前回、編集者は「影響力を最大化する仕事」だと書きました。ぼくらは日々、「想いを伝えるための方法」を考えているわけですが、今回は、そのためにはどうしたらいいのかということを、考えてみましょう。
■わかりにくいものと社会を結びつける
物事を伝えるために必要なことはたくさんあるのですが、そのなかでもとくに大事なのは「コンテクスト(文脈)をつくる」ということではないかと思います。
編集者は、日常的にいろんな人と会います。お茶を飲みながら、食事をしながら、お酒を飲みながら、いろんなシチュエーションで、人に会って話を聞き、企画を立てたり、執筆を依頼したりしています。
一般的に、本を出すような人というのは、突出した能力や経験がある方々です。ただ、そういうすごい人たちのすごさというのは、そのままだと本(=商品)にするのは難しいことがあります。すごいというだけで商品になってしまう場合もたまにありますが、存在のすごさと商品としてのすごさは必ずしも一致しないのです。
『天才! 成功する人々の法則』(マルコム・グラッドウェル著)というベストセラーがあります。そこに書いてあるのは、ある物事に対して1万時間費やすのが、プロフェッショナルになるための必要条件だということです。1万時間というと、一日3時間で約10年かかります。普通に暮らしながらでは、なかなか大変なことです。
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すごい人たちは、その1万時間を、だれにも注目されていないときから費やしています。例えばイチローのバッティングは、子供の頃からお父さんと練習を繰り返す中で、年月をかけて身につけたものです。すごいプログラマーのひとも、子供のころからプログラミングをやっているひとがたくさんいます。20代なのにキャリアは10年というのはよく聞きます。
じつは、突出している人というのは、ある日突然すごくなっているのではありません。今は誰にも注目されないことを続けている人が、しばらく先に“すごい人”として登場することになるのです。つまり、すごい人は、社会が求めているからではなく、勝手にすごい人になります。ほとんどの場合、自分がそのことを好きだから楽しくてひたすらやっていて、しばらくして気づいたらいつのまにかすごい人になっているのです。
こういうひとのすごさは、突出してればしてるほど、新しい分野であればあるほど、そのままでは伝わりません。社会から独立したものだから、わかってもらいにくいのです。じつは、ここからが編集者の腕の見せ所です。ぼくたちは、その人のすごさを、社会といかに結びつけるのかを考えます。これが冒頭に書いた「コンテクストをつくる」ということです。
■コンテクストづくりの発想
具体例で説明しましょう。
ぼくはかつて『英語耳 発音ができるとリスニングができる』(関連サイト:Amazon)という本の編集を担当しました。そのころぼくは、英語の学習にすごく凝っていて、書店の英語学習書の売り場によく出入りしていました。当時の英語本というのは、超初心者向けの本と専門家向けの本しかない市場でした。ある程度勉強すると、使いたい参考書がなくなってしまうのです。
装丁などのデザインも、地味なものが多かったように思います。要するに、“一見さん”と“マニア”のための市場だったわけです。でも英語というのはとてもたくさんのひとに必要とされているものだし、これからもっと市場が大きくなるはずなので、もっと普通のひとに幅広く読まれて、しかも実力をがっちりつける、そういう本が足りないなあと思っていました。
ちょうどそのころ、『英語耳』の著者となる松澤喜好さんのウェブサイト『英語・発音・語彙』(関連サイト)を見つけました。松澤さんはエンジニアなのですが、「辞書を読んでいる時がいちばん幸せ」というものすごい英語マニアです。このサイトには、英語学習についてほぼすべての分野にわたる内容がつまっています。
そのなかでも、松澤さんは、英語学習の初期に発音を練習することを推奨していました。発音を練習するとリスニングができるようになったり、単語を覚えるのにも、英語を読むのにも、すべてに役に立つというのです。そしてぼく自身、そのとおりに発音練習を重ねると、数ヶ月でTOEICで855点というなかなかの高得点がとれてしまいました。
松澤さんの方法論はすごい! ということで、お会いしたら意気投合し、本にすることになりました。
とはいえ、企画の打ち出し方には悩みました。英語の学習書として、“発音”というテーマだと、マニア向けの商品にしか見えないのです。そこで考えたのが『英語耳』というタイトルです。「リスニングのために発音練習をする」というコンテクストをつくったわけです。
世の中には、英語の発音をがんばりたいひとはそんなにたくさんいないのですが、リスニングをなんとかしたいひとはとてもたくさんいます。『英語耳』というタイトルにして、「リスニングができるようになるための最短の道が発音である」ということにすれば、発音だって練習してくれます。あとはキャッチーなタイトルにあわせてデザインを工夫し、サブタイトルでは「発音ができればリスニングができる」というふうに趣旨をわかりやすく説明するようにしました。
おかげでこの本は売れに売れてベストセラーになったわけですが、じつは発音でリスニングが上達するのは、英語の音声学を勉強しているひとには昔から常識でした。だから「発音をやったらリスニングできるようになるなんて当たり前じゃないか!」「それを画期的なように宣伝するなんて!」といった批判も受けました。
でも、専門家には当たり前でも、一般の人には届いていなかったのです。たしかに、音声学の教科書を読むと、そういうことがさらっと当然のことのように書いてあります。でも、そこをつなげた状態で、手軽な形では、ひとびとに届いていませんでした。音声学の本を手に取るのは、専門家とマニアだけでした。そこを変えたのが『英語耳』という本だったのではないかと思います。
すごいものを「すごい」というだけでまとめてしまうのは簡単です。たとえばオリンピックの金メダリストの生まれ育ちなどをまとめて本にすれば、時期さえよけれれば、そこそこ売れたりもします。でも、そういうことを、社会の状況や課題に結びつけると、さらに届ける力が増すことがありえます。
才能やそこから生まれるメッセージ。それと社会。そのあいだをつなぐコンテクストはなにか。そんなことを考えて仕事をしています。
ではでは、今週はこのへんで。
【筆者近況】
加藤 貞顕(かとう・さだあき)
株式会社ピースオブケイクCEO。デジタルコンテンツの有料配信プラットフォームのcakes(ケイクス)をつくる日々です。告知サイト、ぜひ見てください。
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