週刊アスキー

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マウスを発明した現代ICTの立役者:追悼ダグラス・エンゲルバート(前編)by 林信行

2013年07月04日 18時30分更新

 ダグラス・エンゲルバートが88歳で亡くなった。マウスやハイパーテキストなどPCインタフェースに数多く関与し、現在のICTの基礎を築いた方だ。彼の追悼企画として、以前月刊アスキーに掲載されたロングインタビューを紹介する。まずはインタビュアーの林信行からのコメントから。

 幸運にも15年前の1998年に一度、帝国ホテルでにダグラス・エンゲルバート博士をインタビューする機会を頂いた。
 その後、スティーブ・ジョブズの講演後、舞台の袖で一度話しをする機会があり、1999年のインタビューで聞いたBootstrapの活動のその後について話したことがある。
 博士は、これから先の未来、社会の中枢はどうあるべきか、人々の働き方(おもに共同作業)はどうあるべきかについて、裏打ちされた強い信念を持たれている方だった。
 1968年のあまりにも有名なDEMOで初披露され、その後、氏が実生活でも使っていたoNLine System(NLS)の一部のしくみは今日、21世紀のIT機器より進んでいる側面もある。MacやWindowsがゼロックスのパロ・アルト研究所の成果を真似たものとも言われるが、エンゲルバート博士のデモは、そのパロ・アルト研究所を始め、今日のIT業界をつくってきた先人達に無視できない多大な影響を与えてきた。
 インターネットには1968年のデモの映像を始め、氏の英文インタビューなど、貴重な史料がたくさんある。これはITに関わる人達が改めて振り返るべき貴重な財産だと思う。この機会に読み返してみたいと思う。
 と同時に、ほんのわずかな貢献ではあるが、1998年に私が行なったインタビューの記事も、広めるべき史料のひとつとして、ここで改めて共有したい。 2013年7月4日 林信行

ダグラス・エンゲルバート
ダグラス・エンゲルバート博士
ハイパーメディア、アウトラインプロセッシング、スクリーン編集など今日のコンピュータ利用の基礎を数々発明。'98年5月にはチューリング賞(コンピュータサイエンス分野でのノーベル賞と言われる)を受賞し、9月には米国発明協会の殿堂入りを果たした。中でもマウスの発明で有名だが、この発明は政府の資金で運営されていたプロジェクトの一貫だったために特許料は受けていない。現在は知の共同体を実現する組織、Bootstrap Allianceの創始者兼理事として、なお精力的な活動を続けている。

(以下のインタビュー記事は、月刊アスキー1999年1月号に掲載されたもので、掲載時の文章をそのまま転載しています)

 今から30年前、サンフランシスコで90分間におよぶ歴史的なプレゼンテーションが行なわれた。このプレゼンテーションでは、今や誰もが当たり前に使っているマウス、マルチウィンドウシステム、スクリーン編集、情報がリンクするハイパーメディア、 アウトラインプロセッシングといった技術を採用したNLS(oNLine System)というシステムが紹介された。
 「未来にタイムスリップしたよう」なこのデモは、多くの人に強い影響を与えた。デモを行なったのは、最近では簡単に「マウスの発明者」として紹介されることが多いダグラス・エンゲルバート博士だ。
 '98年12月9日、スタンフォード大学ではこの歴史的プレゼンテーションの30周年を祝い「Engelbart's Unfinished Revolution(エンゲルバートの未完の革命)」と題したイベントが開催された。本誌ではイベント直前に来日した博士にインタビューした。

■コンピュータの進化は遅すぎた

―― 開催前ではありますが、「Unfinished Revolution」の内容について教えてください。

Engelbart(以下、E) この企画はもともと、未来学者のポール・サッフォとスタンフォード大学図書館の館長、テクノロジーの歴史を教えるテンレン・マッフー教授の3人の間から出てきたんだ。ポールはマウス登場から30年たったことで、世間の人々が「エンゲルバートも、マウスもすでに歴史の一部」と思うことを心配していた。1968年の私のプレゼンテーションで重要なのはその「ビジョン(展望)」であり、それは未だに実現していない。このビジョンが今なお健在であることを人々に知ってほしいと願っていた。
 この1日がかりのイベントでは、まず'68年のプレゼンテーションを振り返り、どうやってそこに至ったか、そしてこれから先の未来はどうなるかを討論する。

―― この30年間のコンピュータの歴史であなたが予想しなかったことはありますか?

