(週刊アスキー12月11日号掲載コラム『Scene 2012』を再構成しています)
一般誌の『週刊アスキー』の休刊と、『EYE・COM』の週刊化および新しい『週刊アスキー』への誌名変更は、当時の社長のツルの一声で決まった。が、本当に大変なのは、そこからだった。なにしろ、ひとつの週刊誌がコケたばかりである。次、これでまた失敗したらどうなるんだ、みたいなネガティブな空気感が、会社中に蔓延していたように思う。
“フィジビリティスタディ”なる言葉を聞いたのも、そのころだった。なんスか? それ、みたいな(笑)。
「実行可能性調査」と訳されるらしいが、週刊化自体、可能性よりも、不可能性と危険性に満ちていた。当時の役員はほぼ全員が、週刊化に反対。刊行するコストはかなりの額に上るのに、成功の確率は極めて低い、というのが週刊誌である。自分が役員だったら、やっぱり反対していたと思う。しかも、そのころのアスキーは、銀行主導で絶賛経営再建中だった。
経営再建中の大博打
つまりこれは「博打」だったのだ。自分が打つバクチ。それに会社というか社長が乗った。経営者としてはどうかと思うのだが、勝負師としては大したものだ。この人物に巡り会ったことは、自らの人生の中で最大の幸運だと言っていい。もっとも創刊してからの1年間、イヤというほど地獄を見ることになるわけだが……。
「部数を増やすためのシナリオを用意しなさい」
「広告はどうやってとっていくんだ?」
「2年目以降の展開は?」
そんなもん、あるわきゃないでしょ、だってバクチなんだもん、というような暴言はもちろん封印した。偽らざる本音であったとしても。
「はい、この企画が呼び水となって、夏の新製品時期に……」
「はい、まずはメーカー様との信頼関係を構築してですね……」
「はい、想定部数をこれくらいと仮定して、若年層読者の……」
まさに、立て板に水。正直に言おう。すべて、その場で適当にこしらえたデマカセである。
ウイナーのイメージを持って『週刊アスキー』にベット!
目の前に積んだなけなしのチップと、手の内のカード。次にどんな札が来るかなんてわかるわけがない。が、ウィナーとなったイメージだけは明確にもっていた。「週アスが20万部売れるようになる。そのときのことをイメージしようよ」。売れてメジャー誌になったイメージで仕事をすること。スタッフにはずっとそう言っていた。
100ドルの持ち金を1万ドルにするには、10ドルずつちまちまと賭けていたのでは一生1万ドルのウィナーにはなれない。勝利までの9900ドル。100ドルの99倍と考えると恐ろしく遠いけど、1000ドルならたったの9.9倍だ。考え方次第でゴールは近くにも、はるか遠くにもなる。
少し話がそれてしまったが、結局、どんなに説明をしても、当時の経営陣を説得することはできなかった。そもそもこちらの説明が、次には必ず赤の目が来ます、と言っているようなものだったのだ。だから、それは当然と言えば当然。経営の言語と賭場の言語。理解しろというほうが無理だった。
結局、最後の最後に反対意見を黙らせることができたのは、「1年やってみてダメだったらクビにすればいいでしょ」の台詞、机バーン付きだった。
……あれから15年。
博打で一番大切なことは、間違いなく引き際である。これを間違えると、それまで築き上げたチップの山が瞬く間に消えていく。自分はどうやら引き際を間違えたようだ。でも、後悔はしていない。また、10ドルのテーブルからやり直せばいいだけのことだ。
【週刊アスキー 15周年記念特大号はAmazonでも!】
-
480円
週刊アスキーの最新情報を購読しよう
本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ている場合があります