづった寄稿を掲載する。
米Logitech社内にはダグ(ダグラス・エンゲルバート氏の愛称)が発明したマウスがLogitechビジネスの成長に大きく貢献しているという感謝と敬意の気持ちをこめて、専用のオフィスが設けられていた。私が米Logitechに勤務していたのは、2006年から2010年のことだが、ダグが出勤する光景をよく見かけた。ダグのクルマは古いセダンで、マウスという、世界中の人がパソコンを扱うときに当たり前に用いる、偉大なデバイスを発明した人物にしては、素朴なクルマであった。
ダグのオフィスには、数多くの本やコンピューターがあったが、使用しているマウスは最新のものではなかった。当時Logitechは様々な最新の機能やセンサーを搭載したマウスを発売しており、ダグの手元にもあったが、なぜかケーブル付きのオプティカルマウスを使用していた。ダグがマウスを開発したのは1961年。開発からすでに40年以上経過していたマウスは過去のデバイスとして、ダグはすでに次世代を担う新たなモノに関心を示していた。それでもLogitechのプロダクトマーケティング担当者は、新しい製品が完成するとマウスの父であるダグのオフィスへ持ち込んでは彼からのコメントをもらい、製品開発の大きな励みにしていた。
ダグには子供と孫がいる。私はダグのオフィスに時々訪れいろんな話をきいたが、一番思い出に残っているのは、彼と子や孫との思い出話だ。ダグがマウスの発明の発想を得たのは、子供の様子を見ているときだった。子供がテーブルの上にあるキャンディーに手を伸ばしてとるように、コンピューターのデスクトップにあるものに手を伸ばしたい。その考えをきっかけに、木でできた正方形マウスが初めて完成した。
「昔、コンピューターはある一部の人たちだけが使いこなせるものだった。しかし、コンピューターは万人が簡単に、そして便利に触れるようなものであるべきだ」と、ダグが語ったように、ダグが開発したマウスによってコンピューターは飛躍的に身近なものになったのではないだろうか。ダグはいつも子供や孫との対話の中でいろんなことを思いつき、具現化してきた。“子供でも使える”ものをつくるという考えは、ダグの発想の根幹であり、同時にモノづくりの原点だと思える。
ダグの誕生パーティーは、毎年スタンフォード大学で行なわれていた。81歳のときのパーティーは私も参加させてもらい、印象深い思い出として残っている。81本のろうそくが並ぶバースデーケーキはまさしく圧巻の大きさだった。ダグは目の前に置かれたケーキのろうそくをとても幸せそうに吹き消した。偉大なる発明家のダグが、かわいらしくも堂々したバースデーケーキをおいしそうに食べている姿が目に焼き付いている。
(山本奈緒美)
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