E 予想外だったのは、進化のスピードが思っていたよりもずっと遅かったことだ。

―― いったい何が問題だったのでしょう?

E グラフィカル・ユーザー・インターフェイス(GUI)とWYSIWYG、この2つが、進化の足かせとなっていた気がする。
 GUIは確かにコンピュータ初心者にはとっつきやすい。だが、実際にそれを使ってできる操作は限られていて、気が利かないことが多い。もし簡単で自然なインターフェイスがいいというのなら、人は大人になっても自転車でなく三輪車に乗っているだろう。
 いっぽうのWYSIWYGは、コンピュータ革命以前の過去の書類体裁を模倣しているだけだ。我々が昔WYSIWYGを勧めたのは、それがいざ書類を印刷する時に便利だからに過ぎない。だが、これからの時代、印刷することが果たしてどれほど重要だろう。コンピュータを使えば、もっと違った書類の見方や使い方ができる。たとえば各段落の最初の行だけを表示させるといった具合にだ。
 さらに、最近は聞かなくなったが、オフィスオートメーションという言葉がもてはやされた時期があった。これは、とにかく現在の作業方法を自動化しようという考え方で、私が重要性を説いてきたオーグメンテーション(*注1)とはまったく相反する発想だった。私は人々がうまく協力しながら作業することが重要だと思う。コンピュータ技術を導入し、新しい作業の手法、新しい慣習を生み出しながら、作業そのものも高めようと考えてきた。

■マウス誕生秘話

―― ところで、あなたの最大の発明品、「マウス」はどのようにして生み出されたのでしょうか?

E かなり昔、あるコンファレンスでコンピュータグラフィックスを作ろうという話が出た。だがこれをうまくインタラクティブに操作する方法が分からなかった。コンピュータをインタラクティブに使う方法についてはそれまでも思案していたことだったんだが、行き詰まって落書きをしながら、工学科の大学生だった頃のことを思い出したんだ。
 当事、研究室で私は複雑なカーブを持つ図形の面積を割り出さなければならなかった。そのとき教授にプラネメターという機械を教えてもらった。複数のアームが接合された機械で、接合部には回転盤があった。アームの先で図形をなぞって回転盤の数字に掛け算をすると面積が分かるという装置だ。大変興味をそそられて教授にその仕組みを聞いたところ、彼はそれぞれの滑車が特定方向の動きの分だけ回転すると教えてくれた。
 はたと我に返り、2つの回転盤の角度を工夫すればCGの入力装置に応用できると気付いたというわけだ。私は急いでアイディアを書き留めてこの装置を開発した。

マウス
ダグラス・エンゲルバートが開発した世界最初のマウス。底面には現在のマウスのようなボールはなく、代わりに垂直に向き合うふたつの車輪がついていた。

 それから2~3年後、さまざまなCG用入力装置を検証するという実験が行なわれた。ワークステーションの上の3点に「X」が表示され、被験者がそれぞれの入力装置でこの「X」にポインタを動かしスペースバーを押すと、位置あわせにかかった時間や正確さが分かるというテストだった。私の装置は他のすべての装置に打ち勝った。右利きであろうと左利きであろうと使えるというメリットもあったし、ライトペンのようにわざわざ持ち上げて画面まで持っていくという手間もなかったからね。それ以来、私のまわりの人々は皆、この装置を使うようになった。
 この装置がいつの間にか「マウス」と呼ばれるようになったが、いつ、誰が名付けたのか覚えていないよ。いずれ人々がコンピュータをインタラクティブに使うような時代になれば、誰かがもっと威厳のある名前を考えついてくれるだろうと思っていたんだけど。

―― 当事、ライトペンはあったんですか?

