週刊アスキー

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週アス回顧録:エピローグ── あれから15年

2012年12月11日 18時00分更新

(週刊アスキー12月18日号掲載コラム『Scene 2012』を再構成しています)

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 『週刊アスキー』の創刊、いや正確には新装刊からちょうど15年が経った。この15年の歳月に対しては特に強い思いはない。ただ、早かった。あっという間だったな。それだけだ。

 40代のすべての時間を、週刊アスキーとともに過ごした。週アスを始めたとき、時間のことなど考えもしなかった。目の前のこと、1部で多く週アスを売ること、そのことしか考えられなかった。必死だった。それはもう掛け値なしに。

 気がつくと、ネットバブルの恩恵もあって、週アスはそこそこ利益を稼ぎ出す雑誌となっていた。「20万部売れているイメージを持って」。まさに瓢箪から駒。40歳のときに言い続けた言葉。当時、冗談としてしか聞いてもらえなかったこの言葉どおりになった。ここでちょっとドヤ顔(笑)。

 新装刊1年目の年、自宅はずっと仮住まいだった。都内に引っ越したのは翌年の春、長男の小学校入学ギリギリの時期だった。初めての登校日、長男は学校までの道がわからなくなって泣きながら家に戻ってきた。

 次男の幼稚園でハロウィンパーティーがあるというので、仮装用の衣装を作った。なぜか亀になりたいというので、着られるように甲羅を作ってみたら、どう見てもガメラのそれ。

 ディズニーランドのオフィシャルホテルで、とある企業から講演を頼まれた。出番の直前にかかってきた電話は、父がクモ膜下出血で倒れたというもの。どうにかパニックにならず講演を終えて舞浜駅に向かった。でもそのとき乗ったのは、外も内もミッキーマウスでデコレーションされたバス。バスのアナウンスももちろんミッキーの声。

「やあ元気かい?」

幾星霜とは束の間のこと

 笑いころげた記憶、涙がとめどなく流れた記憶。幾星霜とは束の間のことだと思う。

 ラスベガスのカジノで神足裕司氏と明け方までギャンブルに耽った挙げ句、結局ふたりとも大負け。ホテルまで帰るタクシー代もなくなって、あまりに美しい砂漠の町の朝焼けの中を、とぼとぼと歩いて帰ったこと。

 年末恒例の納会で飲み過ぎて大暴れ。そのまま自分のデスクのうしろで寝てしまい、挙げ句に寝ゲロ。しかも一部始終ほとんど覚えていなかったこと。

 20万部達成のご褒美に編集部全員で沖縄旅行に行った。なぜか現役のハッカーを呼んで、沖縄のホテルから自社サイトに擬似ハッキングをかけたこと。

 思い出はいつも断片的だ。エピソードをつなぎ合わせれば過去になる。こうして断片化された記憶のままにしておくのは、どこかで過去にしたくないと抗っているのかもしれない。

色褪せた表紙、1998年の週刊アスキー』

 この15年の間に、父は他界し、母は言葉と行動の自由を失った。主人をなくした実家は、時折訪ねてくれる伯母の手によって、どうにかこうにか維持している。父と母の寝室だった部屋に、ぽつんと週刊アスキーが置かれている。

 色褪せた表紙、1998年の号。ぱらぱらと開くと、僕が書いた記事が載っているページに、しおりが挟まれていた。……突き刺すような喪失感。心のどこかに穴があいて、乾いた風が吹き抜けた。

 15年、振り返ってみると、本当にあっという間だった。人生は短い。ああ、そういうことだったのか。50歳半ばでようやくわかったことだ。

 人からは「ミスター週アス」などとも言われましたが、こちらもようやく卒業です。これからも週刊アスキーが、みなさんにとっての楽しい場所でありますように。

んじゃ。

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