事前に招待状で予告されていたとおり、アップルが19日に自社イベントで披露した『iBook 2』と『iBooks Author』、『iTunes U』は、教育分野に関係したアプリだった。
同社は、Apple IIの時代から、教育分野との関わりは深い。
スティーブ・ジョブズの復帰後に初等教育でクラムシェルの初代iBookが使われているという事例が記憶に残っている。ポリカーボネートとラバーで覆われたボディーは頑丈なうえ、取っ手を持って運べるという、低学年向けのマックとしてはうってつけだった。
しかし、ここ数年は他社の低価格・大量導入攻勢とXserveの販売中止で、初等教育だけでなく学術研究の分野でもアップルの影が薄いと感じていた。そんなタイミングでの発表だったので、コンシューマー市場とは別の市場も狙うアップルの並々ならぬ意気込みを強く感じた。(ホンネは、新しいハードウェア製品を早くリリースしてほしいところだが。)
米国の教育事情に向けた
画期的なソリューション
米国の初等教育の現場では、教科書は高価なため基本的には学校から生徒に貸与されており、一部の裕福な子供だけが自分の教科書を持っているという状態だそうだ。比較的安価に手に入る日本とは事情がまったく異なる。
高等教育についても、例えばコミニュティーカレッジに通うには年間1000ドル程度が教科書の購入代金として消えていくそうで、経済事情により進学を断念するというケースもあるそうだ。入学した学生も教科書が高価なため、知人や先輩から譲り受けて使い回すことも多いらしい。
結果、教科書の改訂により新しい情報が掲載されても、学ぶ側は古い情報が詰まったものを擦り切れるまで使うという悪循環になっている。今回の一連の発表は、こういった米国の教育事情をイノベーションするためのソリューションというわけだ。
©2012 Apple Inc. |
実際のところ、初等教育となると米国でも“現状のiPad”では爆発的な普及は難しいだろう。
日本人に比べて体格が大きい生徒が多いとはいえ、10歳未満の児童にとってiPadは重いし、金属製の固いボディーや落下すると割れる可能性のあるガラス製の液晶カバーでは導入が難しい。アップルもそのあたりの事情はわかっているはずなので、今回のローンチには高等教育用のコンテンツを取りそろえてきたのだろう。
もちろん、この取り組みが成功すればアップルが初等教育にもiPadで攻勢をかけるのは自然な流れだ。となると妄想したくなるのが、画面サイズが7インチでカーボン素材を使った軽量版のiPad。この小型iPadを初等教育の現場に試験的に先行投入して成功事例を作ったあと、一般に販売するというというプランを考えたくなってしまう。
いっぽう、高等教育では、今回の発表はかなりインパクトが強いのではないか。
© 2012 Apple Inc. |
教科書検定がない米国では、紙だろうがデジタルだろうが良質なコンテンツが登場してくれば、採用する教育機関も数多く現れるだろう。ハードカバーの洋書を買うと実感するが、米国の書籍はこれでもかというほど分厚くて重い装丁がデフォルトなので、可搬性に優れたデジタル教科書はスムーズに受け入れられるはずだ。
日本国内での早期導入は厳しいが
大手私学なら導入の価値あり!?