E すでにライトペンもあったし、トラックボールもあった。

―― マウスのほかにもポインティング装置のアイデアはあったのですか?

E いくつかあった。1つは、ポインタのついたバンドを頭に巻き付けて、首を動かして位置を指定するもので、我々は「ノーズ(鼻)・ポインタ」と呼んでいた。それから、車を運転していて、アクセルやブレーキのようなペダルを使う装置も考えたし、膝を上下左右に動かして位置を指定する装置も考えていたんだが、この装置を長く使うと足がつってしまうことに気が付いたんだ(笑)。
 だが、「ハンド・マウス」を開発してみるとこれがあまりにもいい出来だったので、ほかの装置の開発はやめてしまった。もっとも、頭にくくりつけるポインタは現在、からだの不自由なかた向けとして応用されているようだね。とにかく、コンピュータとインタラクションをするためのあらゆる装置を検証したよ。
 そういえばキーが5つのキーボードも開発した。それぞれのキーが5本の指に対応していて、複数キーを組み合わせて同時に押すことで多彩な文字の入力を実現していた。文字入力だけじゃなく、いろいろな機能も持たせて、あるキーを押すとコピー、別のキーを押すと消去といった操作に切り替わり、ほかのキーの組み合わせで単語、段落といった選択範囲の指定ができた。いちいちマウスカーソルをあわせて選択するよりも正確でてっとり早い方法だった。今日のパソコンよりも迅速に操作ができていたと信じている。

ダグラス・エンゲルバート


■知識のネットワーク化の追求はARPAで始まった

―― マウスが登場したNLSのプレゼンテーションで、もう1つ重要だったのが「知の共有」だったと思うのですが。こうした試みはいつ頃から始められたのでしょう。

E 1967年に、私は13人いたARPA(*注2)の研究員の1人になった。研究員1人1人がタイムシェアリングをしたコンピュータを任されていたんだが、当事、タイムシェアリングはまだ新しく、これが果たして実用になるかといったことも調査の対象になっていた。我々は半年ごとに集められ、お互いの成果を発表した。
 1967年の春、ミシガン大学で、2人の研究員がコンピュータのネットワーク化の実験をしたいという話を持ち出したときには、私はその話に大変興味をそそられた。だが、ネットワーク実験に参加することでシステムが複雑になり、研究の進展の妨げになると恐れている研究員も多く、ネットワーク実験に対する抵抗感が広がりつつあった。
 「(相互接続したところで)君のコンピュータにぼくの得になりそうなリソースはあるのかい?」当時、こんな会話がよく聞かれた。するともう1人が「なんだ、俺の報告書を読んでいないのか?」と返すのだ。彼らは皆、立派な研究員だが、人の報告書なんて読んではいない。だがそう言われて探っていくうちに、相手も優秀だと気付き、「報告書のコピーを送ってくれ」という話になる。
 そのうち、何人かの研究員が先の2人にこう言い出した。「ネットワーク化すればコンピュータ上にどういったリソース(情報)があるか分かるのか?」
 そもそもコンピュータの相互接続は、プログラムなどのコンピュータリソースを共有するためのものだと考えられていたから、2人はそんな需要があるとは予想しておらず困惑していた。だがそれこそ、私にとってはチャンスだった。当時、私はコンピュータを使った知識のマネージメントを研究している唯一の研究員だったからね。
 私はネットワークの上に全ユーザーの知識が集結したコミュニティを作りだそうと提案した。「どんなリソースがあって、それをどう使ったらいいかといった情報を交換できる場をネットワーク上に作ろうじゃないか」という誘いに、皆、一同に賛成した。まあ、もっとも後になって、研究員であるはずの彼らが日頃の研究に加えて、この情報センターというコミュニティの運営までしなければならなくなったことに気付き、憤慨するんだが……。とにかくこうして私は、ネットワークを使った知の共有という考えの実践を始めた。
 今では何百万というコンピュータがつながっているインターネットだが、この提案のおかげで私のコンピュータはインターネットにつながった2つ目のノードとなった。言い換えれば私のコンピュータの接続で、初めてインターネットワークが登場したともいえるわけなんだ。

