週アス回顧録:破──「週刊」という言葉が浮かんだ最初の日
2012年11月23日 21時30分更新
(週刊アスキー9/4号掲載コラム『Scene 2012』を再構成しています)
1996年の秋は、逃げ回る季節だった。あ、前号の続き『週刊アスキー』創刊のころの前後3年間を振り返っています。
会社の分裂騒動ののち、ただ、たんたんと仕事をすることだけを考えた。夏が終わり、9月、僕は日本から逃げるようにヨーロッパ出張に出かけた。ざっと3週間。社会人としてはあり得ない長期の出張だが、なぜか会社側は許してくれた。どういう判断で許可されたかはわからない。まあ、編集長ひとりにかまっている余裕はなかったのだろうと、今は推測する。
元上司からの誘いと逃避行
オーストリアのリンツを皮切りに、ロンドン、バーミンガム、アムステルダム、ロッテルダムの計5都市をまわった。当時追いかけていたエレクトリックアートと、アクティビズムとハッカーコミュニティーを取材すべく、それらの都市でキーマンにインタビューした。が、今だから正直に言おう。日本から逃げていたいという気持ちが半分以上だったように思う。
出張の1週間前、アスキーをスピンアウトした元上司に会った。彼らのつくった新会社に来ないか、という誘いだった。「喜んで」という台詞が喉元まで出かかった。誘ってもらったことが泣きたいくらい嬉しかった。
「……ひと月、考えてみます」──でも、絞るように返した言葉はそれだった。
リンツでは恐ろしく凶悪なアートを体感した。あまりの凶悪さに笑いが止まらなくなった。素っ裸にされたうえ、10分間も1点の光もない真っ暗闇に閉じ込められるという……いや、これ日本なら犯罪でしょ(笑)。
ロンドンで誕生日を迎えた。
誕生日の夜、現地のアーティストと、ロンドンの貧困地域に住む若者たちに教育支援活動しているというアクティビストのひとりと寿司屋に行った。食事を終えての帰り際、アクティビストの男は、バースデー・プレゼントだと言って、着ていたジャケットのポケットに、何かをそっと入れてくれた。店の外に出て、そいつを取り出してみると、なんと極太のジョイントだった。そういうマナー?
ロッテルダムでは、現地のアーティスト集団を率いているプロデューサーにインタビューした。その日、ちょうどロッテルダム市の予算が通って、相手は超ごきげんだった。
札付きのアクティビストに話を聞いたのはアムステルダム。その男は、ユーゴスラビア内戦の最中、日本の電機メーカーに大量のFAX機を発注し、仲間と一緒にそれらを担いで戦場に赴いて、危険とされていた町に設置しに行ったのだという。戦争というのは、外で見ているほうが状況を把握できている場合が多く、どこで戦闘が行なわれているか、その後それらのFAX機に西側から情報を送ったという。
「FAX機の代金? それは設置したところに取りに行ってくれと(日本の電機メーカーには)連絡したさ」
おいおい、戦闘地域に回収に行けるわけないだろ……(笑)。
テムズ河に放り投げた思い
そんな愉快な取材を繰り返すうちに、不思議とハラがすわってきた。実は、この長い出張が終わったら、会社には進退伺いを出すつもりでいた。元上司のつくった新会社にも行かない。そんな、自分なりのケジメをつけるつもりでいたのだ。
週刊誌にでもしてみるかな。まだ誰もやってないし。
スキポール空港の出発ロビー。鮮やかすぎるほどの朝焼けを眺めながら、ふと思った。どうしようもなく軽く、あまりに浮ついた理由。もっとも、このいい加減な着想を、そのあと本当にやっていくことになろうとは、このときはまったく想像していなかった。でも、「週刊」という言葉が浮かんだ最初の日。
ところで、ポケットに入っていたあのジョイントはどうしたかって? ……テムズ河にくれてやった。
●11月25日開催のASCIIフェスで、週アス・月アス歴代編集長によるトークセッションをご用意しております(11時15分〜)。ご興味のある方は、是非お越しくださいませ。by ACCN
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