日本国内ではどうかというと、初・中等教育検定制度があるため新しく教科書を作ってもすぐには利用できない。高等教育では教科書検定の必要はないが、1メーカーのクローズドな規格を公立の教育機関が採用するのは難しいだろう。
初代iPadが登場したあと、総務省はデジタル教科書を2015年度までに小中学校に導入するプランを策定していたが、現在は目標年度が削除されており、少し停滞している印象だ。今回の発表によって議論が再加速することを期待したい。
↑2010年4月にデジタル教科書協議会が発表したデジタル教科書の3つの目標と10の条件(試案)。 |
となると、国内でのデジタル教科書の普及の足がかりになるのは私立の教育機関だ。検定制度もあるので教科書として使うのは時期尚早だとしても、副教材をiPad上でデジタル化することからぜひ始めてほしい。教師がプリントを配布する代わりにiBooks Authorで作ったファイルを渡すというのもありだろう。iすでにiPhoneやiPadの導入事例も多いので、中高一貫校や小学校から大学までを持っている学校法人が新カリキュラムとして取り入れると魅力的だ。
デジタルノートにもなる
注目のiBooks Author
iBooks Authorは、デジタル教科書の制作ツールとしてはもちろん、その周辺の用途でヒットするかもしれない。テキスト主体の解説書を簡単に作成できるからだ。独自形式のほか、PDFで書き出せるので汎用性も高い。
同様の目的で思い浮かぶものとしては『Keynote』があるが、これはもともとスティーブ・ジョブズが使うために開発されたプレゼンアプリで、不特定多数のユーザーに対して短時間で大まかな考えを伝える際には非常に有効だ。しかし、資料としての目的を兼ねた書類作りには正直あまり向いていない。その用途ではiBooks Authorが活躍しそうなのだ。
授業中にとったノートを復習時にiBooks Authorでまとめるという使い方も、なんだかカッコいい。となると、iWorksのように機能を絞ったiPad版iBooks Authorをリリースして、iPad上でデジタルノートをそのままオーサリングできると感動的だ。
個人的な希望としては、近い将来にiBooks Authorのページレイアウト機能を強化して、判型の変更や多段組のテキスト処理を可能にしてほしい。これらの機能が加わると簡単な電子雑誌の制作もこなせるからだ。
一般的な雑誌は、文章が多段組で写真などのビジュアル要素も多いので、正直なところ電子化にはあまり適していない。紙のコンテンツを画像もしくはPDFに変換してiPhoneやiPadに表示しているだけだし、画像の場合はテキスト検索ができないものが多い。現状では、場所を取らず紙より少し安いというメリットにとどまっている。
すでに、映像や音声を取り込んだリッチな電子雑誌はいくつかあるが、紙の雑誌をベースにしても大幅な変更が必要になるため、ワールドワイドで展開している英語圏の雑誌を除くと収益の柱になるとは思えない。実際のところ、国内でも最近は数も少なくなってきた。
しかし、iBooks AuthorがInDesignのファイルを読み込めるようになれば、電子版のみ一部の写真をムービーに差し替えるなどの作業がドラッグ&ドロップで可能になる。この程度の作業であれば、一般的なパソコンのスキルがあればこなせるので、コスト増も最小限に抑えられる。さらにNewsstandアプリにそのまま書き出して販売できるようになれば売価の70パーセント(残りはアップル)が手に入る。出版社にとっては、Newsstandがさらに魅力的なプラットフォームになる。
新たな使い方を妄想できる
iTunes Uの専用アプリ化
iTunes Uについては、これまでiTunes Storeから入手する必要があった大学の講義の音声/ビデオのポッドキャストが、専用アプリ化によって気軽に手に入るようになった。
現在、ポッドキャストは無料配布されているが、せっかくアプリ化したのだからもうひとひねりほしい。もともとiTunes Store上で展開していたコンテンツなので、課金システムとDRMを加えることは容易だろう。そうなれば、iTunes Uのプラットフォームを使ったeラーニングの有料コースが出てくると面白い。Newsstandのような月額課金システムを導入できれば、安価なコース料金の設定も現実的だろう。大学だけでなく、各種専門学校や語学学校にもiTunes Uを開放してほしいところだ。
このように今回の発表は、“米国の教科書事情をなんとかしたい”という、アップルの強いメッセージが随所に込められている内容だった。
ちなみにアップルは、App Storeで販売するコンテンツを審査する際に、ポルノ・暴力の表現にかなり厳しい基準を設けて排除してきた。これは米国基準にのっとっている側面もあるが、教育関連分野にかける同社の並々ならぬ想いとも、決して無関係ではないだろう。
さて。この記事は、実は『マックピープル』の宣伝目的で書いたものだ。
1月28日発売の3月号では、今回のアップルの発表を受けて3人の識者の方々からコメントをいただいた。
16-17ページでは、東京学芸大学の専任講師で教育クラウドを専門とする前田 稔氏。
18-19ページでは、同大学の客員教授であり民間出身として杉並区立和田中学校の校長を5年間務めたことでも有名な、藤原和博氏。
106-107ページでは、マサチューセッツ工科大学の教育イノベーション・テクノロジー局の元シニア・ステラジストで、'12年からは京都大学の高等教育研究開発推進センターで教授を務める飯吉 透氏。
各記事は、それぞれの立場で日米の教科書事情について触れているので、アップルの今回の発表を深く考察するにはうっつけだ。もちろん、iBooks 2、iBooks Author、iTunes Uについても詳しく紹介している。ぜひ目を通してほしい。
■関連サイト
Apple Japan
Apple(米国)
iBooks Author(App)
iBooks 2.0(App)
Apple Special Event January 19, 2012(発表会の映像/英語)
デジタル教科書教材協議会(DiTT)
MacPeople Web
マックピープル編集部twitter
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