メンバー全員が同じ会社に勤めているバンドがツアーまでやってる。こんな話をSNSでつかみ、さっそく取材に行ってみた。東京をベースに活動するベテランロックバンドの「ザ・クレーター」。好きなことも、仕事もあきらめない。そんな彼らが今にまで行き着く道を、バンドリーダーであり、株式会社カムストックという会社の社長でもあるシモセニアンに聞いた。
(撮影協力:LANDRUTH(https://www.landruth.com/)
ベテランバンド「ザ・クレーター」が今にいたるまで
大谷:まずはバンド結成までの背景を教えてください。ずいぶん古いんですよね。
シモセニアン:メンバー変わってますが、結成自体は2001年ですね。ボーカルの菊永が以前やっていたバンドで、菊永以外のメンバーが全員脱退してしまったんです。そこで菊永がレコーディングを手伝ってくれるミュージシャンを探しているという話を対バンやったことのあるアンドレ君から聞いたのがきっかけ。当時、僕は前のバンドを辞めていて、バンド活動を再開するつもりもなかったんですけど、レコーディングだけだったらいいやと思って三軒茶屋のマクドナルドで菊永と会ってみたんです。
大谷:第一印象はどうでした?
シモセニアン:当時の菊永はなんだか、目の下のくまもすごいし、ニット帽も目深にかぶりすぎていて、見るからにやばかったんですよ(笑)。話をし始めてもレコーディングの話はほぼなくて、やたらバンドやりたいとか言いだして、結局活動し始めたのが2001年です。
その後、バンド名を「ザ・クレーター」に変更したのが2002年。いろいろあって、ベースのOKDが2012年頃に正式加入し、ギターのひらのともゆきが2015年に加入して、今のメンバーになってます。
大谷:音楽性としてはどんな感じを目指しているんですか?
シモセニアン:方向性を決めたことって特にないのですが、おおむねギターロックがベース。僕は高校のときはメタリカのラーズ・ウルリッヒ見て、ドラムやり始めたので、今もプレイはメタルっぽい。当時はいわゆるブリットポップブームで、オアシスとブラーがやりあっているのをふーんて横目で見てた口でしたが、UKロックは好きなんです。
大谷:むしろストーン・ローゼズは好きみたいな感じですか?
シモセニアン:そうですね。前のバンドにいたときはレニが好きすぎて、目深にバケット帽をかぶってました(笑)。だから、僕らの音楽を聴いて日本のバンドをイメージする方はあまりいなくて、UKロック好きでしょとか、オルタナ好きでしょとか言われますね。
大谷:最新の音源を聴いた限りでは、エレクトリックの要素を抜いたグルービーなロック。確かにストーン・ローゼズとか、ザ・ミュージックとかをイメージしました。
シモセニアン:最新の音源だとそうかもしれません。でも、基本は歌中心のギターロックで、UKロックやオルタナの影響が強いという感じだと思います。
大谷:ほかの方はどんなルーツなんですか?
菊永:ロックはX Japan見て、「すごい、なんだこりゃ」というのが最初。その後、パンクに行って、高校のときはラフィンノーズのカバーバンドやって、そこからUKに行って、レディオヘッドとかですね。
OKD:僕はモッズとか、いわゆるロックンロールが好きです。
シモセニアン:ひらのはジャズとか、レゲエですね。
ひらの:まわりでボンジョヴィが流行っていた頃に、ジャミロクワイに行ってしまったという感じですね。だから、ギターロックはあまり通ってない。
シモセニアン:ということで、全員おおむねイギリスの音楽に影響を受けていますね。
大谷:じゃあ、今朝はレッドツェッペリンか、サウンドガーデンか、着ていくTシャツ迷ったんですけど、ツェッペリンで正しかったんですね。
シモセニアン:100点のチョイスです(笑)。
会社勤めでは「バンド優先で」が貫けなくなった
大谷:次にお仕事の方なんですが、このバンドって全員が同じ会社なんですよね。
シモセニアン:はい。もともと僕は電話やコピー機、ケータイを売っているいわゆる通信商社にアルバイトで入ったんですが、たまたま少し成績がよくて、出世し始めちゃったんです。結局、マネージャーになり、多い時は100人くらいを束ねてプロジェクトを動かすようなことをやってました。その会社にいた11年のうち、8~9年は管理職。独立して立ち上げた今のカムストックではWebの広告販売や制作をやっています。僕を除く4人の社員のうち、3人が同じバンドのメンバーです。
大谷:どういった経緯でこんなことになったんですか?
シモセニアン:当初は単に自分が音楽をメインにした生活したかっただけで。みんなと同じ釜の飯を食うみたいな気はなくて、勝手に独立したんです。でも、2012年から全国ツアーをやるようになって、メンバーとスケジュールが合わせづらいという問題に直面するようになってしまいました。
当時、一番クリティカルだったのは菊永で、有休がなくなってしまって、予定したツアーが行けないかもという事態になったこと。会社で白い目で見られるって言い出すし(笑)。
大谷:実際に白い目で見られたんですか?
菊永:ライブやろうとすると少なくとも半休をとらないといけないので、やっぱり一部の方からは真っ白な目で見られますよね。社長はすごく応援してくれたのですが、現場の方はやっぱりダメでした。
シモセニアン:前の会社に菊永が就職するときも、バンド優先でという鉄の契りを交わしたのですが、そうはいかなくなったんです。まあ、いろいろあったんですが、会社も好調だったので、引き受けるかと思って菊永にはうちに来てもらいました。逆に言うと、そうじゃないとバンドが動かせなかった。
大谷:OKDさんやひらのさんも同じなんですか?
シモセニアン:そうですね。たとえば、当時のOKDは夜中に品出しとかする仕事をしていたんで、スケジュールが立て込むと体を頻繁に壊していて、それじゃあダメだろうということで、うちに来てもらいました。ひらのは安定した職に就いていなくて、人としてもなんだかフリーで(笑)。
ひらの:うーん。よくバンドマンでありがちなバイト、バイトって感じですよね。
シモセニアン:このままじゃよくないだろうということで、やっぱりうちの会社に来てもらいました。
大谷:桃太郎感ありますね。バンドでパートが違うのはわかりますが、会社でもそれぞれ役割が違うんですよね。
シモセニアン:たとえば菊永は営業。出会った当初コンビニでアルバイトしてて、生活が不規則で、時間通りにスタジオに来なかった。そういう自堕落なところがあったんで、僕が前にいた会社にアルバイトで来てもらって、そのおかげで営業のノウハウをきちんと得ています。
OKDはもともと映像を作れたりするので制作。ひらのはメールができたんで、パソコン仕事です。あとは車を運転できるので、ありがたい存在です。
大谷:なるほど。マネージャ経験豊富なシモセニアンが、バンドも会社もマネジメントしてるんですね。
シモセニアン:前職はマネージャーという役職やっていたんですが、音楽活動を優先してたから雇用形態をアルバイトのままにしていました。なので、出世してもある程度のところで止まってしまいますし、そういったある種の中途半端な管理職だったせいか、よく新規事業を任せられたんです。新規事業って失敗するリスクも高いから、出世したい社員はあまり引き受けたがらないんですよね。
で、どの部署もリソースを消費したくないので、新規事業っていろんなやつが集まるんです。だから、メンバーにまずなにできるか聞いて、適切なところにあてがうというのは数こなしていました。
大谷:なるほどー。スキルというか、新規事業のマネジメントで培ってきた経験のたまものなんですね。
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