ダグラス・エンゲルバート


■現在はBootstrap Allianceで知識のネットワーク化を追求

―― ところであなたが現在勢力を注いでいるBootstrap Allianceの役割について、教えてもらえますか?

E 私が描いている図式は、Bootstrap Alliance(以下、BA)という組織が、たくさんのNetwork Improvement Community(以下、NIC)同士の横のつながりを提供して、1つ上のレベルのNIC、いわばNICのNICを形成するというものだ。個々のNICは、参加組織の組織外活動という形で成り立つ。
 今後、情報をデジタル化し、共有することが増えていけばNICは自然ななりゆきとして形成されるだろう。これから15年、20年の間にはほとんどの組織が「知」をデジタル化して共有することになる。スタートが早いほうが当然有利だ。我々はこうした「知」のデジタル化という考え方を広めて、そこに「Collective IQ(集合的知力)」という考えを導入する。そうして、このNICという環境の中で自らの組織をよくするにはどうしたらいいかという命題を、ほかの参加者たちの考えも加えた集合的知識で探究し、お互いに進化していくことが重要だ。
 ところでこのBootstrapという意味を知っているかい? もともと長いブーツをひっぱりあげるための紐を指していた言葉だ。両足の紐をひっぱりあげると身体が宙に浮いてしまうというジョークが大昔にあった。
 50年ほど前、私はコンピュータの電気回路を開発していた。そのとき私は、1つの機器からの入力を別の機器に出力し、今度はその別の機器の出力を取り込んで、さらにハイレベルな機器からの入力を受け付けるという方法を考えついた。いきなり実現できない高次な目標がある場合、とりあえず処理が可能な入力を取り込んで、だんだんと高次な目標を達成していくという手法だ(編注:おそらくスイッチで入力したプログラムを元に、磁気テープからプログラムを読み込ませて、さらに磁気テープから読み込ませたプログラムを元にディスクの読み込みを行なわせたという逸話)。私はこの手法を先のジョークにたとえてBootstrappingと呼んだ。
 今日のコンピュータもこれと同様に、起動するとまず不揮発性のメモリからコンピュータを起動するのにちょうど過不足のないサイズの小プログラムを読み込んで、プロセッサがこれを実行する。すると、今度はプロセッサがこのプログラムを実行してディスクからOSを読み込む。この方法は、最初私が名付けた通りBootstrappingと呼ばれていたが、そのうち短くなって、単に「ブート」(コンピュータの起動を指す専門用語)と呼ばれるようになった。
 実はBAにも同じアナロジーが適応できる。つまり組織が未来に向かって発展する上でやりたいことはたくさんありすぎて、すべてに手をまわすことはできない。そこで組織はとりあえず、自分を将来よりよい方向に導いてくれるのにちょうど過不足のない事柄に手を出せばいいのだ。つまりNICへの参加である。こうすることで段階をおって企業そのものの方向性を正すに至るより高次な目標が達成できるのだ。
※後編では、Bootstrap Allianceの思想や、博士が考えるソフトウェアの未来像、そして博士が現在使っているNLSの後継システム(Augment System)の詳細に迫ります。お楽しみに。
収録:1998年11月19日東京にて インタビュー:林 信行
 


*注1 オーグメンテーション(augmentation):コンピュータを使って、知識や作業、人と人との協力体制などを増大、増強していく方法。エンゲルバートが'60年代から提唱している。

*注2 ARPA(Advanced Research Project Agency):米国防総省の研究機関の名前。この研究所が導入したネットワーク(ARPAnet)が現在のインターネットの起源だといわれている。

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